ダニエル書(8)

2023年4月24日

2023年2月5日
聖書箇所:ダニエル3:19~30
説教題:「ほむべきかな 彼らの神は」  

おはようございます。2023年2月5日第1週の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。またネット配信を通して共に礼拝しているあなたもおはようございます。お元気でしたか?
お会いできてうれしく思っております。それではご一緒に聖書から学んでまいりましょう。
 
前回の話を振り返ってみましょう。バビロンの王が巨大な金の像を作り国中の者にこれを拝めと命じますが、ダニエルの友達、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはあなたの神々には仕えず、金の像を拝むこともしませんと答えます。また火の中に投げ込まれても、私達が仕える神は、火の燃える炉から救い出してくれる。あなたの手からも救い出すことが出来ます。たとえそうでなくても(助け出されなくて死んだとしても)あなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むことはしません。彼らの信仰告白、彼らの生き方を多くのことを学びました。

今日はこの続きとして19節~30節迄です。王の怒りを買った3人はどのようになったのでしょうか。3つに分けるとわかりやすいです。①19節~23節 怒り狂う王②24節~27節 火の炉に投げ込まれた中で③28節~30節 王に認められた3人。それでは進めていきます。

①19節~23節 怒り狂う王
19:三人が唯一神への信仰告白をした為に王の面目は丸つぶれとなりました。こうなると気性が激しい王は即怒りに満ち、即刻、3人を燃える炉の中に投げ込むよう命じます。しかも7倍熱くせよとの命令も加えました。7倍の熱さにするとは刑罰として死刑の宣告と思われます。
20:刑の執行官は軍隊の中でも特に力ある者達が選ばれました。3人は縛られたままで火の燃える炉に投げ込めとの命令を受けます。
21:3人は衣類を着たまま投げ込まれました。
22:王の命令が急だったので、刑の執行官たちは余り準備をしていなかったのかもしれません、熱い炎の為に焼け死にました。いかに火の熱が激しいかが伝わってまいります。

23:3人は縛られたままで火の燃える炉の中に落ちていきました。
※3人は厳しい状況に追い込まれ、ついに炉の中に落とされましたが、そうなっても彼らの確信は揺らぎません。「しかし、たとえそうでなくても」の信仰があったのです。ここが私たちの学ぶところですね。
私たちの信仰生活においても、いつも良いことばかりではありません。むしろ厳しい事のほうが多く起こります。イエスを信じて救いを受けても試練に会うのです。でもその中にあって主が共にいて守ってくださいます。
何故なら主イエスは、見よ、世の終わりまでいつもあなた方と共にいると約束してくださったお方で有ります。(マタイ28:20)これは私達に対しての約束でもあります。この確信に立って歩む人こそ本物のキリスト信仰者です。実に信仰生活のパターンは困難な中にいても主が共にいて助けてくださる。これによって生きた神体験をすることが多いのです。

②24節~27節、火の炉に投げ込まれた中で
24:死刑執行を見届けた王は異変に気付きました。炉に投げ込まれたのは3人のはずだ。
25:でも4人見えるというのです。しかも何の害も受けていない。さらには第4の者の姿は神々の子のように見える(この発言はネブカドネツォアル王の発言です)。ではこの第4の者とはだれか?断言はできませんが旧約聖書の時々登場する受肉以前のキリストではないかと思われます。いずれにしても彼ら3人は完全に神によって守られたのです。そうです。奇跡が起こったのです。

26:王は炉に近づきシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの3人に出てくるように命じ、彼らは出てきました。ここまでの話はここにいる誰もが経験したことはありませんし。勿論当時もありませんでした。でも現実に神の御手(主権)の中でこの事件は起きたのです。私たちはそのまま事実として受け止める事が一番賢明です。創造主は神の主権をもって不思議なことをなさるお方です。
27:皮肉にも政府高官たち3人の証人となりました。炎の影響は一切なく3人はすべて元通りの姿で出てきたのです。神が主権をもって公にしています。

③28節~30節 王に認められた3人 王の承認を受けた3人
28:王はこの出来事を目の当たりにして、彼らが信じていた唯一神をほめたたえました。「ほむべきかな シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神」王の神概念はまだ唯一の神ではなく、まだ神々の中の最高の神というレベルですが、3人が信じている神を認め、その信仰に対しても敬意を表して讃えています。3人は体を差し出しても自分が信じる神を信頼するゆえに金の像を拝まなかったと讃えています。こうして彼らは王から信頼されるようになるのです。

※私達も同じ事が起ります。たとえ小さな信仰でも聖書の神を信頼して生きるなら、結果として人から評価されるのです。又たとえ評価されなかったとしても神に信頼し続けるならあなたの人生の道は開かれます。そして神はあなたの信仰の歩みに対してよくやったと認めてくれるのです。このように信頼を築き上げていくのがキリスト者の生き方です。

29:王の命令。3人の信仰はバビロン帝国の中で認められ、彼らは唯一神への信仰ゆえに迫害される事はなくなりました。
30:こうして3人は王の信頼を受け今迄以上に良い仕事をして評価されるようになるのです。

適用
●神への信頼を貫く
神への信頼を貫こうとすると一時的に不利なことがあるかもしれません。でも最終的には周りの人から信頼を勝ち得てあなたらしい確かな人生を歩むことが出来るのです。それ故、あなたは融通が利かないとか、固い人間だとか言われても神への信頼(信仰の本質の部分)という点では妥協しない。その代わり信仰の本質以外の部分では状況に合わせて柔軟に対応することが必要です。
その生き方の基本は隣人愛、受けるより与える愛だと言う事です。(ここ大切ですね)

●普段の証の重要性
王は彼らの生き方を見て、「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神」と言って彼らの神をたたえ、3人に対して正当な評価をしました。私達も同じですね。異教社会の日本でたとえ小さな信仰であっても家庭や職場や地域社会でよい証を積み重ねていく時に評価されるのです。その積み重ねによってキリストの証が広まり救われる人も増えてくるのです。
結び
今日は3人の信仰告白、生き方、試練、そして逆転の人生から学びました。この話は同時に私たちの生き方と直結します。いかがでしたか。
これで3人の話が終わり、次回から再び王の夢の事でダニエルが登場します。ご期待ください。