マタイの福音書(11)

2022年12月24日

2015年3月22日
聖書箇所:マタイ6:25~34
宣教題:おもいわずらうのはやめなさい 

先週は召天者記念礼拝が守られて感謝でした。皆さんと共に先に召された方々を覚え、ご家族と交わりが与えられることは幸いな事です。今日の宣教は山上の垂訓の最後になります。来週は洗礼式の予定ですのでバプテスマ関連の話になります。4月5日はイースターですので復活についての宣教になります。4月12日からは皆様に予定表を渡してありますようにパウロ書簡を書かれた年代に沿って話してまいります。新しい年度も主の御言葉を幅広く沢山学んでまいりましょう。

それではマタイの福音書6:25~34節から学びます。この山上の垂訓を理解していくためにいくつかの事を理解しておくことが大切です。それはマタイの福音書は新約聖書の初めに書かれていますが、まだイエス様の十字架の死と復活以前である事、そして教会が誕生していませんので旧約の時代だと理解しておく必要です。ここではイエス様がモーセ律法の真の意味を解き明かしています。更に山上の垂訓はイエスの弟子たちが使徒として任命された後の話です(ルカ6:12~)。という事は何を意味するか。彼らはイエスをメシヤと信じる信仰により神の前に義とされて、心の中に新しい性質が与えられている人に対して語られていることになります。だからイエスは弟子たちに、幸いだね、自分が心貧しい人だと知っている人は、と言って語り始めるのです。今日の箇所も一連の続きになります。私たちもガリラヤの花が咲き乱れているところで主が弟子たちに語りかけていることを思い浮かべながら共に学びましょう。

今日の箇所のテーマは、心配しないように、おもいわずらわないようにというイエスの勧めです。
25節 
このイエスの問いかけは、自分の命の事でとは、今日の事ではなく、今年1年、来年、5年後、10年後の命についての心配事、不安、思い煩いを言っています。この心配は今日の夕ご飯はかつ丼にしようか、それともラーメンにしようかと言って悩むことではありません。また来週の洗礼式に教会には何を着たら良いか、イースターはどの服がいいかなと言って悩むこととは全く違います。当時の多くの一般庶民は今の日本人のようにものをたくさん持っていませんでした。今年雨が降らなければどうしよう。作物が取れないときにはどうしようと言う心配ばかりする時代の中に生きていました。毎年毎年天気を思っては心配していた。あるいはガリラヤ湖の水の量を見ては思いわずらっていたのです。イスラエルでは水はものすごく貴重です。何故か?雨は秋と春に降るだけです。日本の数分の一の量です。だから多くの人は毎年食べ物、飲み物、着るものが心配なのです。
その様な中で生活する弟子たちに対してさえもイエスは思い煩うなと語りかけました。水が豊富にあり、緑と水が豊かな日本では考えられない事です。例:思い出してください。普通私たちが心配するのはどのような時ですか。神に全き信頼を置いている時に、これが心配、あれが心配と言って思い煩い、不安になりますか。なりません。神への信頼が薄れている時に心配の種は尽きないのです。今がすでに老後なのに、自分の老後はどうなると言って心配するのです。年金は毎年下がってくるしどうなるのか。家族は自分の事を見捨てるのではないかとか・・数え上げたら尽きません。

26~30 2つの事を例に出して心配しなくてもよい理由を語っています。
空の鳥 彼らが自分から食糧を造っている光景を見たことがありません。主は必要なものを備えて彼らは生きています。今年も4月になるとまた、タイやフィリピンからはるばるツバメが飛んできて軒先に泥で巣をつくり、卵を産み、雛を育ててまた南の国に帰ります。鳥に対してこのようにしてくださるのだから、ましてやあなた方に対して良くしてくださらないわけがありません。天の父が養うから大丈夫なのです。また、27節にあるように心配しても寿命は延びません。その人その人に天の父が命を与えているので天の父なる神に任せて、生きるしかないのです。但し任せるとは、自分で何もしないで棚から牡丹餅式に良い事が転げ込んでくる事ではありません。使徒パウロが「働かないものは食べるな」と言って真面目に働き、仕事することを勧めたように、また健康に気を配って生活することは当然の事ですので誤解の無いようにお願いします。
あと一つの例話28~30 着るものも備える天の父
弟子たちはこれも心配しました。しかしイエス様は言います。野のゆりを見よ。これは野に咲くアネモネの事のようです。きれいに咲き誇る野の花を見て、主は天の父が良くしてくださるから心配するなと言われました。栄華を極めたソロモンでさえ此花の一つほどにも着飾ってはいませんでしたと言って、旧約聖書の人物ソロモン王を例に出して話されました。
ここで注目したいのは人が思い煩い、心配する事の源は何だと思われますか。いかがでしょうか。
それは天の父を信頼していない、すなわち不信仰、あるいは信仰の薄い人よと言っています。信仰の小さい人よとも訳されています。主イエスを仰ぎ見て生かされようではありませんか。
31~34 思い煩わないためのポイント
①天の父はあなたに必要なものを良く知っておられる
②神の国とその義をまず、第一に求める。天の父なる神の心を優先して求め続けて生きること。何が主の御心なのかを求め続ける。ポイント:自分のお心を神の御心と思いこまないようにしよう。

私たちの基本的な生き方 34
①将来の事を心配しない
仕事、健康、家族、年金等様々な不安材料はあるかもしれない。子供の将来は果たして大丈夫なのだろうか。夜も寝られないかもしれません。でも大丈夫、天の父が必要を知っておられる。だから主に任せて生きる、将来の事を心配しない。
②今日を精一杯生きる
労苦はその日その日に十分あると主は言われるのだから苦労のない生き