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神の御霊によって礼拝し⁑2025.3.23

2025年3月30日

聖書箇所:ピリピ人への手紙3章3節

宣教題:神の御霊によって礼拝し

おはようございます。3月第4週を迎え、主への礼拝を共に捧げる恵みに感謝します。ライブ配信で参加している兄弟姉妹の皆様、病気療養中のあなた、フィリピン、ブラジル、ヨーロッパの国々から参加のあなたもおはようございます。あなたの礼拝参加をとても嬉しく思っています。このライブ配信礼拝に本庄教会以外の方も含め30人前後の方がご参加くださり、とても嬉しく思っております。これからもよろしくお願いします。 
 
さて、本庄教会では2月23日に4人の方が洗礼を受けました。それに因んで2月16日から基本的な教えの①教会とは②バプテスマとは③献金とは④キリスト者とはというテーマで考えてきました。最終回の今日は「礼拝」について考えていきます。
礼拝ということばの意味を調べてみると以下のようになります。
旧約聖書
・奉仕する⇒(他の人の必要を満たすために、仕え、働き、手伝い、自分をささげる)
・お辞儀をする(ひれ伏す)。・仕える。・求める。
新約聖書
・ひざまずく・お辞儀をする(ひれ伏す)・奉仕する・公の奉仕をする。
このようにヘブル語でもギリシャ語でも礼拝という言葉には幅広い意味があります。

●私たちキリスト者は神への礼拝がすべての生活の始まりであり中心である土台です。クリスチャンは日々の生活の中で神の御心を求めながら、意識的に、神の御心が中心、また土台として、喜んで生きる人々なのです。それは日曜日だけでなく365日神を礼拝して生きているのです。

又、クリスチャンは、主にあって様々な奉仕するようになります。特に私たちは他の人の必要を満たすために働くことを喜びとするようになります(隣人愛)。
その原動力は私たちの内に住んで働いておられる聖霊の働きによるものです(ピリピ3:3)。礼拝者として毎日生きるには、常に私達の誇りであり、信頼する、イエス・キリストだけを見上げて生きる事が重要なポイントです。私たちの生まれながらの性質である肉の思いに頼らない生き方をするのが礼拝者として生きる真のキリスト者です。
これこそが、どんな厳しい中に置かれても主にあって喜ぶ、生き方です(1節)。素直に喜べないことが多い世の中にあって、「主にあって喜ぶ」というのがポイントですね。

これを使徒パウロはいつも教え導いてくださいました。それは、肉の生き方(私たちの生まれながらの性質に頼ることを肉という)を私たちはしやすいからです。その典型が当時のユダヤ人が教えた律法主義と呼ばれるものでした。この教えは、イエス・キリストの福音、即ちイエスの身代わりの十字架の死と復活を信じただけでは救われない(たとえ救われたとしても三流のクリスチャンである)。モーセの律法を守らなければ神に喜ばれないという聖書から遠い教えです。

その教えは、男子であるなら割礼(生まれて8日目に男性性器の包皮を切り取る)を受けなければ救われない。又、土曜安息日を守らなければ救われないと教えました。こう教える人をパウロは犬ども(キャンキャン吠える)、悪い働き人(2節)と呼んで警戒するよう教えました。

●次に、私達の生き方を形に表している毎週の主日礼拝について考えてまいりましょう。
・神の御霊(聖霊)こそが礼拝の原動力であることを確認しよう(ピリピ3:3)
聖霊は神の御霊、助け主、慰め主とも言います。いつも私たちの心の内に住んで下さり、励まし、慰め、叱咤激励してくださるお方です。
質問:あなたの内に聖霊様は住んでくださっていますか?私たちは常に人間的なテクニックではなく、聖霊の導きと励ましの中での中で礼拝は捧げられるものです。

・週の初めに集まる。(使徒20:7,Ⅰコリント16:2)初代教会の信徒たちは土曜日安息日に集まったのではなく、キリストの復活の日に合わせ週の初め、即ち日曜日の夜に仕事が終わった後集まりました。通常は大勢の人が集まれる大きな家に集まって礼拝がささげられていた。ローマでは迫害が激しくなると地下墓所(地下にあるお墓)で礼拝がささげられていました。ここは地下でお墓が迷路のように張り巡らされていたので集まりに好都合でした。

・主の晩餐(パン裂き)。礼拝の中心であり、キリストの十字架の死と復活を記念するためにパン裂き礼拝が行われていた。(使徒20:7 Ⅰコリント11:25~26)キリストの再臨の日まで執り行われます。
・祈りがささげられる(Ⅰコリント14:15~16)神への感謝や賛美、願い、とりなしの祈りがささげられた。
・罪の告白(使徒2:38)ペテロの勧め。罪を赦していただく為に、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けよ。
・信仰告白(Ⅰコリント12:3)イエスは主です。教会は使徒信条を告白し続けている。
・神への賛美がささげられる(エペソ5:19~20、Ⅰテモテ3:16)人への賛美はしない。
・献金がささげられる(Ⅰコリント16:1~2 ピリピ4:18)神への捧げもの、神の物を神にお返しするのが献金の意味です。

・神のことばが(宣教・説教)語られる。(使徒20:7~9、276頁を開いてください。Ⅰテモテ3:2)ここで注意すべきことは、宣教、又は説教と呼ばれるものは、一人が一方的に話すのではなく問答していたことです。これが大切です。※使徒パウロは人々と語り合い、夜中まで語り続けた。 又、牧師の宣教が礼拝の中心ではありませんので誤解しないように気を付けてください。今まで述べたものすべてが礼拝で有り、宣教は大切ですが礼拝の一部です。

・聖書が朗読される(第Ⅰテサロニケ5:27)特に使徒パウロの手紙が礼拝の時に朗読された。
・祝祷(Ⅰコリント16:21~24、エペソ6:23~24、Ⅱコリント13:13)これは礼拝時に司会者が祈祷するのとは違います。旧約時代から受け継がれ、主によって教会の指導者に任命された者が行うものである。この祝祷により会衆は祝福の内に送り出される。
以上、これらすべてが礼拝です。そして、これこそが礼拝者として生きる私達の生き方なのです。

●今日はここまでですが、皆さん如何でしたか。4つの事を考え書いてみましょう。
①今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
②今日の聖書箇所を読んで何をどのように感じましたか。
③今日の聖書箇所を通してあなたが、今から実行に移せることは何ですか。
④今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください。