ヤコブの手紙(11)

2022年12月14日

2016年2月14日
聖書箇所:ヤコブ5:13~20
宣教題:祈りの力 

先週は、キリストの再臨を待ち望みつつ忍耐する事の重要性を学びました。例として①農夫 農家の人、②預言者、③ヨブ、そしてヤコブ書に書いていませんが私たちの救いの為に世界で最も苦しみを受けつつ忍耐された主イエスを模範として歩むことを学びました。また安易に軽々しく誓いをたてないように、はいは、はい。いいえは、いいえと言う正直な生き方この主にある者の生き方であることを学びました。思い出されたでしょうか。
今日は最後の箇所になりますが、どのような環境にあっても祈るキリスト者の生き方が勧められている箇所から学んでまいりましょう。

○キリスト者の祈りとは何か
私達キリスト者の祈りは誰に祈るのでしょうか。
宇宙とこの世界、そして私達人間を造り、命の源である創造主なる真の神に祈るのです。この神との会話、深い交わりが祈りです。声に出しても、出さなくても祈る事が出来ます。一人でも、家族でも教会の兄弟姉妹たちと一緒でも祈る事が出来ます。目を閉じて祈る事も出来ますし、目を開けても祈る事が出来ます。こちらから一方的に思っている事を話しても良いですし、時には静かに神の答えを待って聞くこともできます。
神は真実で誠実な方ですから、私たちが信頼して祈るならば、誠実に答えて下さるお方が私たちの信じている神です。このようにきちんとした答えがあるのがキリスト者の祈りです。

どのような事を祈ったら良いか。
日々の感謝、喜び、困っている事、悩みの時、自分の進む道がはっきりしない時(確信がない時)主なる神の御心が分からない時、生きる力が欲し時、絶望状態に陥った時、助けを必要とするとき、病気をして痛んでいるとき、家族を失った時、慰めが必要な時、孤独な時、心に平安が無く不安の時、その他あらゆる状況に置かれたときに私達は創造主である真の神に祈る事が出来ます。

どのように祈る事が出来るか。主な順番は次の通りです。
父なる神よと呼びかける。天の父なる神様、天のお父様とか。
まず感謝の祈りをささげる。どのような時でもまず主に感謝する。次に願い事などをありのままに祈る。この場合自分の考えを優先させるのではなく主なる神の御心を優先するように(あなたの御心がなります様に・主の祈りは大きな助けになります)祈る事がポイントです。
最後は主イエスの名によって祈ります。アーメン、真実です。(ヨハネ16:23~26)以上が祈り方の基本ですから今から熱心に主に話しかけてみましょう。 

ではヤコブ書を見ていきましょう。祈りについて何が書いてあるでしょうか。
○常に祈る 日常生活5:13
・人から苦しめられているとは、人から虐待されている、悪に悩んでいるときを指します。これは私たちの日常生活でよくある事です。このような時、主に心を開いて祈ります。
・逆に良いことがあって心に喜びがある場合も祈るのです。神をたたえるのです。主を賛美すると言います。故にキリスト教会では常に主をたたえる讃美歌がうたわれます。音痴でも喜んで歌う事が出来ます。主は私たちの賛美を大変喜んでくださいます。もし教会で聖書の学びと祈りだけであったらどうでしょうか。なんとつまらないことかと思います。
・5:14病の人の為に祈る。人は多くの場合病気になります。その時にヤコブは教会の長老を招いて主イエスの名によってオリーブ油を塗り祈ってもらいなさいと勧めています。特にこの時代には癒しの賜物を持つ教会の長老、(監督、牧師)が多くいのでたオリーブ油を塗って祈ってもらう事は当時のユダヤ社会においては一般的におこなわれていた事です。確かにオリーブ油には傷や病をいやす力があるようです。但し勿論すべての病気が治るわけではありませんので誤解の無い様にすべきです。まずは医者に診察してもらう事を勧めます。

15:ヤコブの言いたいことは15節にあるように、信仰による祈りは病む人(疲れ、精神的に参っている人)を救い、主はその人を立ち直らせてくださるという事であります。当然ながら主の前に罪を犯していたら、悔い改めて祈るなら、その罪も主にあって赦されます。
16:だからキリスト者に対して互いに自分の罪、過ち、失敗、違反を告白し合って互いの回復の為に祈り合いなさいと勧めています。このような祈りこそ主の前に正しい人の祈りであり力を発揮します。
17:その代表的な例として旧約聖書を代表するエリヤを紹介しています。
ポイント:エリヤは私たちと同じような人:人間性の事です。強い人であり預言者ですが、実は弱さを持っていました。この人は列王記に出てくる人ですが、ある時にイゼベルという女性を恐れ、うつ的状態におちいり、自殺願望まで持った人です。私たちと同じでしょう。
でも主のみ心は当時の悪い王であるアハブ王の時代に人々が悔い改めるために雨を降らせませんでした。三年半の間です。エリヤは祈りによってこれを神から示されていませんでしたのでそれを人々に伝えました。それがこの言葉です。雨が降らないように祈りましたが三年半の間雨が降りませんでした。再び祈ると雨が降り始め作物が豊かに実るようになりました。このように神は雨を降らせなかったり、降らせたりしました。エリヤの祈りが神の働きを支配し、コントロールしたのではなく、エリヤの祈りは神の御心に沿うものでした。神は私たちの思う通りに動くお方ではありませんのでこの辺は誤解の無い様にしっかり認識する必要があります。
○信仰から外れた人へ 19、20節
クリスチャンになってから信仰を失う人がいます。2つ考えられます。一つは形だけの信仰をもって洗礼を受けましたが最初から救われていなかったのです。また信仰を持って救われたのですがさまざまな誘惑により真理から迷い出た人がいます。
このような人に対して信仰が回復する様に祈り、迷いの道から引き戻すことをする必要があります。本庄教会でも別帳会員の方が多くいます。他の教会で元気に歩んでいれば幸いです。
適用
主の御声を聞く祈り
祈りは主に一方的に語り掛ける時だけではありません。時には黙想して自分の心に静かに語り掛ける主の御声を聴きましょう。そして聞いたら一歩前に進む。主イエスは必ずあなたの祈りを聞いて語り掛けて御心を示してくださる。主を待ち望み今から新しい歩みをさせていただきましょう。

来週からは10回以上になりますが使徒信条から学んでまいります。5月までかかる予定です。
それが終わったら今度はマルコの福音書です。かなり長い時間を要します。何故マルコの福音書を学ぶかと申しますと、今まで新約聖書が書かれた年代順にテサロニケ人への手紙Ⅰ、Ⅱ、ガラテヤ書、ヤコブ書と続けて学んできましたがその後に書かれたのがマルコの福音書だからです。
暗唱聖句 ヤコブ5:15 お祈りします。