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テサロニケ人への手紙第一(5)

2022年12月16日

2015年5月10日
聖書箇所:Ⅰテサロニケ4:1~8
宣教題:聖潔を得る 

今年も母の日を覚えながら礼拝出来る事を感謝します。又今日は2014年度主の恵みを感謝して教会臨時総会の日です。現住会員の方は総会に出席ください。そして今年度になされた主の恵み、御業を覚えましょう。

さて今日はテサロニケ人への手紙Ⅰから5回目の宣教になります。パウロたちは教会設立後、迫害を受けた為にすぐに別の町に移動せざるを得ませんでしたので短い期間しか伝道できませんでした。移動後に教会の人たちは自分が教えた通り歩み、教会形成がなされているだろうかと心配し訪ねたいと願っていましたが、サタンの妨げにより再訪問はできませんでした。ゆえに若い同労者テモテをテサロニケに遣わして教会を訪ねてもらう事にしました。やがて良い報告を受け、手紙を書いたのがテサロニケ人への手紙です。使徒パウロが新約聖書中最初に書いた手紙で、続けて直ぐに第二の手紙が書かれています。3章まで兄弟姉妹とパウロの信頼関係が書かれており、4章からクリスチャンのキリストの再臨に備えての実際生活、励まし、勧めが述べられています。

ところでキリストを救い主と信じ救われた人、すなわち命を与え、生かしてくださる創造主から離れた生活を止め、方向転換して、イエス様が自分の罪の為に十字架に掛かって死に、墓に葬られ、三日目に死人の中からよみがえり、今も共におられると信じて救いを受けたら、目に見えませんがこの時に、聖霊によって、イエス様にバプテスマされます。すなわちキリストと一体となり、キリストの命を受けた人をクリスチャンと言います。この人はどのように生活すべきなのか、その答えが4章に書かれています。

内容
聖書箇所は4:1~8。①1~2日々の歩みについて、②3~8聖潔に生きる
1~2日々の歩みについて
テサロニケ教会の信者たちはパウロ達によって導かれ、信仰が成長しました。そして非常に良い信頼関係を築き、互いに大いに喜び励ましを受けます。しかし、迫害によりすぐに町を離れなければならなくなりましたので十分に教えを伝えきるところまではいかない状態でした。そこである人々は偽の教えに惑わされたりして教会に混乱もあったのです。特にキリストが天に挙げられた時と同じようにもう一度来られる事、これをキリストの再臨と言いますが、この理解が不十分でしたのでもう一度キリスト者の実際生活はどうあるべきかを丁寧に勧めを書いているのが4章からです。

1節 キリスト者の生き方の基本は神を喜ばす生き方(神を愛する、神を喜ぶ)
1節、私たちから学んだように 2節、どんな命令を授けたか。これは具体的にはパウロは何を教えたと思いますか。学んだ、命令という言葉がヒント。そうです。福音と教え。ケリグマとディダケ―と呼ばれるものでした。皆さんこれを覚えていますか。以前皆さんにお渡ししています。このような内容をパウロたちはしっかり信仰を持った人に教えたのです。天地創造、罪、救いから再臨に至るまでの神の計画全体をテサロニケ教会の信者に教えたのです。
そして3節~聖潔に生きる事、9節~兄弟愛に生きる事、11節~再臨を待ち望む態度について教えています。
3節~聖く生きる事。罪を離れ、神の者として分離されること。これを聖書で聖く生きるとか、聖潔と言います。今の日本は聖書の求める聖さからは遠く離れています。当時のテサロニケの町も同じでした。偶像礼拝が盛んに行われ、そこにセットであるのが神殿娼婦と呼ばれる女性でした。そして夫婦以外の性的関係があり不品行と呼ばれるものが行われました。これが大きな罪でした。

今の日本は様々な性的な罪を誘うようなもので満ちています。インターネット、書物、新聞、テレビの中に人を堕落させ、神のみこころから遠く引き離そうとするものがあります。

天の父なる神が望んでいる生き方は、そこから離れて、すなわち罪と離れて、イエスにある者として生きる事です。イエス様にある人は既に立場として聖くされています。だから日々の生活において3節以降勧めているように、イエス様に似た生活、すなわち不品行を避けて生きる事、夫婦以外の性的関係を持たない事です。もし失敗をしてしまったら神の御前に罪を悔い改め、方向転換してやめますと神に罪を言い表す事が必要です。そうしたら主は豊かに赦して下さいます。

適用
●私たちは罪の世界でどうしたら聖く生きることが出来るか。
私たちはイエス・キリストを信じたので罪を赦され救いを受けました。目には見えませんがキリストと一体とされてキリストの新しい命、新しい性質を受けます。しかし罪は消えてなくなったわけではありません。依然として心の中では罪との戦いがあります。そして悪魔の働きによる罪との戦いも日々あります。主が私達に望まれることは3節、聖くなること。7節の言葉を読む。この聖潔はいつも手を洗い、体を良く洗ってきれいにすることではありません。手を消毒して清潔にすると言う事ではありません。ホーリネス。罪や悪い習慣と離れてイエスキリストの心を我が心として生きる生活を聖いとか、聖潔と言います。ではどうしたらキリストの心をわが心として生きることが出来るか。手がかりが
①悪い習慣を忌み嫌う、罪と関係ある事と距離を置く、近づかない。3節、避ける。逃げる。
②8節、我が心の内にいる聖霊様の力に頼り、力を受けて生きる。祈って委ねる事。

暗唱聖句
Ⅰテサロニケ4:3 
あのテサロニケ教会の人々のように生きた神との交わりに生かされ、罪から離れてきよめられつつ生かされてまいりましょう。そしてはつらつとしたクリスチャンライフを歩もうではありませんか。