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ガラテヤ人への手紙(8)

2022年12月15日

2015年9月20日
聖書箇所:ガラテヤ4:1~7
宣教題:もはや奴隷ではない

今日はガラテヤ人への手紙8回目の学びになります。福音の真理から外れてしまったガラテヤ諸教会に対し使徒パウロは本物のキリスト信仰に立ち返るよう手紙を書きました。今日の聖書箇所はキリストを信じて救われた者たちが如何に幸いな立場に置かれたのか書き記しています。それは同時に私たちにも適用出来る事ですので学んでまいりましょう。

1~3:この世の幼稚な教えの奴隷となっていた
4~6:キリストによって多くの恵みを受けた
7:もはや奴隷ではない

1~3、この世の幼稚な教えの下で奴隷となっていた。1~2と3は同じこと。
幼稚と訳されている言葉は原則、初歩、天体(あるいは諸々の霊)と言う意味です。幼稚という言葉よりこの世の原則の下で奴隷となっていたという方が分かりやすいのではないかと思います。この世の原則とはどのような原則なのでしょうか。キリストの原則とは反対のものと考えると良いと思います。
例:キリストの原則          この世の原則
隣人愛に生きようとする  ←   自分の為だけに生きる
神の前に正しいか     ←  人の目を気にして自分を良く見せる
真の神を礼拝する     ←  この世の神を礼拝する。偶像崇拝する諸々の霊
天に宝を積む生き方  ←  地上に宝を積む生き方をする
真の神にのみ信頼する ←  占いや姓名判断等に頼る諸々の霊

4~6 キリストによって多くの恵みを受けた。
:定めの時⇒今から2千年前のクリスマスです。時が満ちて丁度良い時に神はこの地上にご自分のみ子イエス・キリストを遣わして下さいました。
:女から生まれた者⇒処女マリヤを通し聖霊によって身ごもり私たちと同じ人として来られました。イエス・キリストは全き神であると共に全き人であります。ですから私達の心や体の弱さ、痛み、悲しみ、苦しみをすべて理解してくださるお方です。
但しイエスは聖霊によって身ごもり人として生まれ、同時に本質は神なるお方ですから罪が無いお方です。ですから私達人類のすべての罪の身代わりになる事が出来るのです。

これが次のみ言葉に繋がります。
:律法の下にあるものを贖いだされ子どもとしての身分を受ける
これは養子縁組の事で法律的にその人の子どもとなり相続を受けるのです。
:アバ父と呼ぶ アバとはアラム語で子供が父親を呼ぶ言葉で、お父ちゃん。
私たちも父なる神の子どもとされ親しくお父さんと呼ぶ事が出来る関係になります。
:御子の御霊⇒イエスを救い主(メシヤ)と信じるだけで救いを受け新しい人となります。
中身はもちろん福音です。キリストが私達の罪の為に死なれ、葬られ、三日目によみがえり、今も生きて私と共にいる。
この福音を信じるだけで救いを受ける。別の角度で見ると、信じた時にキリストと一体にされキリストの命を受けます。それが聖霊によってバプテスマされることです。そして信仰者の内にイエス・キリストの御霊、聖霊が住んで下さいます。これが御子の御霊を私達の心に遣わされたという事であります。

7、もはや奴隷ではない
:奴隷ではなく子供とされた(養子縁組された)
正しい律法の力に圧倒されて、罪を指摘されてばかりの状態、神の前に喜ばれることを行おうとしても応える事が出来ない、自分の弱さや罪深さばかりがいつも心を支配する状態が律法の奴隷という事であります。
そこからイエスのよみがえりを信じる信仰によって神の前に正しいと宣言され、聖霊を受けて心新しくされ一歩を踏み出し神の子供とされました。これが養子縁組されたという事です。

適用
○この世の原則からキリストの原則へ
私達はイエスを救い主と信じて聖霊を頂いても尚、心の内には罪の性質が多く残り、日々戦いの連続であります。そこで心を向けていきたいことは自分がいま考えている事、行っている事はこの世の原則に沿っているのだろうか、それともキリストの原則に沿って歩んでいることなのだろうかを考えて生きる事が大切なポイントになります。
例:日本の宗教行事について⇒これはこの世の原則に沿っての行いであるのか。それとも。
:良い業について⇒自分の名誉欲や自分がいい人だと言われるために行なうのか。それともキリストの心を実践し栄光はキリストにお返ししているか。
:お金の使い方に関して⇒自分の為ばかりに使うのか。それともキリストにお返しして神と人の為にも使うのか。礼拝の行為であるのか。
このような様々なケースでこの世の原則を優先するか、キリストの原則を優先するか善お考えになって下さい。

暗唱しましょう。ガラテヤ4:6 結び 、
イエスの御霊を受けた私達は養子縁組されて天の父なる神の子どもとなり、父なる神をお父さんと呼んでよいのです。今週もこの救いの恵みを大切にしながら歩んでまいりましょう。