創世記(5)

2022年12月24日

2014年9月7日
聖書箇所:創世記6:1~8
宣教題:主の恵みの中に生きた人・ノア 

今礼拝の宣教は創世記からしていますが個人的には通読してみてはいかがでしょうか。また水曜日午前の祈り会では創世記を復習していますので理解が深まります。是非共に学びましょう。

今日は創世記から5回目の話になります。ノアの時代になります。いよいよ有名な大洪水が起きます。何故このような大きな神の裁きが人に起こったのかを学びます。時は既にアダムの時代から1500年くらいに立っています。人は大変増えています。でも以外にも当時の人は長生きなのでアダムからまだ10代しかたっていません。このノアの時代人々はどのような生活をしていたのでしょうか。また何が起きたのでしょうか。
1~2雑婚 3神の対応 4雑婚の結末 5~7神の裁き 8神の恵み 

1、1~2雑婚 
6章から9章まで有名なノア(慰め、安息)の洪水の話になります。何故あのような大きなさばきが人に下ったのかの原因になっているのか。それがこの6章に書かれています。但し皆さんが今まで教えられた内容とは違うかもしれません。さてとは、これから本題に入るという意味です。ノアの時代になるとアダムの時代から1500年くらいたっていますので相当の人が地上で生活していました。しかも当時の人は今の人より10倍長生きですので人口は多いと思います。

2節、結婚関係の乱れ、いわゆる雑婚について書かれています。
誰と誰の結婚を雑婚か言いますと、神の子らと人の娘の結婚です。神の子らとは旧約聖書ではすべての天使を含めて指す言葉です。でも良い天使は結婚しません。神の子らとは堕天使、悪霊の事です。よって2節の意味は堕天使と人の娘の結婚です。この堕天使が美しい女性を見て、好きな人を選び一方的に、強引に自分たちの妻にしたのです。欲望のままに生きたのです。

そうするとこの箇所は一般に言われている主を信じるアダムの子セツの系列の子孫(信仰の流れ)が、カインの系列の女性(不信仰の流れ)と結婚するようになったという事ではありません。私も以前は信仰者グループと不信仰者グループの結婚と考えていましたが、文章の流れから見ても堕天使と人の娘の結婚と理解するのが無理のない解釈です。この結婚によってネフィリムが多くなり世の中はどんどん乱れていきました。そしてとうとう主は世界を滅ぼさざるを得ないとお決めになるほど世の中は悪に染まったのです。それは雑婚をした堕天使と女たち、そこから生まれたネフィリム、超人によって地上が悪に染まっていったために主はこの世界を滅ぼすことを決められたのです。

ではなぜ悪魔は堕天使どもを(悪霊)このように沢山地上に送って社会生活、結婚生活を混乱させ、世の中が悪くし思いのままにふるまい主の裁きを招くような事を仕掛けたのでしょうか。
それは創世記3:15にある神のご計画に対する激しい妨害行為です。女の子孫(すなわちキリスト救い主)を送り悪魔の頭を踏み砕くという預言に対する恐れに伴う反逆行為でした。

2、3 神の対応 
 ここも誤解しやすい箇所です。ずっと私はこの時点から人の寿命は120年になったのだと思い込んでいました。でも文章の流れをみるとそうではありません。人々はこの後も長生きしています。ノアから500年後に生きたアブラハムも175歳まで生きています。それから500年後に生きたモーセも120年生きています。詩篇90篇では私たちの齢は70年、健やかであっても80年。しかもその誇りとするところは労苦とわざわいです。と述べています。ここで120年と言われているのは罪の世界の中で主の人に対して忍耐する期間はあと120年だと言う事です。そこまで人の罪に対して主は忍耐して待っていますと言う年数なのです。そして主は後にノアに対して大きな箱舟を造るように命じ、洪水から救われる道を開いたのです。箱舟に入れば助かる。主イエスの救いを用意して信じたら救われるという救いの雛形がノアの箱舟です。

3、4 雑婚の結果 
この雑婚によって生まれたのがネフィリム。超人、すなわち人間を超えた異常な人間がたくさん出現したのです。攻撃するという意味から出てきた言葉で、主を恐れ敬わない権力者の姿がここにあります。そうすると一般に(旧約聖書のギリシャ語訳の70人訳)で言われるジャイアンツ、巨人の事ではありません。ダビデに倒されたゴリアテのような人物のことではありませんので誤解のない様に。ネフィリムはジャイアンツ、巨人ではなく超人の事です。

4、5~7神の裁き
先ほども少し述べましたが、ついに主は地上の悪の広がりをご覧になり、地上から人、家畜、はうもの、空の鳥を滅ぼすことをお決めになりました。主が悔やんだと書いてありますが主は人と同じように悔やむという事はありません。これは人にたとえて述べている言葉で主なる神の深い悲しみ、心を痛められたことです。主も傷ついたのです。これほどの悪の広がり、人類始まって以来最大の悪の中で生きたのがノアです。

5、8主の恵みに生かされたノア 
 ノアは悪がはびこる時代にあってどう生きたか。多くの人は己を神とし、自分の義の中で行きました。しかしノアは主の心にかなっていた。恵みに生きたという事です。文語訳聖書や口語訳聖書ではノアは主の前に恵みを得たと訳されています。そうです。彼はこのような悪が満ちている時代にあっても主の前に信仰に生きた。そして主の溢れる恵みを十分に受けて主から受けた使命に生きました。
適用
 ①罪には裁きが伴う
 主は当時の人々の罪深い生活に対して120年間忍耐してくださいました。でも裁きの時が来ました。この時代も同じです。やがて主の厳しい裁きの時代が始まります。今あなたは主の前にどのように生きますか。
②主の恵みの中で生かされよう
恵みとはふさわしくないものに与えられる神からの一方的な良いものです。ノアの様に私達も信仰によって恵みを受けるものとされようではありませんか。そして隣人を愛し、主を愛するものとされようではありませんか。
結び 暗唱聖句 ヘブル11:1
今日は第1日曜日ですのでこれから聖餐式、パンとブドウジュースいただいて主イエス・キリストの十字架の御業をもう一度覚えましょう。