テサロニケ人への手紙第一(6)

2022年12月16日

2015年5月17日
聖書箇所:Ⅰテサロニケ4:9~12
宣教題:兄弟愛に生きる 

今日はテサロニケ人への手紙Ⅰから6回目の宣教になります。手紙が書かれた背景は何回もお話ししていますので今回は省きます。1~3章ではテサロニケ教会の兄弟姉妹とパウロの真実な良い関係が書かれています。

4章からキリスト者の具体的な生活について勧めが書かれています。特にその前提は、神を喜ばす事(1節)であります。神を喜ばすとは、神を愛する事、神を喜ぶ生活の事です。この為にパウロたちを通して教えられた教え、命令、福音と教えを、当時の人々はケリグマとディダケーと呼んでいましたが、この神の救いの計画全体を理解することが大切だと言う事を学びました。思い出しましたか。そして具体的に神様の御心は私たちがきよい生活をする事であると学びました。自分の力ではできませんが聖霊の力によってきよめの生活をさせていただくことを学びました。

今日の箇所は9~10兄弟愛について、11~12労働の大切さの2つを学びます。
1、兄弟愛にいきる
アメリカの大きな町にフィラディルフィアと言う名前の町があります。これは聖書ギリシャ語の兄弟愛から来ています。町の名前が兄弟愛というのはいいですね。やはりクリスチャンがつけたと言われています。本庄市にも兄弟愛という町名があると良いですね。本庄市兄弟愛3-8-17。
テサロニケ教会の信徒たちはパウロから兄弟愛については何も書き送る必要はないとまで言わしめています。
愛とは
聖書では主に2つの言葉が使われています。一つは兄弟愛、両親への愛、友情をさしています。もうひとつは神の愛で自己犠牲の愛、見返りを期待しない愛、隣人を愛するという意味の愛です。

2つの愛は神の私達に対する愛につながるものであり、同時に神の愛そのものでもあります。特に神的愛は愛されるものとして相応しくないものに対して注がれる一方的な愛です。別の言葉でいうと言うとイエス様が弟子たち、周りの人々に示された心と行動に表れています。

その最たるものはあの十字架の上にあって、苦しみの極みにあって、「父よ、彼らを御赦しください」と祈られた赦しの愛です。キリストに連なる私たちが受けているのもこの愛が基本にあるのです。ですから求道者の方が教会に来られた時に何か温かいものを感じるのはこれが根拠です。もし教会に来て人々が寒々しい感じを受けたとしたらどこか私達に誤りなあるのかもしれません。

兄弟愛という言葉に戻ってみると
兄弟愛には3つの使われ方がある、人類を兄弟とみて愛する愛(Ⅰペテロ2:17)信者同士を兄弟とみて愛する愛(Ⅰテサロニケ4:9)家族の兄弟愛(ローマ12:10)があります。ここでは兄弟だから男というのではなく、男も女も含めて信者同士を兄弟と見て愛する愛の事です。

具体的にはキリストを救い主を信じて、キリストの体なる教会に連なる兄弟姉妹ゆえに互いに仕えあう事です。お互いが助け合い、支え合い、祈り合う生きた人間関係であることです。特徴は
広がりがある(10節)この愛は広がりがある。テサロニケ教会はこの時点で始まってから数年だと思われます。しかし、愛の実践、行動はテサロニケという町から急速に広がっていったのです。その証拠にマケドニヤ全土に広がったとあります。キリストにある愛の実践は広がって行きます。

11~12 労働、働く
働くことは様々な形があります。毎日会社に行って働く人、お店に行って働く人、役所に行って働く人、家庭で働く人、それぞれのかたちがあります。キリスト教会の牧師のように遊んでいるように見えても実は働いている人もいます。実に様々な形があります。働くとは人間が創造主なる神によって造られた時に始まっていました。ですから人は働けるうちは働きます。これが人間の生き方です。パウロはテサロニケ教会の人々に自分の仕事に身を入れ、自らの手で働きなさいと勧めています。そうすれば外部の人に対して良い証が立てられるし、生活も安定してくると勧めています。

何故このように言っているのか。それは一部の人が、キリストの再臨について間違った理解をして落ち着きを失った生活をしていたからです。また、悲しみに沈むばかりでなく、ある人はキリストの再臨がすぐにあるので働くのは無駄だと思い違いをして働くことを辞め、あちこちでペラペラおしゃべりばかりして、周りの人に迷惑をかけて教会が混乱してしまったのです。故にパウロは落ち着いた生活を志し、良く働きなさいと勧めました。そしていつ再臨があっても慌てないような生活をしなさいと彼らに教え諭したのです。

適用
①愛の実践 
貴方が出来る愛の行動、仕えるかたちは何ですか。それぞれが発見して、家庭、職場、地域、教会で、広げていきましょう。これが大きな形となって私たちの住む埼玉県北部の児玉郡市に広げていきましょう。その為にも自分に与えられている賜物を発見して、自分の使命、役割を果たしてまいりましょう。
②落ち着いた生活を志す
キリストは十字架の死後復活し、天に帰ってから、また戻ってくるとみ使いは弟子たちに言われました(使徒1:11)またキリストご自身が「私は場所を備えに行くのです。場所を備えたらまた来て、あなた方を私のもとに迎えます」と十字架の死の前にして弟子たちに語られました(ヨハネ14:1~4)このみことばは私たちにも適用できる言葉です。実に大きな希望です。

この言葉が語られてから2千年がたちました。キリストが再びこの世界に戻ってくる日、再臨は2千年近づいたことになります。キリストの再臨はないと馬鹿にする人も大勢います。
でもキリストは今日来てもおかしくありません。しかし聖書の勧めは落ち着いて生活し、自分の仕事に身を入れて生活する事です。そしてなお、キリストの再臨を待ち望んで生きるのがキリスト者の生き方です。この世に執着するのではなく、また、世捨て人のように生きるのではなく、今ある自分たちの人生を誠実に生きるのがキリスト者の生き方であります。

暗唱聖句
Ⅰテサロニケ4:11 それぞれが置かれた立場で誠実に歩んでまいりましょう。