テサロニケ人への手紙第一(1)
2015年4月12日
聖書箇所:Ⅰテサロニケ1:1~10
宣教題:偶像から神に立ち返って
私は本庄キリスト教会に招聘されて早3年目となります。この2年間、主の恵みと励ましを受け、皆様方の祈りと協力によって支えられここまで来ることが出来感謝です。さて今まで礼拝宣教は成長のテキストに沿っていましたが、3月で終わりました。今月からは成長を使わず使徒パウロや他の使徒たちによって書かれた書簡から学んでいく予定です。特に新約聖書が書かれた年代に沿って学んでみたいと思います。普段パウロ書簡を読んでいない人は驚くかもしれませんが、キリストの再臨について多く書いてありますのでそこにも触れていきたいと思います。そこで今日は新約聖書の中で一番初めに書かれたテサロニケ人への手紙第一です。紀元50年ころと言われています。
パウロが手紙を書いた理由、目的は
本書は使徒パウロがマケドニヤ地方のテサロニケという町の教会の信者たちに書かれたものです。この教会が誕生したのは使徒の働き17章にありますようにパウロの第二回伝道旅行の時でした。テサロニケは人口20万人の大きな港町と言われています。この町には世界中に散らされていたユダヤ人が多く住んでいてシナゴークというユダヤ教の会堂を持っていました。パウロは伝道の地に行くと必ず真っ先にユダヤ人の会堂で伝道しました。テサロニケの場合は3週間ほどの短い期間でしたが伝道を通して何人かがイエスを救い主と信じて救われました。しかしユダヤ人たちが激しく反対して迫害したのでパウロたちは別の町に移り伝道します。
パウロはしばらくして誕生したばかりの小さな群れであるテサロニケ教会の事が気になっていました。後に同労者のテモテを遣わし教会がどのような状況にあるかを知るために訪ねることになりました。しばらくしてテモテから報告を受けた結果、様々な困難の中にあっても兄弟姉妹が恵みの中で信仰に励んでいる事、また様々な課題があることを知らされました。特にキリストの再臨の希望に対して思い違いをして仕事に実が入らない人がいる事を知らされました。
そこでテサロニケ教会の信者がキリストにあって正しい福音理解のもと成長し、教会を建て上げて行けるようにと願いを込めて書いたのがこの手紙です。ここにはキリストにある者の信者の生き方、またキリストがもう一度この世界に戻ってこられる再臨への対応が書かれています。
挨拶 1
パウロ(ラテン名で小さき者)昔はサウロ(ヘブル名で強く望まれる者)
シルワノ(ラテン名)別の箇所ではシラス 他に同労者テモテから。
父なる神及び主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。キリストにあるとはキリストと結びついているという事です。恵みと平安、主から恵みにより平安が与えられる。
感謝 2~3
パウロたちは常にテサロニケ人の教会を思い起こして神に感謝し、祈りをささげていた。又彼らの内にある信仰、愛、望みを思い起こしている。
確信 4~6
テサロニケ人信者は神に選ばれたもの
福音が伝えられ救われたのは力と聖霊と強い確信による
聖霊による喜びをもってみことばを受け入れた
模範 7~8
近隣の教会の中ですべての信者の模範となった
周りにも伝わっている
偶像から神に 9~10
テサロニケの町は真の神から遠く離れ偶像礼拝に満ちていたが彼らはそこから神に立ち返った。そしてやがて来る神の御怒り神の裁き(黙示録6~19)この世の終末時代の患難時代から救うためにイエスが天から戻ってくるのを待ち望むようになった。
ポイント
①生き方が変えられるというのがポイント。テサロニケの信者たちはキリストを信じて生き方が変えられた。空しい偶像礼拝から真の神礼拝へと変わる。
・あなたも私もキリストにあるものは生き方が変わるのです。
・様々な人生の苦しみの中にあっても喜びにあふれるような生き方へと変わる(6節)
・空しい神々を拝む生活から生ける真の神との人格的な交わりの中で生きることが出来る(9節)
・創造主に造られ生かされているのに的外れの生き方をしていたものが今は主を仰いで主の御心の内を生きようとする.
②キリストの再臨を待ち望む生活をする(10節)
キリストが来られる時には信者は朽ちる体から栄光の体に変えられる。キリストの再臨を待ち望む態度こそ真の信仰者の姿である。テサロニケの信者たちはその様な信仰を持っていた。但し注意すべきことがある。それは再臨の時は何時かわからない。それなのに再臨が近いからと言って間違った考えを持つ信者たちがいた。それは自分の仕事に実を入れないで浮ついた生活をしている信仰者がいた事である。これでは話になりません。いつもと同じように仕事をし、普通の生活をしながら主を待ち望む生活こそ健全である。別の言葉でいうと天に宝を積む生き方をする事である。
私たちへの適用
再臨信仰の大切さ 今日イエス様が再臨されるかもしれない。Ⅰヨハネ3:2~3
私たちもテサロニケの信者たちと同じように今日主がこの世界に戻って来られるかもしれないと言う思いを持って歩んで行こう。そうしたら、キリストは清いように、自分も清い生活を志します。
結論
今まで本庄教会ではパウロ書簡の学びは10年近くないかもしれません。ゆえに再臨とか、やがて来る御怒りという話を聞いたことがないと言う人がいるかもしれません。しかしこれから学ぶ箇所では再臨や終末についての話は普通に出てきますので驚かないでください。そこで説明ですが、イエスはやがて来る御怒りから私たちを救ってくださる(10節)とは、神の裁き(黙示録6~19)患難時代を指しています。これは7年間続きます。これから救うためイエスが再臨する事を10節では言っています。私たちもこの再臨にあずかるかもしれません。暗唱聖句Ⅰテサロニケ1:5