
2025年1月5日
聖書箇所:ハガイ書1章1節~15節
宣教題:自分中心に生きる人よ
あけましておめでとうございます。新しい一年2025年、最初の礼拝をささげることが出来ますことを感謝します。ライブ配信で参加している主にある兄弟姉妹の皆様、病気療養中のあなた、ブラジルやフィリピンから参加しているあなたもおはようございます。あなたと一緒に捧げる礼拝の恵みを感謝します。本日の説教原稿も、本庄キリスト教会HPの礼拝メッセージTOP欄に自動翻訳機能付きで掲載されていますので是非ご覧ください。
昨年12月はマタイとルカの福音書からイエス誕生の意味や背景、関係する人々の視点、また12歳のイエス様について学んできました。元旦礼拝はマタイの福音書、イエス山上の説教から、「今日一日ベストを尽くして生きよう」というテーマで考えました。
今日から、旧約聖書のハガイ書から当時の人々の生き方を通して考えてみたいと思います。昨年9月22日迄、ゼカリヤ書を学びました。テーマは神殿再建でしたね。ハガイは、ゼカリヤと共にイスラエル(ユダヤ人)の民を励まし導いた預言者です。今日は彼が書き記した預言書から学んでまいりましょう。(※年代はハーレイの聖書ハンドブックから引用しています)
1:ハガイが生きた時代は紀元前500年代でした。今から2500年以上前の人物です。
そんな昔の古い話ですが、今の私達の時代にも話の内容はそのまま適用できる新しいものです。「ダレイオス王(ペルシャ、今のイラン)の第2年、第6の月の1日に」、この日を今の暦に直すと、紀元前520年8月29日になります。総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアをリーダーとして、5万人を引き連れてエルサレムに戻ってきた時から(前536年)既に16年が過ぎていました。エルサレム神殿が荒れ放題の時、預言者ハガイを通して民に主のことばが語られました。
2:当時ユダヤはバビロンの後継国であるペルシャに支配され、イスラエル人は国を失いバビロンに捕らえられていましたが、70年後、国に帰りエルサレム神殿再建を許されました。この時、万軍の主なる神は、この民と彼らを呼んでいます。普通、神はイスラエルを私の民と呼びます。でもここではこの民と呼んでいます。理由は彼らが神の御心に従っていないので神が彼らを怒り、この民と突き放した呼び方をしています。具体的には何を怒っているのでしょうか。
何故国に戻ってきたのか?彼らの心のよりどころである神殿を建て直し、新しい国造りをする事でした。彼らは帰ると直ぐ神殿の土台を据えました。しかし、その後、周りの民の妨害を受け工事を中止してしまっていたのです。理由は恐れ。周りの民からの妨害を恐れていたのです。
そして彼らは屁理屈を言い、自分勝手に主の御心を自分達に都合よく変え「時はまだ来ていない。主の宮を建てる時はまだ来ていない」と、主の御心に不従順でした。※こういう事は私達の生活でも良くあります。自分の生活を優先して神の御心を忘れてしまう。今日の宣教題のように、自分中心に生きる。昔の人も今の人も、人間の本質は変わりません。
3~6:預言者ハガイを通して主が語られた。この宮が廃墟となっているのに。70年以上前バビロンのネブカデネツォアル王によって破壊し尽くされたままでした。あなた方だけが板張りの家に住む時だろうか。あなた方だけ立派な家に住んでいていいのですか?今そういう時なのですか?他にやるべきことはないですか?このように神はイスラエルの人々に語り掛けているのです。神は彼らが今迄の事を振り返り、良く考えよと語り掛けているのです。
5:あなた方の歩みをよく考えよ。あなた方が自分たちの事ばかり優先して私(万軍の主)に従わないでいるから、6:多くの種をまいても収穫はわずかでしょ。食べても満ち足りず、お酒もおいしく飲めず、着物を着ても温まらず、金を稼いでも、直ぐになくなってしまうでしょ。これが神の御心に背いて自分優先する人の結末です。今も変わらないですね。
7:再び主がハガイを通して民に語り掛けます。「あなたがたがエルサレムに戻った意味をよく考えよ。今迄の16年間の歩みをよく考えよ。あなた方が第一にするべきことは何ですか。民族の心のよりどころであるエルサレムの神殿を再建する事ではないのですか。その為にエルサレムに戻ってきたのでしょ」この様に神は民にハガイを通して語りかけたのです。
※私達の生活も同じですね。神の御心は何かを求め、第一にする生活こそ最も神に祝福されるというのが信仰生活の基本です。マタイ6:33。まず神の国とその義を第一に求めなさい。そうすれが、それらのものはすべて与えられます。皆さん、忘れないでください。神を忘れて自分中心で生きた結果は、ろくなものではありません。神の祝福は逃げていきます。そのことはイスラエルのこの姿を見ればわかります。彼らは周りの民の脅しにあって神の御心を忘れ、自分の利益にだけ心を向けて生活していたのです。
8:結論部分。神は、イスラエルの民がご自身に逆らっている時も、怒ったままではありません。神の本質である彼らに対する深い愛があります。ですからここで彼らの信仰決心を促しているのです。それは具体的な行動をすることでした。信仰は信じたことを行動で示すもの。行いのない信仰は死んでいるのです。愛も同じですね。愛(名詞)を語っても、行い(動詞)にならなければ何の役にも立ちません。愛には常に相応しい行動が伴います。ここでは神がご自身への愛を彼ら(ユダヤ人、そして私達)に具体的な行動で示しなさいと命じています。
・山に登り、目的は木を切り出す目的。その為にまず山に登れ、信仰生活も同じです。常に神の御心を求め目標(ゴール)を定めることが大切になってきます。
・木を運んで、次に具体的な行動、作業をする。額に汗して働く。
・宮(神殿)を建てよ。皆でチームワークよく建て上げる。キリスト教会も同じです。教会の中での自分の役割に忠実に生きる。キリストの体の一部として忠実に働く。これを多くの人は忘れて教会の中で自分の都合を優先させる。そういうメンバーが多い教会は祝福が少ないです。
・私はそれを喜び、栄光を現わす。行動した結果、神が力を与えて恵みを増し加えてくださる。
●皆さん如何でしたか。今日の聖書箇所を通して4つの事を考え書いてみましょう。
①今日の聖書箇所を通して神があなたに語り掛けていると思う事は何ですか。
②今日の聖書箇所を読んでどのように感じましたか。
③この聖書箇所を通して今日から実行に移せることは何ですか。
④今日の聖書箇所から関連した個所や聖句があったら教えてください。