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ガラテヤ人への手紙(1)

2022年12月14日

2015年8月2日
聖書箇所:ガラテヤ1:1~10
宣教題:他の福音はない 

4月から新約聖書が書かれた年代に沿って学んでいますが先週までテサロニケ人への手紙Ⅰ・Ⅱを学びました。今日からガラテヤ人への手紙です。この手紙もやはり使徒パウロが早い時に書いた手紙です。宛先はガラテヤ地方にある多くの教会に向けて書かれています。当時のガラテヤ地方の諸教会はこの手紙を回覧して礼拝の時に朗読しました。大きなテーマはテサロニケの手紙と異なり、福音、信仰の本質を取り戻すことが書かれています。福音とは私たちが信じる基本的な事です。そしてずっとそのまま堅持していかなければならないものです。
この福音の理解が聖書本来の言わんとしている事からずれると私たちは聖書信仰から外れ、イエス様の心ともずれてきます。これは昔も今も変わりません。という事は現代に生きる私たちに問いかける内容にもなっています。是非この機会にガラテヤ書を通読してみると良いともいます。また2回、3回と続けて通読されることをお勧めします。そうするとなんとなくパウロの言いたい事が伝わってくると思います。1自己紹介 2~5挨拶 6~10異なった福音に対して

1節 自己紹介
この手紙の書き出しは他のパウロ書簡とは違います。普通は穏やかにパウロから何々教会の聖徒たちへという書き出しから始まります。そして恵みと平安を祈り、また感謝のことばが続きます。しかしこの手紙全く違います。いきなり使徒となったパウロから始まります。原文を見るとパウロ、使徒という順序です。つまり私パウロは使徒であるとその立場を明確にしています。使徒という言葉にはどのような意味があるのでしょうか。質問。今日使徒職と呼ばれる人はいると思いますか。新約聖書27巻が書かれた時点で存在していません。もし皆さんの周りで使徒職を名乗る牧師がいたらそれは偽使徒ですから気を付けてください。
 では使徒とはどのような人物でしょうか。遣わされたもの。それは神の福音と教えを正しく伝えるために使命とキリストの権威、能力、力を受け父なる神と主イエスから直接権限を与えられて遣わされた人の事です。ですから使徒は遣わした方と同じ権威、力を持っています。その権威を持つ使徒が私パウロだというのです。これをいきなりドカンと述べています。但しこの立場に任命されたのは神の恵みと憐れみによるものであることを忘れてはなりません。

 ではなぜそのように彼は使徒の確信をもっていたのでしょうか。根拠はどこにあるか。それは人間から権威を受けたのではない。イエス・キリストとキリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったものであると1節で述べています。使徒の働き9章に最初の事がかかれています。パウロはキリスト者を迫害する事が使命だと思っていました。そして捕えるためにエルサレムからダマスコまで向かいましたが、その時に突然天からの光が彼を巡り照らしました。そして天から「サウロ、サウロ何故私を迫害するのか」という声を聞きます。「主よ、あなたはどなたですか。」「私はあなたが迫害しているイエスである」という言葉を聞きます。このだます子でのダマスコでの途上の事件を通してパウロはイエスを救い主と信じました。やがてイエスから直接使徒に任命されその働きに就き、彼は主に異邦人への使徒として福音宣教に命を懸けて働きます。
そして自分たちが伝えたキリストの福音が、別のグループによって捻じ曲げて伝えられ、その偽物の福音にガラテヤの諸教会が餌食になりキリスト教会が危機的状況となりました。ゆえにパウロは何としても福音の本質をガラテヤ諸教会に再度伝えるため確信と使命をもってこのような私パウロこそ本物の使徒であるという常識破りの大胆な書き出しをしているのです。
2~5あいさつ
・手紙の書き出し
パウロと共にいるすべての兄弟たちからガラテヤの諸教会へ。この時代はイエス様の十字架の死と復活の後20年前後の時間が経過していますのでパウロ達の宣教グループを通して福音が伝えられ、ガラテヤ地方にも幾つかの信徒の群れがありました。聖書の後ろにある地図で調べてみるとガラテヤ地方はパウロ達が第一次、二次伝道旅行の時に伝道されている地域だと分ります。
・恵みと平安があるように。
恵みはふさわしくないものに与えられる神からの一方的な良いものを言います。
平安は私たちの心の奥深い部分に染み渡るキリストから来る平和・平安です。
 その大元は私たちの罪の為にご自身を捨てられたキリストの御わざがあります。これゆえ私たちは悪の世界から救われ、恵みと平安の中にいるのだとパウロは挨拶しています。

6~10異なった福音に対して
 ここで多く出てくる言葉は福音です。6回出てきます。福音とは何でしょうか。私たちが罪から
救われて新しい命に歩むためになされたキリストの御業です。私たちが信じるだけで救いを受ける
ことが出来る有り難いキリストの御業です。この福音が私たちの信仰の土台です。一方的な神の御
業です。具体的にはⅠコリント15:1~11でパウロによって書かれている内容です。福音の
内容、キリストは私たちの罪の為に死なれた事、葬られた事、三日目によみがえられた事(このよ
みがえりとは今も生きているという意味があります)この3つを信じたらあなたはキリストと一体
とされてキリストの命を受けます。これを救いと言います。また聖霊によってイエス・キリストに
バプテスマされると言います。罪の赦しと永遠の命を受ける事を救われると言います。救われた人
はキリストの者ですからクリスチャンと言います。私たちが罪から救われるために全部キリストが
十字架上で御業をしてくださいましたので私たちは信じるだけで救われるのです。そして信仰生活
は神の恵みと信仰によって生きるのです。これがキリストを信じて生きる事です。

でもガラテヤ諸教会の中にかき乱すもの(7節)たちが入ってきて、パウロたちの伝えた福音とは別の福音を伝え始めました。これはどのようなものか。①パウロの伝えるキリストの福音を信じるだけでは救われないよという教えです。②パウロの福音を信じただけでは二流の信者だというのです。そこに加えた教えはモーセの律法を守り、アブラハム時代から2千年続いている割礼を受けてこそ本物の信者だというのです。割礼とは男性性稙器の皮を切り取る行為です。福音+これをしないと救われない、また救われても二流のクリスチャンだと言うのです。ガラテヤ諸教会はすっかりこの偽の福音に心が移ってしまったのです。こうなったらキリストの福音とは言えません。キリスト教会とは名ばかりでユダヤ教キリスト派になってしまいます。
これは別の福音ではなくて偽物です。ゆえに6節驚き、8、9節その者は呪われるべきです。
適用
現代において偽の福音とは何か。福音+αを付けると福音ではなくなります。福音を信じただけで
は救われない。伝道・奉仕を毎日二時間。祈りを二時間。睡眠時間は毎日三時間にする。食事は野
菜のみとする。肉魚は食べたら救いはなくなる。他にも数限りなくあります。
暗唱聖句 ガラテヤ1:4 
結び キリストの福音を信じて救われる。信仰はただ恵みのみ、信仰のみであります。パウロが命がけで伝えた福音の恵みのみ、信仰のみに留まって信仰生活が歩めますように。祈りましょう。