だれでもキリストの内にあるなら

だれでもキリストの内にあるなら

だれでもキリストの内にあるなら
本庄キリスト教会 吉田孝

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。コリント人への手紙第二5章17節

 

これからキリストを信じようとするあなたや、信じて間もないあなたの為に、自分の経験をもとに証し文を書き記しました。最後までお読みいただけると嬉しいです。

救いを受ける前
私は昭和29年4月生まれ67歳。出身は茨城県下館市(現筑西市)。子供の頃から自然の中でよく遊び、自由奔放に育ちました。性格的には、ストレートな人間です。でもどういう訳か、自分は死んだらどうなるか?人生の目的は何か?そんな事ばかり考えていましたが、共に考え、答えを出してくれる人は誰もいないので、他人に話した事はありません。

救いを受けた時
私に大きな転機が訪れたのは、18歳、高校三年の時でした。硬式野球生活が終わり、東京の企業に就職が決まった頃、クリスチャンの友達が教室で放課後、聖書講座をしていたのです。冷やかし半分で、集まりに出席し、生まれて初めて聖書を読みました。すると不思議な事に、聖書の言葉が心の中に入ってきたのです。
特に旧約聖書「伝道者の書」は私の渇いた心に潤いを与え響いてきました。更に聖書を読み進め、話を聞く中で、世界を造り、私を造り、愛をもって生かして下さる創造主なる神の存在、人は生まれながら罪人(神を無視した生き方)であり、更に、神が独り子イエス・キリストを世界に遣わし、罪から救う為、十字架に掛かって身代わりの死を遂げ、葬られ、よみに下り、三日目に復活した事を知ると、そのまま認めて受入れました。
18年間生きて、初めて聞く聖書の話でしたが、当時の私は、このメッセージを自然に、そして素直に受け入れました。聖書こそ誤りのない神の言葉であると信じ、神の存在、イエスの十字架上の死と復活を通して、罪の赦し、恵みによる救いを受けたのです。この時から自分の生きるべき人生の方向性がはっきりしてきました。
それ以降、私の人生は少しずつ変わっていきます。生きる希望が出て来て、心の中の虚しさがいつの間にか消えました。何故か?「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。」
私がキリストを信じた時、目には見えませんが、私はキリストに結び合わされ、キリストの中へ入り、一つにされたのです。聖霊によってバプテスマされ、キリストと結ばれました。キリストの命、永遠の命が自分の内に入りました。そして翌年11月、東京の教会で「水のバプテスマ」を受け、地域教会の一員とされ、キリストと共に歩む事が生き方の基本になったのです。

救いを受けてから
救いを受け49年経ちますが、今も自分の弱さや罪深さを示されつつも、それに勝る神の恵みと憐れみの中で生かされています。救いを受けてからの主な変化は①空しさから解放②変わらない平安と喜び③主イエスと共に生きる楽しさです。今も生き方の方向転換は続いています。
更に大きな特徴は、人の為に生きる事が喜びに変わったことです。人の幸せを祈り、共に生きる事が喜びです。自分が受けた御霊の賜物、あるいは生まれ持った能力、才能を生かして身丈にあった隣人愛の実践こそ、私の喜びであり生き方です。
伝道熱心と言うより、受けた救いの恵みを「キリストに在る生きかた」を通して証しする。これこそキリスト者の生き方と考えています。それ故、無理して頑張ることはしません。

残りの人生
私は、67歳になります。日本人男性の平均寿命は81歳なので、地上の生涯は、あと14年生きる計算になります。但し、これは目安で、あと何年生きるか誰もわかりません。でも私は、常に逆算しながら生きています。
ではどう生きるか?それは体力が続く限り、細々とであっても何らかの形で主に仕えたいと願っています。又、4年前に設立した、一般社団法人「ライフネットいかっこ」を通して、フードバンク、被災地支援、成年後見、墓じまいを通して地域貢献していくつもりです。地域の繁栄に生きるのが私の使命です。

主の御許に召される日
自分に与えられた使命を生き抜き、やがて地上の生涯が終わると栄光の体に変えられ主の御許に行きます。イエス様やパウロに会える。希望や楽しみが待っています。

あなたも是非、主に信頼し「キリストの内にある新しい人生」に飛び込む決心をしてください。イエス様が受け止めてくださいますので安心です。あなたの人生は開かれているのです。