創世記(4)

2022年12月24日

2014年8月31日
聖書箇所:創世記4:1~16
宣教題:カインとアベル 

今日もご一緒に創世記から学んでまいりましょう。
聖書を学ぶ上で大切な事は事実として読むことです。そうでなければ聖書は良く理解出来ません。特に創世記は神話や伝承ではありません。そのまま歴史の事実として受け止める事が大切です。何故か。それは新約聖書が創世記やアダムを歴史上の事実として教えていますし、またイエス様ご自身もマタイ19:4で創世記の記事を引用され「創造者は、初めから人を男と女に造って・・・」とご自分に反対する人々の前で述べています。是非皆さんも創世記を歴史の事実という前提で受け止めてお読みになってください。そして沢山の恵みをいただきましょう。

さて創世記には様々な初めの事が書かれています。世界の創造、人間が造られたこと、アダムとエバ。彼らが最初に罪を犯したことも書かれています。これを原罪と言います。創り主に背を向けて生きる事、また都合の悪い事は人のせいにする事(責任転嫁)。この罪の性質はアダムから受け継いですべての人が持っています。しかし創造主は恵みと憐れみに満ちたお方です。人に対する救いの約束も既に創世記3:15節に預言されています。それは原福音と言います。ここからキリストの救いの御業が更に明確に預言されてきます。
それでは創世記4回目の話になります。人間は罪の結果人はどうなったか見てまいりましょう。カインとアベルの兄弟に起こった事件です。殺人1~8、うそ9~12、自分をかわいそうに思うカイン(自己憐憫)13~15、神から離れ、自分の力で生きるカイン16~17
 
1、殺人 1~8 
カインは神への捧げ物の事でアベルを妬んで殺してしまいます。罪の結果人類最初の殺人事件です。アダムの妻エバは妊娠して長男を産みます。最初は希望の子供でした。名前はカイン(形作る)という意味で良い名前です。エバは最初この子は3:15にある女の子孫だと思いました。すなわち救い主と思ったのです。例:最初の子供が生まれたときにこの子は天才だ。
でもだんだんと失望に変わっていきました。カインもアダムから生まれた罪の性質を持つ子供だったのです。そこで二番目に生まれた子供にはアベルと名づけます。空しい、はかなさ、息、空虚と言う意味です。でもアベルは名前と反対に主への信仰者として懸命に生きた人です。

職業はアベルが羊飼い、カインが土を耕すものです。神への捧げものをする時に事件が起きます。人は罪の結果、自分の体が裸であることを知り、神の前に出るのを恥ずかしく思い、いちじくの葉っぱで体を覆いましたが、神の前には何の役にも立ちませんでした。ゆえに神は動物の血の犠牲によってできた皮の衣をつくりそれを着せてくださった。このようにして動物の血が流されることによって人はその都度罪の赦しを確認して神の前に出ることが許されたのです(ヘブル9:22)。これが主イエスの十字架の血潮による救いの雛形、モデルとなります。

3節「ある時期になって」とは捧げものをする時期になりましたと言う事。という事はすでに定期的にアダムたちは神への礼拝の行為として捧げものをしたという事になります。当然捧げものには血が流されるのが前提ですので、
4節、アベルは羊の初子の中で最上のものを捧げます。これが神に受け入れられる信仰者の当然の姿でした。カインも以前は動物の犠牲をささげていたと思われます。しかし彼は外見上宗教的ではありましたが、神の前に誠実に生きる人ではありません。そして3節の時点で地の作物を捧げものとして持ってきたのです。これは神に受け入れられる行為ではありません。カインは罪の赦しを得ないで自分の手の業をささげたのです。神の前に傲慢な態度という事になります。
5節。結果的にカインの捧げものは神に受け入れられませんでした。彼が傲慢なのは彼が神の前に怒ったことに見事に表れています。自分が神に喜ばれないところを認めるのであれば謙虚な態度が出てくるはずです。怒り、憤ることはしません。
6節~7節では彼が主によって正しくないことが主に宣告されています。この宣告は彼の今までの長い生き方に対しての主の宣告です。カインは悔い改める事なく、逆上してアベルを野に誘い出し殺してしまったのです。何故、野に行ったのか。それは人のいないところに行ったということです。この時すでにアダムとエバを通して多くの人が生まれていました(創世記5:4)。これが罪の結果に起きた人類史上最初の殺人事件です。

2、うそ 9~12
人類史上最初のうそ。弟アベルはどこにいるのか。主はわからなくて聞いているのではなく、罪の告白を待っている質問。私は弟の番人か。罪の悔い改めがない。主のことばあなたは土地を耕しても作物が出来ない。さすらい人となれ。これが殺人に対する神の裁きでした。

3、自分をかわいそうに思うカイン(自己憐憫)13~15
悔い改めるどころか主に文句を言っている。自分を慰めるカイン。罪や神の裁きの認識があった。神の憐れみと恵み。7倍の復讐を受ける。神の守りを受ける。カインに一つのしるし。

4、神から離れ、自分の力で生きる 16~17
エデンの東ノデ(動揺、さすらい、逃亡、流浪)カインは神の恵みを受けながらも悔い改めることなくノデの地に住み着いてしまった。彼の生き方は神への反逆の人生です。17節、自分の力で自分を守る生き方になっています。彼はちゃっかり町を造り成功したかに見えるが実は神の命令に背いている生き方をしています。12節でさすらい人となれと命じられているが無視して生きている。神に反逆して生きたのがカインです。こうしてカインはアベルと共に同じ親から生まれ育ったが全く逆になってしまった。これがユダの手紙15節にあるカインの道です。私達はカインの道を歩んではなりません。やがて自分のまいた罪の種を刈り取るのです。
適用 
①カインの生き方を捨てよ
カインもアベルも罪人です。同じ親に育てられました。しかし生きる方向は全く逆でした。どうして全く違ってしまったのか。それは信仰に生きるか否かです。私達もカインの性質を持っています。しかし彼の様に生きてはなりません。神のことばに逆らい自分を誇る生き方ではなく、アベルのように自分の罪深さを認めて、主イエスを見上げて恵みと力を受けて歩もうではありませんか。
②恵みを忘れない。
傲慢な生き方をしているカインに対してさえも主は憐れみ生かしてくださる。さすらい人となったカインが命の危険にさらされた時、誰も彼を殺す事のない様に一つの印を下さいました。特別の守りを与えて生かされた。私達も主の大きな恵みの中で生かされている。アベルの様に謙虚に生きよ。
結び 暗唱聖句 ヤコブ1:15
もし今あなたがカインのような生き方をしているならば悔い改めの一歩を踏み出しましょう。