クリスマスの目的

2022年12月30日

2022年12月24日
参照聖句:ヨハネ3:16~17
説教題:星に導かれて 

 
クリスマスおめでとうございます。今年も残り一週間となりましたが皆様とともに世の光であるキャンドルをともしてクリスマスをお迎えできることを感謝します。

さて皆さんはクリスマスでどんな思い出がありますか?私はキリスト信仰とは無関係の家で育ちましたので信仰的に特別な行事は何もありませんが、子供のころ杉の木でクリスマスツリーを作りケーキとカレーを食べて過ごしたことを思い出します。でもクリスマスの意味は分からないですし、詳しく聖書から教えてくれる人はいませんでした。

ところが18歳になって初めて聖書を読むようになり二千年前に神が人を罪から救うためイエス・キリストをこの世界に人として生まれさせた事をお祝いする日だと知りました。
但し聖書を読むとキリストが生まれた時、今のように全世界でお祝いする雰囲気はなく、むしろ数年後に命を狙われる危険もあったくらいです。イスラエルのナザレ村の家畜小屋で羊飼いたち数人にお祝いされただけの寂しいクリスマスでした。またイエス誕生の正確な日も本当のところはだれも分かりません。ただ後になってキリスト教会の指導者が12月25日と定めて誕生をお祝いしたことにより続いています。そして今は全世界の人がキリスト誕生をお祝いして幸せな気分になるのでイエスの誕生は全世界に影響を及すごいことだと思います。

では何故12月25日にしたか?それはこの日が冬至のあとの日だからです。ご存じのように冬至は昼の時間が最も短い日ですが、冬至が過ぎると太陽が光を増して明るい時間帯が増えます。これに合わせて初代教会の指導者は12月25日にしたと私は考えています。何故ならキリストは多くの人を照らす真の光、義の太陽であるからです。キャンドルをともしてイエス誕生を祝うのも誠に意味ある事です。因みに今年の当時は12月22日(木)でした。

もう一つ大切な事。今日12月24日クリスマスイブは、クリスマスの前日ではなくクリスマスのイブニング(夜)の意味。聖書の世界では一日の数え方が日没から次の日没までと決まっていました。ですから24日の日没はもうクリスマスと言う事になります。
さて、プログラムを見てください。ヨハネの福音書3章16節。この聖句は非常に有名で「聖書の中の聖書」とか「小さな聖書」と言われたりします。群馬県出身の新島襄先生は、この言葉を読んで「これは新約聖書の富士の山、富士山で有る」と言ったとのことです。何故ならこの短い言葉の中に聖書の中心メッセージすべて入っているからです。

1.神は 16節。この神は日本人が作った八百万の神ではなく、私たち人間とこの世界のすべてを無から創られた創造主のことで、唯一神とも言います。日本ではなじみがないかもしれませんが本当の神は唯一絶対者で有ると共に人をこよなく愛する真の神です。

2.実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
ひとり子はイエス・キリストのことで、父なる神が特別に愛するご自身の比類なきひとり子の神イエスを人としてお与えになったほどに私たちを愛された(大切にした)と言う事です。ここで注目したいと言葉は、①実に②ほどに③愛されたという言葉です。これは親が自分の命を犠牲にしても尚、子供を大切にする事と似ています。※先日妻の友達が自分の息子の腎臓移植の為、何のためらいもなく自分の腎臓を提供しました。こういう行為は神が人を愛する愛と似ています。

3.それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。
残念ながらすべての人は神の前に生まれながら罪・原罪(的外れ)の性質から来る悪を持っています。キリスト者であるか、無いかに関係なく。罪は一生私たちの心から消えません。完全に克服することはできないのです。それ故、人は死で終わりではなく、神の前に出て人生の総決算、審判を受け、義とされなければ最終的に滅びます。永遠の地獄に陥るのです。

でも滅びないで永遠の命を得る方法があります。どうしたら良いか?それは一方的なに神の愛によって赦される(免除)方法です。残念ながら人間の努力で神の前に正しいとされる人はだれもいません。神の側から罪がないと認めてもらうのが唯一の方法です。

4,17節、罪が赦される方法が「神が御子を世に遣わされた」です。これこそクリスマスそのものの意味です。神、この世界とすべてのものと人間を造られた創造主、御子はイエス・キリスト、そして神がキリストを2千年前に人としてこの世界に送られた。私たちが親しみをもって真の神を理解できるよう私達と同じ人間としてキリストをこの世界に遣わされたのです。

では具体的に何故この世界に御子キリストを遣わされたのか?御子によって世が救われるため。
御子はイエス・キリスト、世は人間のこと。即ち、イエス・キリストを通して人が救われる、神が御子をこの世界に遣わされた。これがクリスマスの目的です。
注目すべきは救われるという言葉です。何から救われるのか?貧乏から。借金苦からですか、
なんだと思われますか?それは私たちの命と生き方に関することで、あなたや私の心の中にあって最も嫌なもので、誰もが完全に解決することができないものです。そうです、先ほど述べたすべての人の心のうちにある罪、原罪、人間誰もが持っていて自分の力で克服することは不可能です。

聖書でいう罪は的外れの意味で、創造主なる神によって造られた人間がその神を神として見上げないで別のほうを向いて生きていることを罪といいます。このように人は神との関係において罪人なのです。その結果人は自己中心的に生きてしまい具体的な争い、憎しみを持つようになるのです。聖書の救いはここから救われ新しい命を受ける事です。最終的に私達を死の絶望から救いだし解放してくださるのが目的でキリストがこの世界に遣わされたのです。

では私たちは神から遣わされたクリスマスメッセージに対してどう受け止めればよいか?
それはキリストを私の救い主と信じる(信頼する)ことです。具体的には①キリストが私の罪を赦す為に十字架上で神の刑罰を受けて死なれた事②そして墓に葬られた③三日目に復活し④今も生きておられる。これが御子を信じる者と言う意味で、信じた人は罪が赦され新しい命を受けます。

※私も18歳の時イエスを救い主と信じて新しい命を受け生きる希望が湧きました。50年たちますがこの救いは今も変わりません。来年69歳になりますが、私に与えられた使命がたくさんあって毎日フル回転です。死ぬまでフル回転かもしれません。生き方の中心は人の為に生きる事です。これがキリスト者の生き方の特徴です。自分の楽しみは後からついてきます。
あなたの心でイエスを救い主と信じ受け入れたらあなたの心に新しい命と罪の赦しによりあなたに新しい人生が待っています。お祈りします。