ダニエル書(7)

2023年4月24日

2023年1月29日
聖書箇所:ダニエル3:8~18 
説教題:試練を乗り越えて 

おはようございます。2023年1月29日第五週目の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。またネット配信を通して共に礼拝しているあなたもおはようございます。お元気でしたか?
それではご一緒に聖書から学んでまいりましょう。
 
今日はダニエル書の続きです。若いダニエルは、王の見た夢を堂々と解き明しまました。それは神がネブカドネツァル王に終わりの日までの歴史を示した壮大な夢でした。この夢を神の啓示を受けて解き明かしたダニエルは王から信頼され高い位につきバビロン全州を治めることになりました。又三人の友達も高い地位につきました。今日はその続きで試練を乗り越えてというテーマで話します。特にダニエルの三人の友達の信仰から来る確信について考えていきます。

さて、ダニエルを通して夢の解き明かしをうけた王は謙虚になっているかなと思いきや、そうではありませんでした。3章1節~7節を読むとその逆でドラの平野に巨大な金の像を建てます。高さ60キュビト(27Ⅿ)幅6キュビト(2.7Ⅿ)王が自分の権力を人々に見せつける為の建造物です。そして奉献式に国中の政府高官や主だった人たちを集め、この像にひれ伏せと命じました。6節、ひれ伏して拝まないものはだれでも即刻、火の燃える炉に投げ込む。死刑と言う事です。
故にすべての民はその音楽隊の音を聞いてひれ伏して金の像を拝んだのです。高慢な思いと支配欲が頭をもたげて金の像をたてたのです。

※ブカドネツァル王はダニエルを通して神が世界を支配するお方であると示されても、彼にとってはすべてが他人事で、苦しみ悩みを乗り超えたらすぐに忘れる。すべてを自分の都合に合わせて考える人です。王にとってダニエルが信じていた神は神々の中の神の一つにすぎませんでした。
そして一番偉いのは自分です。

以下3つの区分です。
●8~12:狙われた三人
王の思いと裏腹にダニエルの友達三人は王が建てた金の像に対してひれ伏す事をしませんでした。当然です。彼らは創造主なる神だけに礼拝をささげた人物です。しかし、こういう時を利用して彼らを陥れる人が出てきます。彼らのターゲットはダニエルの友達で三人に対してであります。三人はそれぞれバビロンで偶像の神の名前にちなんだ名を付けられた人たちです。ハナンヤ(シャデラク)、ミシャエル(メシャク)、アザルヤ(アベデ・ネゴ)でも彼らは異国で囚われの身で有っても創造主以外にひれ伏すことをしませんでした。

彼らが陥れようとした手口は中傷です。中傷とは根拠がない悪口を言いふらすことですが、これは妬みから来ています。実力では負けるのでこの機会をとらえて王に訴え出たのです。「あなたは金の像にひれ伏して拝まないものは誰でも、火の燃える炉に投げ込めと命じましたが、あのユダヤ人三人はあなたの命令を無視してあなたの神々に仕えず、金の像を拝みません」

何かあると弱みを無理やり作って人を陥れるのは人間の常ですね。私も会社に勤めていた時、クリスチャンは葬式で線香をあげないんだと、わざと大きい声で言われたことがあります。人と違っていること変わり者とみるのが私たちの国民性です。だから形だけ同じようにしておけば波風立てないで済むだろうと考えて行動する人も多いです。日本人は人との関係で波風立てるのが嫌いな国民性ですから。本音と建前が違います。平和に生きるために一つの考え方ではありますが….

●13~15節怒り狂うネブカドネツァル王
王はカルデヤ人たちの言葉を聞いて怒り狂い、三人を連れてくるように命じ、問いかけます。
「お前たちは私の神々に仕えず金の像を拝まないというが本当か。これから拝むならそれでよいが、拝まないなら即刻火の燃える炉に投げ込む。どの神が私の手からお前たちを救い出せるだろうか」※2:47で、夢を解き明かしたダニエルに対して、あなたがたの神こそ、神々の中の神だと告白しても、彼の頭の中は自分が絶対で聖書の神、創造主も神々の中の神でとどまっていたのです。

●16~18節 ここが今日のポイントです。絶対権力者の王を前にして三人の対応
 「もし、そうなれば、私達が仕えている神は、火の燃える炉から私達を救い出すことが出来ます。
王よ、あなたの手からでも救い出します」この堂々とした対応は見事ですね。怒り狂う権力者を前にして、こびたり、ご機嫌取ったりせず、ひるむこともありません。王に対して堂々と自分の確信を述べています。この力の源は神から来ています。

18節はもっといいですね。「しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたがたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません」火に投げ込まれて死んでも拝まないと言う事です。実は殉教の死を遂げる事のほうがはるかに多いのです。日本でもキリスト信仰ゆえに迫害され殉教の死を遂げた例は数えきれません。
※戦国時代が終わり豊臣秀吉や徳川三代の時代にキリスト教禁令が発令され宣教師は追放又は殺され、日本人信徒も逮捕され死刑になったキリシタンが沢山いました。昭和の戦時中にも特別警察によって逮捕された牧師もたくさんいました。牢獄の中で死んだ人もいたのです。

彼ら三人はたとえ死んでもあなたが建てた金の像は拝まないと宣言したのです。絶対権力者に対してです。この時、王の顔はみるみる怒りに満ちていきます。でも若い彼らの態度は変わりませんでした。こ実は信仰の歩みは自分の思い通りにならないほうが多いのです。

適用
①あなたは悪意ある訴えに対しどういう態度をとるか。
世の中に妬みやひがみはつきものです。何故ならあなたの心の内にも妬みやひがみが常にありますから。クリスチャンだから妬みやひがみから全く解放されているということは残念ながらありません。ではあなたが、人からねたまれたらどうするか。淡々といつも通りに神を信頼しつつその課題を神の支配に委ねて生きる。やがて神が時至った時に解決して下さる。策略を練らない事。

②三人の態度から何を学んだか。
彼らはまだ若いです。20代かもしれません。でも神に信頼して生きているので必ず神は助けてくださるという信仰から来る確信と力が備えられました。また、たとえそうでなくても、神の計画は奥深いので信仰ゆえに苦しむ場合が多いのです。でもそうであっても神はあなたに最善(生きる力を含めて)をなしてくださる確信を持ち続ける。ここ大切ですね。
結び
私達にも人生の試練は常にあります。ではどうしたら乗り越えられるか?人を恐れず私達に命を与え生かしてくださる創造主なる神を恐れ敬う。神は主権をもってすべてを導いてくださいます。しかし、たといそうでなくてもという時が多くあります。でも常に主は最善の道を示して試練を乗り越える力を備えてくださいます。今週も最善をなしてくださる主を見上げて歩んでまいりましょう。