マタイの福音書(4)

2022年12月24日

2015年1月25日
聖書箇所:マタイ11:2~6
宣教題:キリストに躓かないものは幸い 

今日も続けてマタイの福音書から学んでまいりましょう。先週の復習をしますと、主イエスは弟子たちを連れて、イスラエルの北部ガリラヤ地方の町や村を回り、会堂で教え(教育)、御国の福音を宣べ伝え(宣教)、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒された。(医療、福祉)この3つから教会の働き、方向性の原則を学ぶ事が出来ました。本庄キリスト教会も自分たちに出来る事を通して地域で何どのような事で貢献できるかを考えていければ幸いです。
また弟子たちはキリストの代理者、使徒として派遣されていくところを見てまいりました。弟子たちには様々なタイプの人がいる事を改めて知ることが出来ました。

マタイは必ずしも時間的な順序通りにこの福音書を書いていませんので今日の聖書箇所は先週学んだところよりも時間的には前の出来事になります。

今日の聖書箇所を見ていきますと、バプテスマのヨハネがイエス様に対して思い描いていた点が依然と違っていたので彼の信仰がぐらつき、自分の弟子たちに伝言を送ってイエス様に問いかけていることです。それでは全体の流れを見てまいりましょう。
2節
ここに出てくるヨハネとはイエス様の先駆けとして荒野で人々の前に現れ、悔い改めよ、天の御国は近づいたと語ったあのバプテスマのヨハネです。洗礼者ヨハネとも言われます。このヨハネはヘロデの不法な行為を訴えました。ところが逆に彼は囚われの身となり牢獄の中にいます。(参考までに申しますと場所は死海の東のマケルスというところです)。ヨハネの弟子たちはイエス・キリストのなされた御業を牢獄にいたヨハネに報告していました。
3節
おいでになるはずの方とはメシヤ、救い主のことです。すなわち、イエス様、あなたは私たちが期待しているメシヤですか、それとも違うのですかと、弟子たちを通してイエス様に問いかけた訳です。ヨハネが今まで思い描いていたメシヤ像、救い主の姿とイエスの行動は、だいぶ違っていたので彼のイエスに対する信仰の確信が揺らいできてしまったのです。昔イエスに対して大胆に語った、あの「見よ神の子羊」という確信が失われつつあったという事です。
何故だと思いますか。どうぞ。いくつかの理由が考えられると思います。
・ユダヤの指導者たちは皆、イエスはメシヤ、救い主ではないと言っている。
・民衆もまだはっきりとはイエスをメシヤ救い主とは受け入れてはいない
・ヨハネ自身の惨めな姿、牢獄の中に捕らえられて身動きが取れない。イエスが救い主ならばとっくにローマの支配から自分たちを解放しているかもしれない。自分の思い描く救い主の姿からかけ離れている。
・ヨハネたちのメシヤ像は圧倒的な力をもって敵をやっつける姿である。でもイエスのなす業にはそれがないので疑問を持った。
・イエス様の生き方はしもべの姿であったので大きなギャップがあったのかもしれない。

4節~6節 イエスの答え
バプテスマのヨハネの弟子たちに対し、自分たちのみたり、聞いたりしていることを報告しなさい。この5節の癒しの内容はメシヤの業です。ツァラトとは重い皮膚病の事です。これがきよめられてきれいになる。又当時の宗教指導者は貴族的な人や金持ちに関心を向けたそうですがイエスは貧しいものに福音を語りました。実はこれがメシヤの特徴であり、本当の姿なのです。そしてイエス様こそその御業をしています。
●イザヤ35:5~6
目の見えない者の目が開かれ、耳の聞こえない者が聞こえ、足の萎えた者が癒され、口のきけない者が聞けるようになるという預言がメシヤにより成就する
●イザヤ61:1(貧しいものに良い知らせを伝え、心の傷ついたものを癒す)
こうして結論として私に躓かないものは幸いです。すなわちイエスに対して、このお方こそメシヤ、救い主であると信じる者は幸いです。
でも人々は強いメシヤの姿しか見ないで、貧しいものに仕えるイエス様を見てメシヤではないと断定してしまったのです。でも考えてみるとこのような考え方は私達にもあります。人の一面だけを見て人を評価してしまう事です。これは大きな間違いです。

適用 1つです。それは信仰のぐらつき。
皆さんはイエス様に対して信頼がぐらついた時がありましたか。ずっと一直線で信仰が成長していきましたか。それともいつも揺れ動いていますか。もうイエス様を信じるのは特にならないから辞めたい思ったことはありませんか。やはり私たちは信仰が揺れ動くことがある。

聖書の実例
Ⅰ列王記19章 エリヤの場合はどうだったか。
エリヤはバアルの預言者450人を相手に信仰の戦いをして勝利した勇気ある預言者です。でも後に彼は燃え尽き症候群になります。そしてイゼベルという女性に脅された時に急に恐れを感じ、元気を失い、神への信頼を忘れ、自分の死を願います。いわゆる自殺願望です。皆さんはエリヤのような自殺願望を持ったことはありませんでしたか。もう死にたいなとか。あのエリヤもそのような経験をしました。しかし、彼は衰えますが、やがて休息と神のかすかな細い声を聞いて力を取り戻して新たに力を頂き預言者として再び立ちあがりました。そして彼は死にたいと言っていましたが、死を見ることなく、生きたまま火の戦車と火の馬が現れ、竜巻に乗って天に挙げられました。Ⅱ列王記2:11に記されている通りです。人生とは実に分からないものですね。

では私たちが、信仰が弱くなった時にどのように回復できるか考えてみましょう。
・自分の不信仰を主の前に申し上げて悔い改める
・神の誤り無い聖書のみことばを握って確信を得る
・神の声を聞いて確信を強める。Ⅰ列王記19:12

結び 今日の暗唱聖句 マタイ11:6
イエス様について聖書から正しく学び信頼をしていこう。彼に信頼するものは失望させられることがありません。