【最新情報10件】左から右へスライド

天に宝を積みなさい 前半⁑2025.1.19 

2025年1月19日

聖書箇所:マタイの福音書6章19節~24節
宣教題:天に宝を積みなさい 前半    
  

今日は「天に宝を積みなさい」という題でマタイの福音書6章から私達の生き方について考えてまいりましょう。5章~7章迄続く山上の垂訓は、イエスが生き方の本質を語っている場面です。この場にイエスと共にいる気持ちで話の中に入ってまいりましょう。

19:聖書ではお金(宝)を汚いものとか悪いものとは教えていません。それを用いる人の使い方次第で良くも悪くもなります。幸せにもなるし、不幸にもなります。それ故、お金を正しく使う事を心掛けたいものです。勤勉に働いて、収入を得、又、通常の仕事以外にも、株式投資や不動産投資に関心を持ち、世の中の経済活動に参画し、結果として収益(報酬)を得、又損失を被る事は通常の経済活動です。

では何故、イエスは自分の為に地上に宝を蓄える事をやめよと言っているのでしょうか。それは自分のだけが儲けを独り占めする、自分以外はどうなってもよい、欲の皮が突っ張っている、金の亡者となり、社会に還元するのはまっぴらごめんという、生き方をする人に対しイエスは自分のために、地上に宝を蓄えるのをやめなさいと警告しているのです。何故やめないといけないのか。理由は簡単です。自分の為にだけ地上に宝を蓄える人は、良い着物であれば虫に食われて、価値がなくなり、金属はさびて使い物にならず、泥棒が家を壊して盗むからです。
※2千年前も、今も変わらない真理です。日本では、金持ちの家に強盗が入り込んで金品を奪う事件が多発しています。また、努力して地上に蓄えた宝は最終的にゴミになります。私は不要品整理の仕事もしていますので、ごみの山となっている光景を何度も見てきました。

20:ではイエスは宝をどこに蓄えよと命じているか。自分の為に天に宝を蓄えよ。注目すべきは、他人の為でなく自分の為(あなた自身の為)とイエスは言っています。これを前提に、自分がまかされているお金や富を神の御心に沿った使い方をしなさいと言う事です。

働いて得た収入は自分や家族の為に使うのは当たり前です。でも、それは自分の為に天に宝を蓄えるのとは違います。天に宝を蓄える生き方は、貧しい人の為、困っている人に対して、キリストの愛を表す行為としてお金や時間を使う。これが天に宝を蓄える生き方です(22節)。

でも実践すると私達の地上の銀行預金残高は余り増えません。でも大丈夫です。イエスのところ(天)に宝を蓄えれば、そこでは盗まれる心配もなく、錆びや虫がつく心配もありません。しかも、人を愛する生き方(投資)は満期日まで解約できない定期預金と同じです。そして満期日(自分の生涯を終えイエスの身許に帰る日)には、主は私達に天の宝の銀行通帳(いのちの書)を見せてくれます。そして主は「よくやった、良い忠実な僕だ」とほめてくれます。

天に宝を蓄える人の生き方は確実に変わります。何故ならイエスが最も喜び生き方なので主がその人を応援するからです。
あなたにお聞きします。あなたは本気でイエスが言われた天に宝を蓄える生き方に賛同しますか。もし、本気でイエスが命じた生き方を実行する人が教会内に起こされたら、内面から変わります。イエスの御心にかなう生き方をしているからです。キリスト者にとって大切なのはキリストの前に誠実な生きることです。又、天に宝を蓄える人は地上の生活で困る事は少ないです。

21:人の生き方や生活はその人の心の中にあるものが現れます。天に宝を積む生き方をする人は隣人の幸せの為に生きようとします。逆に地上に宝を蓄えることに夢中な人は自分の幸せしか考えません。クリスチャンもそのようになりえます。宝のある所が違えば、同じキリスト者でも生き方が全く違う生活をするようになります。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心があるのですから。

22~23:ここはユダヤの慣用句です。私達には理解しにくい表現です。でもイエスは当時のユダヤ慣用句を使って、天に宝を蓄える生き方と、地に宝を蓄える生き方の違いを述べました。

目が健全(健やか)とは、貧しい人に気前よく施すという意味で、逆に23:目が悪いとは、その逆でケチ、自分中心、憐れみがない生き方という意味になります。ですから、イエスはここで目の明るい人になりなさい。そうすれば体全身から神の愛が溢れ出る。気前良く施して生きよという勧めを、当時の慣用句を使って「天に宝を蓄えるよう」に勧めているのです。受けるより、与えるほうが幸いである、というイエスの言葉と同じ意味になります。

この様にイエスは、目が健やかなら全身が明るくなる、逆に目が悪いと全身が暗くなるという当時の人が誰でもわかる言葉を用いて天に宝を蓄える生き方を教えているのです。イエスの教えはいつも具体的です。

24:ここは結論部分。キリスト者は誰に仕えるべきか。私達は神の僕として、神と富の二人の主人に仕えることはできません。富(金銭)に心を奪われず、主(しゅ)の心をもって生き人に施し、主の為に用いる。これが神に仕える人の、天の宝を蓄える生き方です。

この話をイエスは当時のお金が好きな人々を念頭に置いて話している様思います。自分の宝を地上にばかり蓄える人の末路(ユダヤの指導者)は、みじめで、虫がつき、錆びていきます。あなたも自分の為に地上に宝を蓄えようとするなら、魅力のないキリスト者に成り下がってしまいます。
最後に初代教会の信仰者たちの生き方を見ていきましょう。彼らの300年にわたる生き方から、キリストの福音が全世界に広がって行きました。

今日は「天に宝を積みなさい」というイエスの山上の垂訓に心を留め、キリストにある者の生き方を考えてみました。キリストの再臨が近づいている今こそ、今日のみことばを真剣に受け止め聖書が示す教会へと変えられていこうではありませんか(次回へと続く)

●皆さん如何でしたか。今日の聖書箇所を通して4つの事を考え書いてみましょう。
①今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
②今日の聖書箇所を読んでどのように感じましたか。
③今日の聖書箇所を通して今から実行に移せることは何ですか。
④今日の聖書箇所と関連した個所や聖句があったら教えてください