マタイの福音書(1)

2022年12月24日

2015年1月4日
聖書箇所:マタイ9:1~8
宣教題:あなたの罪は赦された 

皆さんあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今日から7回にわたりメシヤの歩みについて予定しています。その後有名な山上の垂訓から6回にわたって話します。合計13回行います。4月から成長のテキストではなく、パウロの信仰書簡を共に学んでまいります。

今日の聖書箇所はイエスがガリラヤ地方で伝道した時の話です。ガリラヤとはイスラエルの北部地域でエルサレムの人々から蔑まれた地域です。ここにガリラヤ湖という大きな湖があり、近くにカペナウムという町がありました。1節はそこに戻ったと言っています。

2節、イエスの評判を聞きつけた人々が4人、中風という病気で体が動かなくなってしまった友達を何としてもイエスに直してもらいたいと願い連れてきました。でもこの時は家の中外は人々でごった返している状態です。中に入りません。4人の友達は何としてもイエス様に直してもらいたいと考えましたので、横階段から天井に上って屋根をくりぬけてつり下ろすという方法をとりました。イエス様はこの時彼らを見て「屋根から上るなんてヤーネーとは言いませんでした」。「子よしっかりしなさい。あなたの罪は赦された」。
イエスは彼らの信仰を見て人生の根本問題である罪について語られました。この罪を持ったままこの世の人生を終えると、人生の総決算の時に主の前に出ますが、その申し開きをする時に永遠の裁きを受けなければなりません。しかしイエスは彼らの信仰を見て力強く罪の赦しを宣言したのです。

3節~6節 ここからいつものように律法学者、パリサイ人が登場します。これは同じ人々です。彼らの先祖は大変優れた信仰者でした。400年前にエズラと言う学者がいました。その学者がみことばを解説して人々に伝えます。しかし時間の経過と共にその教えが変質し、聖書の解き明かしが亡くなり、本質が語られなくなりました。それが先祖の言い伝えとか、口伝律法と呼ばれるものです。本来の聖書の世界とは程遠い状態になってしまいました。そして彼らは、その細かい規定をもって民衆の生活を縛るのでした。これを律法主義と言います。聖書の内容に+αを付けて全く聖書の内容とは程遠い話になってしまいます。
イエス様の時代になるともう後戻りできないような状態でした。これに対してイエスは彼らに聖書の本質を語りかけます。でもパリサイ人たちは逆らい続けついにはイエスを十字架に付けます。
※ここで注意する必要があるのは私達キリスト教会もこの律法主義に陥りやすい事です。人を上から目線で見てその人を自分と違うからと言って人を裁くやり方です。

またこの箇所で理解しておくべきことは、メシヤ、救い主といわれる人が登場するとパリサイ人たちは必ず集まります。ですからこの時もエルサレムから派遣されて律法学者が来て第一段階は観察します。第二段階は弟子たちに尋ねます。第三段階はイエス本人に尋ねます。3節の段階では観察の段階ですから彼らはイエスをじっと見ています。「心の中で神をけがしている」と言っています。
でもイエス様はすごいお方ですね。彼らの心の中の思いまで即座にみぬくのですから。

5~7節そして彼らに問いかけます。あなたの罪は赦された、起きて歩け、どちらがやさしいか。この後、寝床をたたんで入れに帰りなさい。み言葉による力を頂き彼は何事もなかったように起き上がり、家に帰りました。8節 恐れ神をあがめた。

適用 今日の話を自分に適用してみましょう。
①いつの時代も救いは信仰によるもの
イエスを信じるなら罪の赦し、救いがある、拒否すれば神の前に在って永遠の裁きがある。これはいつの時代でも適用される真理です。神の御業を受けるかうけないかはあなたの信仰しだいによります。それであなたの永遠が決まります。イエスが私の罪の為に十字架に掛かって、死なれ、葬られ、三日目によみがえりました。これを信じたらあなたの心に命の種が宿り人生が変わります。そうです。人の救いは信仰のみ、恵みのみです。

②イエスは人の心の中も見通している
どんなに私たちが涼しい顔をして何を思っているかも、考えているか、主イエスはその涼しい顔の中を見抜いて見通しておられます。全知なる、すべてをご存知のお方です。

③人の罪を赦す権威をもっている方
私たちの人生の根本の課題は罪の問題です。こればかりは自分でもどうすることもできません。しかし主は信じる者が罪赦されるために、この地上に人としてこられ、33年間の生涯を歩み十字架で神から受ける刑罰を代わりに受けてくださいました。信じるものはすべて罪赦され新しい命を頂きます。人生の根本問題を解決してくださるお方です。

結び
今日の御言葉を通してあなたは律法学者、パリサイ人たちの様にイエスに対して心かたくなですか。それともあの中風で病んでいる人を何としても救いたいと願ってイエスに対する信仰によって行動した4人の友達の様ですか。今日主はあなたの信仰を喜んで受け止めてくださいます。マタイ9:13