テサロニケ人への手紙第一(2)

2022年12月16日

2015年4月19日
聖書箇所:Ⅰテサロニケ2:1~12
宣教題:神にふさわしく歩む 

早いもので今日は4月第3週目を迎えました。桜の花は散りましたが、様々な花が咲き乱れ良い季節になりました。小学校1年生に入学したリキ君やありさちゃんは学校になれましたか。新しい経験ばかりで緊張が続いているでしょうか。またそれぞれ進級した皆さんは学校やクラスになれたでしょうか。私たちの教会でも新年度から宣教が新しくなりました。テサロニケ2章からになります。

使徒パウロによって書かれたテサロニケ人教会への手紙が、新約聖書で最初に書かれまして紀元50年頃と言われています。パウロたちはテサロニケの町で迫害を受け教会設立後にすぐ、次の町に移動せざるを得ませんでした。短い滞在だったわけです。ですからテサロニケ教会が、使徒が教えた通りに歩み、聖書の教える教会形成がなされているだろうか、建て上げられているだろうかと心配でした。そして若い同労者テモテを遣わし教会の様子を調べました。報告を受けたパウロは様々な健全な教えを再度伝えるためにこの手紙を書いたのです。この背景を頭に入れながら自分がテサロニケ教会の信者であり、パウロから直筆の手紙を受け取って読んでいるような状況を思い浮かべながら学んでまいりましょう。

今日は2:1~12です。ここでは使徒パウロの生き方、姿勢が書かれています。

2:1~6パウロの伝道姿勢
使徒パウロに反対する人たちが彼の悪口を言うのできちんと弁明しています。又当時は地方を回っていた偽哲学者たちがいましたので、その人たちとの違いを鮮明にする為にもパウロは語らずにはいられませんでした。それが3~6節の言葉です。不純な心から出ているのではなく、だまし事でもありません。自分たちは神の福音のことばをゆだねられた者として、人を喜ばせるためではなく、心をお調べになる神を喜ばせようとして福音を語るのです。だから人に対してへつらい(ご機嫌を取る)むさぼりの口実(欲張った動機)はない。又、人からの賞賛、名誉、栄光を求めるようなことはしないときっちり弁明しています。

※実にパウロの生き方、誠実さがにじみ出ている言葉ですね。

2:7~10パウロの心、母のように優しく
霊的には自分の子どもと同じなので、彼らを養い育てる母のように優しくふるまいました。愛情深く、細かい所にも気を配って接していったのでありましょう。8節には、テサロニケ教会の信者の為に自分の命までも喜んで与えたいとまで書いています。如何にパウロがテサロニケ教会の信者を母親の愛をもって自分のように愛していたかが分ります。

2:11~12パウロの心、父のように
ご自身の御国と栄光とに召してくださるとは(世の終わりの時に、キリストが再びこの世界に戻ってこられます。そして全世界の裁きがあります。それをキリストの来臨、またはキリスト教用語では再臨と言います。後キリストが地上の世界を千年間王として治めます)この時イエスのもとにいるクリスチャンも一緒に地上に戻ってきます。これがご自身の御国と栄光とに召してくださると言う意味です。この神の召しにふさわしく歩むように、ただ優しいだけではなく、父が子を訓練するように勧め、慰め、命じたのがパウロの姿勢でした。
※時には母のように優しく、時には父のように厳しく、励まし、両方を持っていました。

私たちへの適用 ポイント1つ。

神にふさわしい歩みをさせていただこうではないか。それは神の前にも人の前にも誠実な生き方である。具体的にテサロニケ2章から見ていくと以下の通りです。
①人のご機嫌取りをしない。⇒不必要に人にこびる必要はありません。はいは、はい。いいえはいいえとシンプルながらも人の前にも神の前にも誠実に接することです。
②人をだまさない。嘘をつかない。正直に生きる事。
③人に優しく接する。⇒人を差別しないで優しく関わることです。
④人を励ましていく。⇒人をけなすのではなく、あなたを通して勇気が出るように人を応援し、励ますような生き方をしよう。

暗唱聖句 Ⅰテサロニケ2:4 
私たちの心をすべてご存知である主の前に生きよう。そして神に喜ばれるような生き方をしようではありませんか。お祈りしましょう。