テサロニケ人への手紙第一(10)

2022年12月16日

2015年6月14日
聖書箇所:Ⅰテサロニケ5:16~28
宣教題:キリスト者の生き方② 

テサロニケ人への手紙第一は10回目になります。今日で最後です。ところで皆様にお聞きしたいのですが、好きな聖書の言葉は何ですか。はいどうぞ。他にありますか。今日の箇所はいかがでしょうか。16節~18節ですね。喜び、祈り、感謝ですね。このみことばが好きだという方が多いと思います。今日の宣教箇所は16節からです。

それでは学びましょう。この箇所の文脈は5章1節からの再臨を待ち望みつつ生きる信仰者への励ましが書かれています。そして23節にもイエス・キリストが再びこの世界に戻ってくることが書かれています。ここでも文章の流れをみますと当然の事ながらキリストの再臨を待ち望みつつ生きる者たちへの励ましという前提、視点で読み取っていく必要があります。特に今日の箇所は14節~兄弟たちと呼びかけていますがその続きの部分です。

個人的生活 16~18
16:この世が与える喜びは一時的であり、状況によって変わりやすいものです。しかしここで言われている喜びはキリストにある喜びのことであり、この世が与える喜びとは違います。そうです。ガラテヤ5:22にある御霊によって与えられるであり愛、喜び、平安の中の喜びです。無理しなくても、人生の逆境の時にあっても喜べるものです。これが御霊の実であり、聖霊によって与えられる、また、イエス様からくる喜びなのです。この喜びを受けているのだから、いつも主にあって喜んでいなさいと使徒パウロは勧めます。この世の喜びだったら状況が良い時に喜ぶだけです。ここが違う点です。

17:これはいつも独り言を言っているように祈ることではありません。主により頼む生活です。私たちは救われた時に何かしましたか。何もしません。ただイエス様が自分の罪の為に十字架に掛かって死なれた事、墓に葬られた事、三日目によみがえられたことを信じただけです。そうしたら人生が変わったでしょう。恵みにより信仰による救いです。であるならば信仰生活も恵みにより、信仰により、聖霊様に励まされつつ主に信頼して生きる事です。それが主に信頼してたえず祈るという行為になって現われてきます。私たちは主の恵みに信頼して祈る存在です。

18:これは不幸や悲劇的な事そのものを感謝しなさいと言っているのではありません。東日本大震災の津波や災害で亡くなった人の家族に対して感謝しなさいと言えません。放射線汚染で家から離れなければならない人に感謝しなさいとは言えません。むしろ寄り添って、悲しむ者と共に悲しむのがキリスト者の生き方です。では何を感謝するのか、主イエス・キリストにあって、主なる神に向かって感謝しなさいと使徒パウロは語りかけるのです。こんな理不尽な事がどうして起こるのかと嘆くときにも主イエスは共にいて下さいます。以上喜び、祈り、感謝の3つをまとめて、これがキリスト・イエスにあって神があなた方に望んでいる事であると使徒パウロは述べています。

共同体生活の中で 19~22
御霊:聖霊の事、別の言葉で助け主とも言われています。この方は火に譬えられ、燃える炎のように強く働かれます。そのお方の働きを消すようなことをしてはならないと言っています。私たちの不信仰、生まれながらの性質が強いと御霊様は働くのを辞めてしまいます。ですから私たちは絶えず自分の心を点検して砕かれた素直な心を持って主にお仕えしていきましょう。

預言:この意味は主なる神のことばを預かって人々に語ることです。旧約時代の預言者も主から言葉を預かって主はこういわれると言って人々に語りかけました。新約の時代もそうでした。パウロはじめ敬虔な信仰者に神は語りかけ、人々に神の言葉が伝えられました。この賜物は非常に重要でした。何故か。このテサロニケ人への手紙が書かれた時代はAD50年代でした。そうすると新約聖書は完結していましたか。そうです。まだ完成しておりません。これから40年以上後になってようやく使徒ヨハネにより黙示録が書きあげられて完成するのです。これですべての神の啓示は終わります。ですからこれ以降は神の啓示はありません。何故だと思いますか。そうです。旧新約聖書66巻に全てあらわされています。ですから今の時代聖書に新たな啓示を付け加えることはありません。
でも使徒パウロの時代はまだ新約聖書が完成していませんでした。すなわち神の啓示はすべてで示されてはいなかったのです。パウロ以外にも預言の賜物が与えられている人がいて、神はご自身の御心を語られたのです。その場合21節にあるように良く見分けて、吟味して本物の預言であるならばないがしろにしてはいけないと言っているのです。厳密にいうとこの預言は今はありません。何故ならすべて神の啓示は66巻に示されています。

悪を避ける:小さな悪でも悪には変わりないので避ける。主なる神の心を悲しませてはいけません。

主の助け 23~24
聖化:ローマ人への手紙6章~8章にかけて書かれています。聖霊の助けによってイエス・キリストに性格が似た者へと変えられてくるキリスト者の生き方を言っています。神は真実な方ですからキリストの来臨、再臨の時まで守ってくださる。この信仰に立って生きようではありませんか。

結び 25~28
祈ってください:祈りの要請、とりなしの祈りがなければ主の働きは出来ないのです。
聖なる口づけをもってあいさつ:兄弟愛を示す行為として口づけ、但しこれは普遍的な事ではなく、文化的なものです。何故なら日本で口づけをそのままやったら大変な事になります。私たちの文化にはこのようなものはありません。お辞儀をする文化です。そこから握手になり、せいぜいハグをするくらいでしょうか。このように聖書には普遍的な真理と文化的な事を分けて見極めることが大切です。コリント教会で行われていた女性の被り物もそうですね。地域的、文化的な背景がありますね。あの場合被り物は男女の秩序をしめすしるしです。
手紙の朗読:教会の礼拝の時に朗読されました。祝祷:キリストの恵みに生かされる。相応しくないものに与えられる一歩的な神からの良いもの。これが恵みの定義です。
適用 
皆さん一人一人も、私の内にいます聖霊により、どんな時にも主を見上げて喜ぶものとされていますから主を信頼していつも祈る者でありたいと思います。そして人生には悲しみ、悩みはつきものです。クリスチャンも悩み悲しみ、嘆くときがあります。これは当然の事です。クリスチャンになったらすべて良い事ばかりということはまずありません。でも主にあって喜び、祈り、感謝することが出来る者とさせてくださっていますから、この視点を大切にしてまいりましょう。これこそ父なる神が私たち一人一人に望んでいる生き方であります。
暗唱聖句 Ⅰテサロニケ5:16~18