ガラテヤ人への手紙(12)

2022年12月15日

2015年10月18日
聖書箇所:ガラテヤ5:16~26
宣教題:御霊によって歩みなさい 

今日はガラテヤ人への手紙12回目の学びになります。この書物のテーマは福音の真理に立ち返る事です。1章~4章はキリスト信仰の本質について、特に救いは恵みと信仰によってのみ与えられるのだとパウロは語り掛けます。5章~6章はキリストの救いを受けた信者の生き方について語り掛けています。ここから私達の日常生活に適用して考えてみましょう。

さて今日の箇所16~26ですが「御霊によって歩みなさい」がテーマです。この箇所は13節の呼びかけの流れの中で語られているものです。自由を与えられる為に召されたのだから愛をもって互いに仕え合いなさいとパウロは勧めています。これを前提にして16節からガラテヤ人たちが隣人愛に生きるためには「御霊によって歩みなさい」と強く語り掛けます。内容は4つに分かれます。順を追って考えて生きましょう。因みに今日の箇所は特に私たちが良く理解する必要があるところです。

○御霊と肉の関係16~18
・御霊とは何でしょうか。別名は聖霊と言います。その時々に於いてギリシャ語の言葉が違うので日本語でも御霊と訳したり聖霊と訳したりします。
・バプテスマ、洗礼を受けた人は式の時の事を思い出してみてください。牧師は何と言って授けましたか。そうですね。「父、子、聖霊の御名によってバプテスマすると言って授ける」と言ったはずです。イエス様がそう命じたのでそのようにしています。吉田孝の名前で授けても意味はありません。
・では父、子、聖霊の御名とはどのような意味でしょうか。そうです。真の神は唯一で、父、御子、御霊の神は三つの位格があり一つです。御霊、聖霊は霊なるお方で目に見えませんが本質的に神の性質をお持ちの方であり神です。
・この御霊なる神はイエスを救い主と信じた人とどのような関係がありますか。はるかかなたから遠く見守っているのですか。そうではありません。イエス様を信じて救いを受けましたと言う印として私達の内に住んで下さいます。これを御霊が内住すると言います。一旦住まわれると決して離れませんからご安心ください。
・但しこの方の性質は控えです。私と同じように控えめな方です。助け主、癒し主、弁護者、慰め主、きよめ主と呼ばれるお方です。時にはあなたを励ましたり、慰めたり、罪を示したりします。クリスチャンでなければ何とも思わないことでも、私達は深く罪が示される場合があります。それは御霊なる神の働きです。
・さらにキリスト者に対してパウロは御霊によって歩みなさいと命じています。意味は御霊なる神の御心は何かを常に尋ね求めて祈り、それに従いなさいと言う勧めです。
・次に肉とは何でしょうか。食べる牛肉ではありません。別の言葉でいうと、神を離れた人間性、人の罪の事です。私達が心の内に生まれながら持っている性質です。御霊、聖霊はイエス様を信じた時に受けるイエス様の命であり肉の性質とは違います。この2つは相反するもので、クリスチャンはいつもこの肉の性質とぶつかり合います。この戦いは一生続きます。何故でしょうか。そうです。聖化の連続なのです。私達の死ぬまで心の中で御霊と肉の戦いがあるのです。天に召された時に解放されます。
・でも御霊に導かれて生きるなら、生かされるなら、律法の下で縛られて生きるのではなく、自由に生きる者とされるのです。心の中で御霊の支配が強ければ、御霊が活発に働き、肉の性質が強ければ罪深い生活をします。この2つの関係を16~18で述べています。

○肉の行い19~21
これは罪の生活ですので神を離れた人間性がもろに出てきます。それを肉の行いと言います。肉の行いは常習的な罪の行為です。一目瞭然です。複数あります。4つに区分できます。
・不品行、汚れ、好色(性的乱れ)夫婦関係以外の性関係
・偶像礼拝、魔術(宗教的な乱れ)真の神への礼拝を忘れると、神々への信仰に入ります。
・敵意~妬み(自己中心の人間関係がぶつかり合って破壊される事)そねみとねたみの違い:そねみ:熱心さからくる嫉妬。妬みは悪意からくる嫉妬と区別できるかもしれません。
・遊興、酩酊(酒を飲みすぎて理性を失った姿)様々な失敗を重ねる。
このような事を常習的にする人は新生、ボーンナゲインしたクリスチャンではありません。よって神の国を相続することは出来ません。

○御霊の実22~24
これは一つ(単数形)です。梨やリンゴやブドウのように一つの実、一房、果実の事です。
御霊は私たちを内側からつくりかえてきよめてくださいます。一つの実を結び、味わい深くなるのです。中身は基本が愛で、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
この生き方は聖書の律法が教える内容と一致します。24節:信じた時に古い自分はキリストと共に自らの罪を十字架に付けて死にました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きているのです。キリスト者の生き方を言っています。

適用 キリスト者の生き方とは
・私達の生まれ持った性質は肉の心だけです。クリスチャンになると肉の心の中に御霊が入ります。信仰によってキリストと繋がっているためです。故に私達の心の中では罪と神の性質である御霊との戦いがあります。だからキリスト者には心の葛藤、苦しみがあるのです。これを拡大すると、神に敵対する悪魔、サタンと神の陣営、すなわちキリストとの戦いになります。最終的にはキリストは悪魔に勝利します。
・ですからむやみに恐れる必要はありません。救いを受けたら神の御霊、聖霊があなたの内に住まわれているのだから、御霊に導いてくださいと祈りつつ歩んでいこうではありませんか。

○結論25~26御霊に導かれて生きよう
御霊に寄り頼んで生きようとするとだんだん肉の行い、罪の生活をしようとすると気持ち悪くなるのです。吐き気を催す。これが御霊の働きです。私も時々経験します。御霊の守りがあります。
昔大阪で元やくざの組長で今牧師の吉田芳幸さんの話を聞いた事がありますがクリスチャンになる前は悪事ばかり働いていましたがクリスチャンになってからは悪いことをしようとしたら頭がガンガン痛くなってできなくなったと言っていました。これも御霊の働きです。
虚栄心:うぬぼれて争いやねたみながら生きる生活は捨て去って今週も生かされようではありませんか。
ガラテヤ5:16 暗唱聖句