マタイの福音書(7)

2022年12月24日

2015年2月15日
聖書箇所:マタイ19:13~15
宣教題:子どもたちから学ぼう 

先週はイエス様が5つのパンと2匹の魚を通して5000人以上の給食をした奇跡の話でした。しかもイエスが弟子訓練の中で行われた御業でした。「あなた方で、あの人たちに何か食べるものをあげなさい」と言って弟子たちを主の御業に用いて訓練しています。同様に主イエスは私たちの日々の生活の中においても様々な事を通して訓練されます。主から力を頂きつつイエスに似た者に変えられていくならば幸いです。

さて今日はマタイ福音書19章13節~15節を通して「子どもたちから学ぼう」という題で話します。主イエスは弟子を訓練するためにいつも教室の中での授業はしていません。外に連れて行き、自然界を通して、またパリサイ人との問答を通して、考える事を通して教えてくださいました。私達キリスト教会では一方的な宣教を聞くだけで「良し」としていた部分があります。又それで礼拝したという気分、傾向はなかったでしょうか。
でもそろそろそのような事とはオサラバして、聖書が何と言っているかという視点で学ぶ必要があります。そのためにも、文章の流れの中で意味を読み取り、ユダヤ的背景を理解して考えていくことが前提条件になります。でないとみことばの意味を誤解して受け止めてしまいやすいのです。結果的に聖書が言っていないことまで人に押し付ける事も出てきてしまいます。注意が必要です。そのうえで現代に適用し、みことばに従い、生き方が変えられていくことが何よりも求められます。

今日の聖書箇所をみるとイエス様はあと3、4か月後に十字架の死を迎える時期です。19:1にイエスはこの話を終えると、ガリラヤを去ってヨルダンの向こうの地にあるユダヤ地方に行かれたとあります。これはヨルダン川の東のペレヤ地方に行かれたという事です。この後イエスはエルサレムに向かって旅をして最後にエルサレムで十字架の死を遂げることになります。このペレヤで主イエスは人間の本質的テーマを教えています。一つは結婚と離婚、あと一つは13節~出てくる永遠の命についてです。13節からは子どもたちとの出会いを通して永遠の命の話をしています。
1、イエスに近づく子どもたち 13節前半
 その時とはイエス様のところにパリサイ人たちが訪ねてきて、男が妻を離別する事について質問しています。勿論ここでも何とかしてイエスを陥れてやっつけようと言う魂胆から投げかけている質問です。その様な中で、主イエスは12節で独身の賜物について「それが出来る者はそれを受け入れなさい」と述べています。その話をしている時が、13節の「その時」という意味です。大人たちに子供たちが連れてこられました。目的はイエス様に按手して祝福の祈りをしてもらうためでした。子供たちはイエス様が大好きでしたし、イエス様も子供たちが大好きでした。
2、弟子たちの子どもに対する態度 13節後半
 ところが弟子たちは子供たちを叱りつけました。マルコ10:13、ルカ18:15にも同様の記事が書かれています。弟子たちからすると、イエス様がパリサイ人たちから攻撃されていました。そして弟子たちもこの時は結婚や離婚についてパリサイ人的な考えが残っていましたので、イエス様の答えを聞いて失望していたところです。その様な状況の中に子供たちが大勢がやがやと訪ねてきたものですから、大人の話しているところに訪ねてくるとは何事かとばかり、弟子たちは子供たちを叱りつけたのです。
3、イエス様の子どもに対する態度
でも弟子たちは逆に主イエスから叱りつけられたのです。マルコ10:14にイエスはそれをご覧になり、憤って彼らに言われたと書かれていますから弟子の態度はイエス様を悲しませる行為でした。そして弟子たちに「邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
この天の御国はこのような者たちの国なのですという言葉が大切です。天の御国の意味は神の支配とか永遠の命です。この命には2つの面があります。一つは時間的な長さ、永遠。2つ目は質的要素。イエス様を信じて質的に変えられる、キリストによる内なる命、全く新しくされた命である。天の御国とはそのようなものです。
ではどうして天の御国はこのような者の国なのでしょうか。それは子どもの持つ特質です。一つはイエス様に単純に信頼する心。二つ目は意識するとしないに関わらず子供は自分の弱さを認め親とか神に従う従順さをもっています。こうしてイエスは子どもを祝福し手を置いて祈られました。

私たちが適用して学ぶこと
1、子どもを軽んじない
 私たちは赤ちゃんとして生まれました。半年で急に大人になった人はいません。親におむつを替えてもらって大きくなりました。そしてまた年を重ねると人におむつをしてもらって主の御許に行くのです。一人の子供に対してイエス様が丁寧に接したように私達も子どもたちを何もできない弱いものと軽んじることなく一人の神にかたどり造られた人間として接していきましょう。又彼らの成長の為に祈り、子供の愛し、大切にする教会として歩もうではありませんか。

2、子どもの良い点を模範としよう
 一般論として子どもの持つ特質は親や大人そして神への信頼と従順な心です。彼らの持っている特質を私たちも忘れることなく子どもたちから学んでまいりましょう。但し彼らも私達大人と同じ罪人です。悪い事を考え、罪を犯す存在でもありますからそのことも決して忘れてはなりません。とんでもない悪い言葉を口にすることもあります。ですから、あまり美化することなく良い点を見習って模範としてまいりましょう。彼らの成長の為に祈ってまいりましょう。

結び 今日の暗唱聖句 マルコ10:15
本庄教会の子どもたちもイエスの子どもとして成長していけますように日々祈りつつ彼らの成長を見守りたいと思います。特に私たち本庄教会の教会学校では霊的ペアレントカードを作成しましたので各家庭に写真を貼っておいて毎日祈りくださると感謝です。また第3水曜日の祈り会では子どもたちの為に祈る人決めて祈り会をしています。未来の日本の宝、世界の宝、教会の宝である子供たちの為に祈る者でありたいと願っています。

来週の2月22日から3月29日まではマタイの福音書5章からイエスの山上の宣教についての話になります。4月からはテサロニケ人への手紙Ⅰからの宣教になります。