ガラテヤ人への手紙(13)

2022年12月15日

2015年11月1日
聖書箇所:ガラテヤ6:1~10
宣教題:キリストの律法を全うしなさい 

今日はガラテヤ人への手紙13回目の学びになります。パウロたちの働きを通して設立されたガラテヤ地方の諸教会は偽教師によって間違った聖書の教えを吹き込まれて混乱してしまいました。これを知ったパウロは福音の真理、信仰の本質、キリスト者の生活の在り方をもう一度伝えるために急ぎ手紙を書きました。これがガラテヤ人への手紙です。具体的内容はキリストの救いはただ恵みにより信仰によってのみ与えられるという事でした。救いはイエスの十字架の御業を信仰によってのみ与えられる事。福音と信じる。3つのポイントがあります。キリストが私達の罪の為に死なれたこと、葬られたこと、三日目によみがえられ、今も生きておられることを信じたら救われる、今日はイエス様の十字架の御業をパンとぶどうジュースを通して主の恵みを特に覚える礼拝です。
またパウロは5章からキリスト者の実際生活の在り方を教えています。6章はその続きになります。今日の箇所1~10です。パウロが手紙を書いた時のガラテヤ諸教会はどのような様子だったと思いますか。元気いっぱい聖霊に満たされて歩んでいたのでしょうか。そうではないと思います。偽教師の教えに惑わされた教会の中は分裂、分派、互いの不信感、愛が冷えていたのです。しかしパウロは信仰共同体に生きるガラテヤ教会の兄弟姉妹に強く命じています。3つ、1、過ちを陥った人に対して1~5 2、教会指導者に対して6 3、善を行うように7~10

①過ちを陥った人に対して1~5 兄弟姉妹が罪を犯した時のかかわり方です。

1:御霊の人とは御霊を受けている人、即ちクリスチャンであるという意味。自分も誘惑に陥るかもしれないのだからという心をもって、優越感を持たず、上から目線でなく関わり、誤りを正しなさいと言う勧めです。
2:そして互いの重荷を担いながら共に生きていく、隣人愛をもって生きる、これがキリストの律法を全うする事です。重荷:5節の重荷(荷物)と2節の重荷は意味(原文)が違います。2節は一人では担いきれないような大きな重荷の事です。これは一人ではどうする事も出来ない者です。そういう時には互い教会の兄弟姉妹たちでその人の重荷を負い合っていくのです。これがキリストの律法に生きる人の姿であり、愛に生きる人です。今教会に重荷を背負って担いきれない人がいたら祈りつつ皆で重荷を担って分かち合っていきましょう。そして課題を解決しましょう。これがキリスト者の生き方でありキリストの律法を全うする事に繋がります。
3:自分は今まで一生懸命努力してひとかどの人間になったなあなどと思ってはならない。それこそ自分を欺いているとズバリ指摘しています。謙遜の勧めですね。
4:自分をよく吟味したら人様の前で誇れるようなものは何もありません。謙虚に生きる。称賛に値するような事があっても人と比較せず自分だけで満足していなさい。5:というのは、誰でも自分自身の負うべきそれぞれの荷物があるからです。イエスの山上の垂訓、労苦はその日その日に十分ありますという言葉に繋がります。

②教会指導者に対して

6:みことばを教えられる人とは教会員、みことばを教える人とは主に牧師、伝道者のこと。教会奉仕に専念している人。教会から謝礼をいただいて生きている人ですが、良いものを分け合いなさいとは、みことばを教えられる教会員は牧師が生活出来る様に支えていきなさいと言うすすめです。良いものとは献金、経済、賜物、その他の良いものを分け合うのです。聖書はこのように勧めていますが皆さんはこれをどの程度意識していますか。
分け合うとは原文ではコイノニヤという言葉です。共有する、交わりという意味もあります。私達本庄教会では普通に使う言葉になっていますね。本庄教会にはコイノニア基金があります。今は主に「ちいろば」の皆さんが毎月コイノニア献金をしてくださっています。これは教会の皆様が様々な協力をしてくださっているので成り立っている奉仕です。今年はこのコイノニア基金から土砂災害を被った鹿沼教会の吉澤牧師夫妻へ、石巻祈りの家に灯油献金、フィリピン教会にそれぞれ献金しました。キリストにあって一つとされている交わりから生まれるものです。教会の牧師と信徒の関係も互いに良いものをお互いが分け合うのだと使徒パウロは勧めているのです。

③善を行うように7~10

7~8:偽教師や様々な偽物の教えに騙せれてはいけない。神は人から侮られるようなお方ではありません。すなわち創造主なる神は軽く見られて馬鹿にされるようなお方ではないから。罪の種をまけば滅びや破滅を刈り取り、御霊の種をまけば命を刈り取る事になります。すなわち信者が主の前に誠実に、主を信頼して生きる様に勧めています。
9:善とは主のみ心に適う信仰からくる良い業のことであります。主にあってこの良い業を続けるような生き方をしなさい。そうすれば(時期が来て)やがてキリストの再臨の時にはっきりと報いとなって現れる時が来ます。ここまで粘り強く主の良い業に励もうではありませんか。
10:機会あるたびに信仰の家族に善、良い、幸福となるような生き方をしよう。信仰の家族とはガラテヤ諸教会、神の家族、私達にたとえると、本庄キリスト教会の兄弟姉妹に対してという事になります。またはほかのキリスト者に対してという事になります。良い業をもって仕え合うのです。

適用
○本庄教会の目指すもの 2節 互いの重荷を負い合う
兄弟姉妹が、さばき合ったりするのではなく、互いの重荷を担い合えるような関係になりたいですね。出しゃばらず、干渉しすぎず、しかもしっかり支え合える関係でありたいと思います。これから年を重ねていきますのでますますそのようになっていかないと生きていけないという現実があります。隣人愛に生きる、これがキリストの律法に生きる事なのです。

ガラテヤ5:22~23 暗唱聖句

○結論
使徒パウロは罪を犯して一人では負いきれないような人に、柔和な心をもって関わり重荷を負うこと、教会の牧師と良いものを分け合うこと、善をおこなう、隣人の幸せにつながるような良い業に励むことの3つを勧めていますが、いずれも私達にそのまま適用出来る事ばかりです。この3つを心に留めながら聖霊に導かれて、聖霊の力に励まされて今週もキリストの律法を全うするような生き方をさせていただきましょう。

お祈りいたしましょう。