マタイの福音書(6)

2022年12月24日

2015年2月8日
聖書箇所:マタイ14:13~21
宣教題:5000人の給食 

先週は安息日について学びました。安息日とはモーセの律法で定められたもので7日に1日土曜日は仕事をしないでお休みしなさいと言うありがたい決まりでしたが、パリサイ人たちはこの安息日の意味をまげて解釈し、細かい決まりを作って民をがんじがらめにしてしまいました。その中の一つに安息日に麦の穂を摘んで食べることは労働にあたるから、律法違反だと弟子たちに難癖をつけてきました。これに対するイエス様の聖書の解き明かしにより弟子の行為は問題ないと話されました。現代における安息日の意味を考え、真に聖書的に生きるとはどのような事かを考えました。

さて今日はマタイ14章からイエス様のなされた御業を見てまいりましょう。ガリラヤ湖の近くで5000人以上の人に食事をふるまった話です。主が人間の罪の身代わりのため十字架に掛かって死なれる1年前の春の事でした。この後パリサイ派の人々はますますイエス様に不信感を持ちその行動がエスカレートして追い詰めようとします。しかしイエス様は次の時代を見越して12弟子に対し訓練の時期に移っています。このような背景の中で5000人の給食の出来事が起こりました。
13節 イエスと民との関係(13~14)
イエスはそのことを聞かれると、船でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。・・・
その事とは、バプテスマのヨハネの死です。彼は長い投獄のすえに無くなってしまいました。イエス様ご自身もあと1年後に迫るご自身の十字架の御業を思いつつ、悲しみの中で、祈る為に寂しい場所へ立ち退かれたのです。
しかし、群衆は先回りしてイエスの後を追いかけました。病気を癒してくれると言うこの世のご利益を求めてイエス様の後についていったのです。彼らの姿を見ると自分の事ばかりでイエス様への配慮とかは全くない姿が見えて来ます。やがて民衆たちもイエスを十字架に付けろと叫ぶのです。人とは何と自分勝手な存在でありましょう。
14節
しかし主は舟から上がられると、民を深く憐れみました。はらわたがちぎれそうになるほど愛されたのです。そしてここでも彼らの病を癒されました。イエスの愛が桁違いに大きなものであることを知らされます。
15節~19節 弟子訓練
ここでイエスは弟子たちの信仰を試して訓練しています。
15節:夕方:3時過ぎの時刻 弟子たちイエスに尋ねる。もう夕方ですから群衆を解散させてください。
16節:弟子の役割 自分の力でするのではなく、イエスが下さる良いものを人々に分け与える事です。短く言うと、主から受け人に与えよ。これをイエスは教えるために、あなた方であの人たちに何か食べる物をあげなさいというのです。
17節:弟子たちはできない理由を述べます。少年がお弁当として持っていた大麦のパン5つと、魚2匹、これしかありません。他の福音書を見るとアンデレが少年をイエス様に紹介しています。でも5000人以上はどう考えても無理でしょうとなります。合計2万人近い人数だから。
18節~19節
イエス様はそのパンと魚を取り寄せ、群衆を50人100人のグループに分けて座らせました。そして神に感謝の祈りをささげ、パンが裂かれました。イエスの手から弟子たちに分けられるパンと魚はどんどん増え続けます。減らないのです。そして弟子から人々へと渡っていきました。こうして男だけで5000人以上の人々に分け与えられて彼らは楽しい食事をしました。
20節 
人々は本物の大麦のパンと魚を食べて満腹したのです。パンの残りは12かご一杯になった。これは例えではなく文字通りの事実です。聖書の記述を見ると皆が弁当を隠していたのではなく、イエスの奇跡の御業によってなされました。驚くべき事実でした。故に4つの福音書にすべてこの5000人の給食の出来事が記されています。使徒たちはこの奇跡の業を通してイエスこそ真の神であることを知らせたかったのです。又人数は男だけで5000人とありますので、女、子供たちを入れると15000人~20000人くらいの人がいたと思われます。このような業をするのが我らの神である主イエス・キリストです。ですから自信を持ちこのお方に信頼し、このお方から力を頂いてキリスト信仰を貫き通しましょう。主は必要を必ず満たしてくださいます。

適用
1、私達も時々主から信仰を試される。信仰の試練(皆さんは今、何を試されていますか)
・健康 ・経済 ・職場や教会の人間関係 ・仕事上の行き詰まり ・信仰の霊的スランプ
結論:試練を受けたとき⇒神はしもべの必要を満たす方⇒主は最善の道を備える⇒一歩成長する(聖化)※別の言葉でいうとイエス様に性格が似てくる。このサイクルがクリスチャンの生活です。

身近な話題で申しますと
本庄教会ではこの会堂を建設するに当たって1800万円の教会債権を発行しました。分りやすく言うと利息を付けて関係者からお金を借りた事です。今年で10年目を迎えますがあと338万円で完済になります。ここまで主の恵みの中で備えられてきましたが、教会の事を良く考えてくださる人にとってはある意味試練であり、また信仰が試されています。

これに対して何もしないでただ祈って行けば主に備えられるともっともらしい考えを持つ人がいるかもしれません。しかし主は弟子に語られたように、今日、「あなた方がしなさい」と私達に託しているのではないでしょうか。
でありますから、主はすべての必要を満たすお方と信じて、祈り、捧げていくときに主は道を備え、満たしてくださいます。そしてまた教会が一歩成長していきます。こうして主イエス様は時々私たちを試しますが、聖書の原則に沿って歩むときに成長させてくださいます。成長するとは私たちの性格、性質、考え方、行動がイエス様に似てくるのです。貴方はどのくらい似てきたか。

2、何事も主から力を受けてから行動する。
神の御業は弟子を通してなされます。弟子「群衆を解散させてください」イエス「あなた方であの人たちに食べる物をあげなさい」
 私たちが行動を起こすときの原則:自分の力では動かない⇒主の力を受けてから行動する事
 
※弟子たちは主からパンを受けてそれを人々に渡しました。私達も主の心を自分の心とし、主から力と恵み、確信、みことばを受けてから行動するときに、私たちを通して神の業が現される。こうして私たちを用いてくださるのが主である。「あなた方であの人たちに食べる物をあげなさい」と主は今日も語っておられます。

結び 今日の暗唱聖句 ヨハネ6:36