創世記(7)

2022年12月24日

2014年9月21日
聖書箇所:創世記11:1~9
宣教題:バベルの塔とは 

今日は創世記の7回目ですが、バベルの塔の話になります。前回はノアの大洪水、そして箱舟の中に1年以上入っていたノアたち8人と一つがいの動物たちは箱舟から出て新しい生活が始まります。場所はアララテ山付近です。ノアが第一にしたのは何でしょうか。新鮮な空気を一杯吸って散歩することですか。そうではありませんでした。祭壇を造りきよい動物を全焼(燃やし尽くすこと)の生け贄として主に礼拝(自分自身を捧げる)しました。ノアと家族は新たな歩みを始めます。

さて今日は11章バベルの塔の話ですが、流れを確認してまいりましょう。①初めの状態1~2②人の野望3~4③神の裁き、言葉の混乱5~7④裁きの結果、離散した人々8~9。この流れに沿ってみてまいりましょう。

①初めの状態1~2
1節 人々は一つの言葉でした。何語だと思いますか。ヘブル語です。旧約聖書の言葉が語られていました。同じですから考えや気持ちがきちんと伝えることが出来たと思います。

2節「人々は東の方から移動して来て」とは東の方に移動したという方が分りやすい言い方です。ノアの箱舟が流れ着いた場所はトルコのアララテ山ですから、西の方向に流された。ここからノアの子孫たちはエデンの園があった地に近い、すなわち東の方に移動したのです。シヌアルの地に平地を見つけて定住するようになります。主が再び彼らにチャンスを与えてくださったのです。

②人の野望3~4
彼らは優れた技術を身に付けます。レンガを大量に焼くことにより大きな建物を造る事が出来るようになりました。石の代わりにレンガが大量に用いられます。また粘土の代わりに瀝青、アスファルトが用いられて巨大な建物もできるようになりました。今でいう技術革新ですね。

やがて彼らは町を建て頂きが天に届く塔を建て始める。これは星占い(占星術)の塔と言われています。名を上げようとは積極性を思わせる言い方ですが、実は創造主なる神を捨てて偶像を神とする事であり人々の傲慢を表わしている言葉です。すなわち、人が神の様になろう。全能者の領域に入いろうとする反逆者の発言です。全地に散らされるといけないからという発言も同じです。主のお心は人が全地に広がって、地に群がり、地にふえよというものでした創世記9:7。しかし彼らは主の言葉に逆らい散らされないように努力して神抜きの社会を創ろうとする姿です。
例:キリスト教会も同じです。会堂ができて安心し、一つ所に留まり続けてはだめです。常に散らされて他の地域に広がって行くことを求める必要があります。

③神の裁き、言葉の混乱5~7
主は人が立てた塔をご覧になるために降りてこられた。これは擬人法で神を人に譬えて述べている言い方です。5節の言葉は、皮肉っぽい言い方です。人々が天に届く塔を建てようと言って建てたのですが、そんなに高くはありません。天の頂きに届くのであれば主はわざわざ降りてくることもないでしょう。それなのに主は人間の建てた町と塔をご覧になるためにわざわざ降りてこられたのです。これは人がそんなにやっても所詮主の前にはたかが知れているでしょうと言う皮肉の意味が込められているのです。おまえはいつからそんなに偉くなったのだと主は語っているのです。
※どうですか。あなたは主よりも上にいて偉くなっていないですか。
こうして人が一つの民、一つのことばで集まり主のみこころに反することを行うなら際限なく繰り返されるので主は彼らの言葉を混乱させて言葉が通じないようにしました。この時代の神への反抗はノアの時に懲らしめを受け大洪水で滅ぼされましたが人の本質は変わりません。また同じことが繰り返されたのです。主の裁きは洪水ではなく言葉が通じないようにすることでした。
※現代も同じです。原子力は安全だ、安全だと言われましたが地震と津波に勝てませんでした。

④裁きの結果、散らされる人々8~9
人々は主の裁きによって主に散らされ、神に反抗するバベルの塔を建てることをやめて各地に散らされました。実は10章の記事です。彼らはノアの子孫です。それが全地に広がります。バベルの塔の事件をモーセは再記述の法則によって11章で詳しく書いています。創世記2章で人が造られた経緯を再記述しているのと同じパターンです。

簡単に見ていきます。10:8ハムの子孫ニムロデは地上で最初の権力者でした。彼の王国の初めがバベル。10:6~12のニムロデの時代に起きた事が11:1~9に詳しく書かれている訳です。事実彼らは言葉の混乱の後にバベルより北のアシュルに移っています。後のアッシリヤです。

更に別の視点10:25のセムの系図から見ていきますと、セムの子孫にペレグという人物が出てきます。この人の時代に地が分けられたとあります。これは主によって裁きの結果、土地の民、人々が分けられた、別の言葉でいうと全世界に人が散らされたという意味です。こうしてバベルの塔の事件は10章の時代の流れの中で起こっている事です。この言葉の混乱によりバベルは「神の門」という意味から「混乱の門」という意味に変わります。

適用
①あなたも、私も人は傲慢になりやすい存在
私達は主の前に傲慢になっていないか。へりくだって謙虚に主の前にも人の前にも生きようとしているか。この時代の人々と同じように問われています。お互いへりくだって生かされよう。

②主は人間社会に介入する
傲慢な人の行動、あるいは道徳的な乱れに対し主はさばきをもって介入します。バベルの塔の事件に対しては言葉をわからなくすることによって介入している。アブラハムの時代にソドムとゴモラの人々の不品行に対して主は天から硫黄の火を降らせることにより滅ぼした。前回のノアの時には120年間の忍耐の末に大洪水をもって世界を滅ぼしたのです。でも恵みも残しました。それは様々な化石燃料によって私たちの生活が支えられています。

現代に於いて主はこの世界や私の歩みの中でも様々な介入をもって生きて導き介入する方です。

結び 暗唱聖句 ヤコブ4:6
主はへりくだる人を愛し恵みをくださる。主の恵みの中で喜んで生きよう。