テサロニケ人への手紙第二(5)

2022年12月16日

2015年7月19日
聖書箇所:Ⅱテサロニケ3:6~12
宣教題:キリスト者の生き方 

テサロニケⅡは今日で5回目になります。あと2回でこの手紙の学びを終えます。前回はパウロの祈りの要請を通してパウロの確信について学びました。またテサロニケ教会の兄弟姉妹たちが短い間に成長したのはパウロたちが命じた事、福音と教えの基本原則をしっかり学び、理解し、実行したからでした。そしてこれは現代の私達に通ずるものであり、信仰の基本となるものであります。故に私達も「福音と教え」を何回も学び続けて成長させていただきましょう。

さて今日は3:6~12です。6節から見てまいりましょう。締まりのない人とは
この箇所でパウロは兄弟たちよと呼びかけています。それはキリスト者の生き方に関する事。特に主イエス・キリストの御名によって命じると書かれているのでとても大切な事だと分かります。

パウロから受けた言い伝えに従わないで生きる人がいました。何回も言っているように言い伝えとは、パウロたちがいつも教えていた、福音の恵みによって救われた後、キリスト者としていつも心に留める事の基本でした。福音と教えと言います。締まりのない人とは、折角イエス・キリストを救い主と信じて救われたけれども福音と教えに従わない人々たちのことです。
6節「締まりのない歩み方をして」とあります。この締まりのない歩みとはだらしない格好をしているということではありません。足を踏み外したという意味で、怠け者として生活し、まじめに働く人々を利用する生き方をする人の事です。
11節に書かれていますように、このような人は、人のおせっかいばかりして、怠け者として生活しています。何故このような締まりのない生き方をしてしまうのか、それはキリストの再臨が近いから働くことはばかばかしいと思う人や、クリスチャンの愛を間違って理解し、なんでもお世話してもらえること思い、クリスチャンの愛を利用し、何も仕事もしなくなってしまったのです。

パウロたちの模範 7~10 昼も夜も労苦しながら働くこと
パウロは神によって使徒職に立てられました。それゆえ、みことばの奉仕の為に自分の今までのテント職人の仕事を辞めて福音宣教だけで生活が出来る様になるのは当然の事です。これは今でも同じことです。しかしパウロはそうしませんでした。全く聖書の言葉に接したことのない異邦人伝道をするようイエス様から召し出されたパウロは誤解や偏見を取り除くため、また教会員に負担をかけない為に自ら働きました。8節、昼も夜も労苦しながら働き続けたと述べています。自分の生活の糧は自分で働いて稼ぐのがパウロの異邦人伝道者としての生活スタイルでした。初めの頃だけではなく後の時代もそうでした。生涯をかけてパウロは自分で働き生活していたのです。8節、人のパンをただで食べる事はしませんでした。これがその意味です。
9節、み言葉の働きによって教会員の献金で生活する権利はありましたが、あえて模範を示す為に天幕職人、テントメーカーとして昼も夜も労苦しながら働き、そして伝道したのです。これがパウロ達の生き方で、締まりのない、怠け者を「働きたくない者は食べるな」と戒めているのです。
多くの人はパウロが働きながら伝道したのは一時的な事だと言いますが、決してそうではありません。彼は生涯にわたり働いて報酬を得て伝道したのが正解です。これが彼の基本的な生き方でした。

勧め 11~12 主イエス・キリストによって命じる
静かに仕事をしなさい。新共同訳では落ち着いて仕事をしなさいと訳されています。人のうわさ話やおせっかいな生活とはサヨナラして落ち着いて仕事をして、そして自分で収入を得て生活できるようにしなさいという事です。キリスト者は常に良く働くことを求められます。私達も怠け者ではなく主にある生き方として、やるべきことは沢山ありますので忠実に主の前に働き、自立した生き方を大切にしたいと思います。

適用
●労働とは何か。働くとはどのような意味があるのでしょうか。
働くとは、会社やお店に行って働くことばかりではありません。自立して生きる事も働いていることです。家の掃除や家事全般をすることも立派な労働であります。又働くことは礼拝でもあります。ですから人が働くことが尊いことです。但し長時間にわたって働くことも考え物です。きちんと休みを取る事も大切な事です。(自らの反省を込めて言っています)

聖書から見てみましょう。創世記2:15、神はアダムをエデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせたと書かれています。どういう事か。額に汗して働いたという事です。労働は人が罪を犯した結果ではないのです。罪を犯す前からエデンの園で働いたのです。しかも働くとは別の言葉でいうと礼拝する事でもあります。創造主なる神を見上げて礼拝する行為が労働なのであります。このように働くことは尊い礼拝行為なのです。

●パウロの生き方から何を学ぶか
パウロは基本的に天幕造りの職人として働きながら、世界伝道旅行をしてイエスの福音を宣べ伝えた人でした。これが彼の誇りとすることでした。現代に於いて福音の為に働く、牧師、伝道者は当然その働きの為に教会から謝礼を頂くことに全く問題ありません。福音の為に働く者が生活の支えを得る事は当然の事というのが聖書の教えです。イエス様もそのように言われ、パウロもそう教えています。
しかしパウロ自身の場合はあえて模範を示す為、あるいはあらぬ誤解をされないように自ら働いて生活を支え福音宣教した人です。私も基本的にパウロ的な生き方をしてきましたがそれで良かったと思っています。世の中との関わりを多く持ち、幅広く社会を理解する力を持ち、牧師にできない事は他の人が賜物を発揮し、教会形成がなされていく方が聖書に沿っています。今のように牧師が専門的になりすぎて教会の宣教から、事務、会計すべて牧師が行うようでは牧師が病気をしたときやできなくなった時に困ります。また教会が牧師に給料を払って雇っているという感覚になるとおかしな話になります。誤解の無い様に言いますが、牧師は教会から雇われているのではありません。主に遣わされ、兄弟姉妹がささげた献金の中から教会財政上無理のない金額を謝礼としていただき生活しています。足りない分は自分で得た収入を得て補っているのです。
 私の次に本庄教会で働く牧師、伝道者は教会財政上無理のない程度の謝礼をいただき、足りない分は、自分の専門分野を生かして一般社会で働き、関わりを持っていける人が望ましいと思います。

是非この機会に聖書からパウロの生き方を通して学び、今までの固定観念に捕らわれず、柔軟に受け止めていけるような信仰者に変えられていきたいと思います。

暗唱聖句 Ⅱテサロニケ3:6
お祈り致しましょう。