ガラテヤ人への手紙(3)
2015年8月16日
聖書箇所:ガラテヤ2:1~10
宣教題:あれから14年
昨日は敗戦記念日でした。一般にはやっと戦争が終わったという事で終戦記念日と呼ばれています。今年は節目の戦後70年です。特に私達の近くの伊勢崎、熊谷で敗戦当日の8月15日未明に空襲を受け多くの方が亡くなり、家やお店、工場が破壊されました。本庄にも空襲がありました。改めて70年前悲しみと絶望の中にあった事を確認する必要があります。そして日本中が深い悲しみの中にありました。同時に戦争がやっと終わったという安堵感もありました。1千万~2千万人のアジアの人々を日本人が殺し310万人の日本人が殺された事実を決して忘れてはなりません。
そして今私達に出来る事は政治に関心を持ち選挙には必ず参加して投票する、また経済や歴史に関心を持ち、平和憲法を守り政治家に絶対戦争をさせない、日本が再び軍国主義に戻らないよう監視する事です。その為に、過去の歴史を学び、後世の人に事実を伝え、世界の平和に役立つ社会貢献を成し神と隣人を愛する生活をする事が今を生きる私たちの責任ではないでしょうか。
さて8月2日からガラテヤ人への手紙を学んでいます。この手紙は使徒パウロが早い時期に書いた手紙で、宛先はガラテヤ地方の諸教会です。福音の真理が大きなテーマになります。福音とは私たちが信じる信仰の中心であり、また基本であり堅く持ち続けるものです。
2回にわたり1章を学びました。内容を復習すると、ガラテヤ諸教会はいつの間にか使徒パウロが伝えた福音の教えから外れてしまいました。それはこの地方の諸教会にかき乱す者たちが忍び込んできてパウロの福音+割礼をしないと救われないとか、福音+旧約聖書の律法を守らないと本物のキリスト信仰ではないという教えでした。この教えを真に受けたガラテヤ諸教会の兄弟姉妹たちはすっかりキリストの心から遠く離れた信仰となってしまいました。これではいけないと手紙を送ったのがこのガラテヤ書であります。今日は2:1~10節に何が書いてあるかを学びます。そして私達にどのように適用できるか考えてみましょう。
それから14年たって 1~5
使徒パウロはキリストの弟子たちを迫害する人物でしたが、あの有名なダマスこの途上で生けるキリストから直接御声を聞いて回心しました。これが紀元後33年頃であったようです。すぐに彼はアラビヤ地方で異邦人に福音を伝え、3年後にやっと当時のキリスト教会の中心地であるエルサレム教会を訪ねています。それから自分の出身地、キリキヤのタルソやシリヤのアンテオケで異邦人伝道を続けてきました。この1節の「それから14年たって」とは今述べた事から14年という意味です。ですからパウロが手紙を書いたのは紀元50年前後である事が分かります。パウロは様々な事を経験した後バルナバとテトスを連れてエルサレムに行きました。しかも誰かから招集されてではなく神からの啓示によって特別に行けと示されたという意味です。
そして何をしたか、パウロの述べている福音を人々の前に示すためでありました。4節にありますように、パウロがエルサレムに言った時既に忍び込んだ偽兄弟がいて、異邦人信者(テトス)に割礼を施さないと言われるかもしれないという状況でした。しかしパウロは一歩も譲歩することなく福音の真理を守りました。救いの条件に異邦人に割礼を施す事をしませんでした。(以下注目点)
2節:私の述べている福音
天地万物を創造主によって人間は最初から人間として目的をもって造られ生かされている事、しかし人は創り主なる神に背を向けて生きている、この的を外した生き方を聖書で罪という。これを前提として彼は神の良きおとずれの言葉(福音)を語り伝えます。福音の中身は創造主なる神は人を愛しておられる、故に神の独り子救い主、キリストをこの世界に遣わされました。そして神の子イエス・キリストを救い主と信じる者を神は正しいものとみなし罪の赦しと新しい永遠の命を下さいます。具体的に告白する内容は①イエス・キリストが私たちの罪の為に死なれた事、②葬られた事、③三日目によみがえられた事を信じますというものです。信じたら救いを受ける。神が与える救いはどこまでも神の恵みであり、信仰によって与えられるものです。福音に+αは何もつけません。これがパウロの述べた福音です。私たちが救われるための業は全部イエス様がしてくださいましたので私たちはこの福音のことばを信じるだけでどんな悪人でも善人でも等しく救われます。
5節:福音の真理
忍び込んできた偽兄弟がいましたがパウロは信仰と恵みによって与えられる救いに異を唱えました。しかしパウロは福音の真理を守るために一時も譲歩しません。因みに偽兄弟たちは福音+旧約聖書時代の割礼(男性の包皮の皮を切り取る行為、現代的に言うと包茎手術)をしなければ救われないと主張しました。こうなると福音ではないので偽兄弟と呼び捨てたのです。私たちも現代に在って聖書の教えるシンプルな福音からいつも離れないよう自分の信仰を吟味する必要があります。
ペテロたちとの関係 6~10
この箇所はパウロとペテロたちの関係を述べています。当時ペテロは割礼をうけたユダヤ人への福音宣教、パウロは主に異邦人宣教と役割分担していました。こうなると伝道の仕方や教会を形成していくうえで様々な違いやそれぞれの特徴が出てまいります。しかし福音の真理を守ることは共通していましたので、互いに握手してお互いを認め合う事が出来たのです。そしてお互いがいつも心に覚えていることがありました。それが10節:貧しい人を顧みる事です。当時ユダヤでは飢饉による厳しい状況が続きました。この時異邦人中心のアンテオケ教会は救援物資を送ってユダヤの人々を支援したのです。このように福祉の原点はキリスト教会にあります。これは現代も変わりません。本庄キリスト教会も常にこの為に心を配ることが神から求められています。
適用
○福音の真理のためには一歩も譲歩しない
福音に混ぜ物をしたら福音ですか。また福音+○○。例えば、福音を信じただけでは救われない。福音+悪霊払いをしないと救われない。福音+救いのお札と買わないと救われない。とか言ったら福音の真理とは言いません。福音とは創造主なる神が私たち人間を愛し、救い主キリストをこの世界に送り、イエス・キリストが私たちの罪の為に死なれた事、葬られた事、三日目によみがえり今も生きておられることを信じたら救われる。神の恵みの御業であります。パウロが命がけでのべ伝えたこの福音の真理の為に私たちも一歩も譲歩してはなりません。但しそれぞれのキリスト教会には歴史や特徴点による違いが多くあります。これについては互いを尊敬して認め合う事が必要です。
○貧しい人を顧みる
当時のキリスト教会の底辺にある基本的な考え方は貧しい人を顧みる事です。これは今も生きた聖書の基本です。この点幸いにも本庄教会は恵まれています。皆さん一人一人には弱い立場の人を顧みる心があります。これは先輩たちから代々築いてきた本庄キリスト教会の優れた点、特色の一つであります。今後も様々な弱者、または貧しい人を顧み、寄り添い続ける事を教会の使命として歩みたいと願っています。自分達が共倒れしない為にもますます他者を顧みる意識を強くされよう。
暗唱聖句 ガラテヤ2:10
結び パウロは前半の3年、そして14年を経てエルサレムから来た偽兄弟たちと福音の真理を守る戦いをしました。そしてこれから後一次、二次、三次世界伝道旅行をして福音を伝え続けます。私たちも同じ福音を委託されている者としてこの使命に生かされていこうではありませんか。