テサロニケ人への手紙第二(1)

2022年12月16日

2015年6月21日
聖書箇所:Ⅱテサロニケ1:1~12
宣教題:召しにふさわしいものとされ 

今日から第二テサロニケの学びになります。全部で6回の学びを予定しています。この手紙は第一の手紙に続いて使徒パウロたち3人が共同差出人になります。宛先は前回同様テサロニケにある教会です。この教会はパウロの第2次伝道旅行の時に伝道が開始され、手紙が書かれた時点は教会誕生後間もない頃でした。この教会は非常に熱心な教会であると共にパウロたちの語る言葉に耳を傾け喜びにあふれた教会形成をしていました。
 但し、課題もありました。その一つはキリストが再びこの世界に戻ってくる事、聖書ではイエス・キリストの来臨と書かれています。一般的には再び来ると書いて再臨と言います。この再臨に対して間違った考えを持っている人がいました。自分の仕事を辞めて落ち着きのない生活をする人も現れました。このためにパウロは第一の手紙を書きました。

続いて2回目の手紙を書く必要が生じました。それは前回同様、キリストの再臨について間違った理解をしている人がいて、教会が混乱していたのです。その根拠が2:1~2に書いてあります。主イエスが再び来られる事、私達が再び主のもとに集められることに関して、「ある人は聖霊によって啓示を受けたとか、あるいはパウロの手紙によって再臨が既に来た」と言う人がいたのです。ある人はそれを真に受けて、仕事を辞め落ち着きを失い、心を騒がせる人がいたので、パウロは2回目の手紙を書き送って健全な信仰に立つようにと勧めをしました。これがテサロニケ第二の手紙です。またこの手紙は新約聖書の中で2番目に早く書かれました。

内容
1、挨拶1~2 単なる挨拶ではなく信仰の原点である
・イエス・キリスト(にある)とは結び合わされているテサロニケ教会 1節
私たちはキリストを信じた時に目には見えませんがキリストと一つにされました。そしてキリストの命を受けています。当然のことながらテサロニケ教会の兄弟姉妹たちもキリストと繋がっている存在です。この認識は私達の基本的な事です。
・父なる神と主イエス・キリストから来る恵みと平安が・・・2節
 パウロは恵みという言葉を良く使いますが、ふさわしくない者に与えられる神からの一方的な良いものという意味です。私達の救いに例えると主なる神の一方的な恵みにより信仰によって救われました。信仰生活も自分の努力や頑張りで主に喜ばれようとするのではなく、恵みと信仰によって歩むのです。そして聖霊なる神に何が御心化を求め、聖霊に導かれ、聖霊の力によって前に進むのです。これが信仰生活のポイントです。何回も言いますが自分の力や努力、頑張りで神に喜ばれようとすると信仰の疲れが生じます。信仰の成長は望めません。そして自分を責めたり、人を責めたり、裁いたり、いわゆる律法的なクリスチャンとなってしまいます。私達が忘れてならないのは、恵みにより、信仰によって救われたのだから信仰生活も恵みと信仰によって歩むことです。自分の力や頑張りでなく、聖霊の力によって歩むこと。くれぐれも誤解の無い様に。

2、テサロニケ教会を誇りに思うパウロ 3~5
信仰が目に見えて成長している。相互の愛が増し加わっている。迫害と艱難に絶えて従順と信仰を保っている。
3、再臨の意味 6~10
キリストが世の終わりにこの世界にもう一度来られる。かつては日本の反対側で何が起きているか、わかりませんでした。しかし今は衛星放送によって世界中で起きている出来事や事件は瞬時にしてわかります。キリストの再臨も瞬く間に知れ渡ります。
人類は世界規模の戦争を経験しています。第一次世界大戦、第二次世界大戦。数えきれない人が命を失いました。かつて日本でも軍国主義が台頭して多くの人の命が奪われました。日本は二度と戦争をしないと決めて平和憲法を作りました。お蔭で70年間戦争しないで済みました。今後も平和憲法を守り、諸外国と戦争をしない知恵が必要です。また、巻き込まれないことが必要です。
マタイ24:3~7で主イエスが語られているように、戦争や戦争のうわさ、民族間の争い、飢饉と地震が世界規模で起きています。これはまさしく世の終わりの前兆です。しかしまだ終わりではありません。キリストが戻ってきて悪いものは公平に裁かれます。(悪しきものに報いが与えられる)そしてもう一度キリストによる世界の統治が千年間続きます。この再臨の記述がここで述べられています。全世界規模で起きる事です。
7:主イエスは力あるみ使いを従えてくる
8:悪しき者どもは再臨の主イエスご自身が報復される(公平なものです)。
9:悪しき者どもは主イエスによって永遠の滅びの刑罰を受ける
10:主イエスはキリスト者によって栄光を受ける。

4、パウロの祈り 11~12
・召しふさわしく者としてくださいますように。キリストの再臨に備えてキリスト者としてふさわしい証が出来る様にされよう。
・恵みに生かされよう。そうすればキリストの御名が崇められ、あなた方も主にあって栄光を受ける。

適用 
1、福音の恵みに生きる。2、12節
 私達はどのようにしてキリストの救いを受けましたか。そうです。主イエスの御業を信じただけです。すなわち、イエス・キリストが私の罪の為に十字架上で死なれたこと、葬られたこと、三日目によみがえられたことを信じて救われたのです。救われてしまったといっても良いでしょう。これを一方的な恵みと言います。恵みによって救われたのだから信仰の歩みも主の恵みを感謝しながら、そして主の聖霊に導かれつつ、励まされつつ生きればよいのです。これが信仰生活の原点であり基本です。

2、キリストの再臨を待ち望む。
あなたはクリスチャンであるならば、キリストの看板を背負っています。キリストの名に恥じない生き方をさせていただこうではありませんか。その為にも聖なる主イエスの再臨を待ち望んでいこう。但しイエス様はいつ来られるのか正確には誰もわかりません。

結び 今も生きてあなたと共にいて下さる主イエス・キリストを見上げて生きよう。
暗唱聖句 エペソ3:16