ガラテヤ人への手紙(14)
2015年11月8日
聖書箇所:ガラテヤ6:11~18
宣教題:主イエス・キリストの十字架を誇る
今日でガラテヤ人への手紙は14回で最終回になります。8月2日から今まで学び続ける事が出来感謝しています。何回も申し上げております様に、新約聖書が神の啓示によって聖書記者に示され書かれた順番を大きな区分で見るとAD紀元50年前後、60年前後、90年代となります。この手紙はテサロニケ人への手紙と同じように50年前後に書かれました。中身はキリスト信仰の最も大切な部分で、救いは神の恵みにより、信仰によって与えられるもので、割礼等の律法は必要ないというものでした。ガラテヤ教会をかき回す者たちに騙されて混乱していたガラテヤ緒教会の信仰をもう一度原点に導くためにこの手紙は神の啓示を受けてパウロは霊感されて書き記しました。
今日は手紙の締めくくりの部分です。聖書は口述筆記と言う方法で書かれるのが当時の普通の習慣でした。これは手紙の差出人が話すことを書記がその言葉通りに書く方法です。例えばローマ人への手紙ではパウロが話すことをテルテオという書記が記録しました。(ローマ16:22)このガラテヤ人への手紙もパウロが言葉で話したものを書記さんが書きあげたと思われます。それが6:11の言葉です。6:10まではパウロが話したところ。6:11からパウロが書いています。ここから自分が書いたのだという事を証明しているのです。今迄書記が書いたものを眺めながら、今度はパウロ自身が書いたサインと締めくくりの字は明らかに大きさが違うこと、これはまさしく自分のこの手で書いたのですと証明しているわけです。ここから最後まではパウロが実際に書いたという事になります。このまとめの部分ではどのような事を書いているのかみてまいりましょう。因みにパウロは大きな字で書いていることからすると彼の持病は目が悪かったと考える学者もいます。
1、かき乱す者たちが教えた事とは 12~13
ガラテヤ諸教会に潜り込んできた偽教師たち人々に何を教えたかをパウロはとまとめています。
①肉において外見を良くしたい
偽教師たちはガラテヤ教会の人々にイエスを救い主と信じるだけでは二流の信者だとか、又ガラテヤ人信者たちもユダヤ人のように律法を守りアブラハムの時代からの割礼を受けなければ救われないと教えたのです。その教えは結局「肉に於いて外見を良く見せたい」だけだと断言します。肉とは食べる肉の事ではなく聖書独特の表現で、人間の罪の本質から出てくることで、人間的なやり方、考え方、手法、自我、欲望から出るもので、信仰的には熱心に見えても見かけ上のみであり、外見を良く見せたいだけにすぎないとパウロは偽教師たちの本性を指摘しています。
②迫害を受けたくない
パウロはかつての自分の姿を思い浮かべながら、かき乱す者たち自身が他のユダヤ人たちから迫害を受けたくない為にこのようにしているのだと述べています。
③肉を誇りたい
自分たちはアブラハムの伝統を受け継いでいる信仰熱心な者たちであるという選民意識、エリート意識がこの肉の誇りです。これは決して神の喜ばれることではありません。
結局彼らは聖書の律法が教えるところの真の意味を全く理解していないばかりか、聖書の真理を曲げて人々に教えているので害になるばかりです。
2、福音の本質 14~15
14:ここではキリスト信仰で最も大切な、中心的な部分を述べています。それは人間の偉大さを誇るのではなく、主イエス・キリストの十字架だけを誇る事です。これは十字架のペンダントを飾ることではありません。キリストの十字架の御業を見上げて生きる事です。この十字架によって・・・以降が意味するところは、キリストの十字架の御業を信じて救われたことにより、自分の血筋や家柄、育ち、仕事上の経歴、立場、自分が誇りとしていたこの世界から縛られなくなり自由になりました。それを十字架に付けられて死んだと表現しているのです。
15:大事な事は新しい創造です。これはキリストの救いを受けて内面が日々新しくされることを新しい創造と言っています。具体的には私たちの主人であるイエス様に似る事です。これがキリスト者の特徴で新しい創造と呼ばれるものです。
3、パウロの生き方 17
私をわずらわせないで下さい。これはガラテヤ人に対するパウロの気持ちです。福音の真理に立って一致して歩んで欲しいという願いがあります。イエスの焼き印。この当時奴隷社会でしたので人々は所有者の印として一緒消えない印が体に残っています。パウロの体には無数の傷があったと思います。Ⅱコリント11、使徒の働きを読むと理解できます。ここから推測するとイエスを信じて宣教に生きた時に迫害者から受けた傷跡と考える事が出来ます。これがパウロの生き方でした。
4、頌栄 18
神に栄光をお返しする事を頌栄と言います。この頌栄を短くして締めくくり終わっています。
適用
○キリスト信仰の本質は何でしょうか。
今の時代においてもイエスキリストの十字架の御業を見上げて生きる事がキリスト信仰の本質です。すなわちキリストが私の罪の為に十字架の上で死なれたこと、葬られたこと、三日目によみがえられて、今も生きておられるキリストを見上げて生きる事が信仰のポイントであり、信仰生活も神の恵みと主への信頼、信仰によって歩み、聖霊、御霊様に相談し、励まされつつ生きる事がキリスト信仰の基本であります。
○キリスト信仰の本質を邪魔する落とし穴は何でしょうか。
私たちには生まれながらの罪の性質から出てくるものが沢山あります。これがキリスト信仰の本質をゆがめます。聖書の福音にプラスアルファをつける事です。それは自分の頑張りや努力によって神に喜ばれようとすることが頑張り信仰です。あるところまでは結構できてしまいます。しかしこの信仰の在り方は聖書の教える信仰とは違います。行きつくところはローマ7章の世界です。覚えていますが、信仰生活に疲れ果てる。同じように自分の力で一生懸命にやればやるほど疲れ果て、いつの間にか喜びを失い、人を裁くことばかり夢中になり、やがて信仰は長い休眠状態となります。ではどうしたらよいか。ローマ8章の世界に進みます。私達の内に住んでおられる御霊なる神、聖霊様により頼み、力を受けながら恵みにより、信仰によって生きる事です。これが真のキリスト者の生き方です。皆さんよろしいでしょうか。聖霊により頼む生き方は、自分の力により頼む頑張り信仰とは違うので疲れないのです。聖霊によって力が湧いてくるのです。是非皆さん、信仰の落とし穴に落ちないで本物のキリスト信仰の中を歩ませていただきましょう。
ガラテヤ6:15 暗唱聖句
今日も主の十字架を仰ぎ見ながら今も生きておられるキリストを見上げて歩んでまいりましょう。