ヤコブの手紙(4)

2022年12月13日

2015年12月6日
聖書箇所:ヤコブ2:1~13
宣教題:人をえこひいきしない 

アドベント2週に入り、皆さんいかが過ごしでしょうか。クリスマスの飾りつけもできて感謝です。
さてヤコブの手紙4回目になります。今日は2章1節~13節です。この手紙の特徴はキリストを信じて救いを受けた後の生き方を勧めています。特徴はみことばを実行する人(行いが変わる)になりなさいというものです。同じ事を使徒パウロは良い業と呼んでいます。ヤコブの言うキリスト者の行いの代表的な例は孤児やもめの世話をすることでした。更にこの事のみならず社会的立場の弱い人を支えることが必要になります。これは現代に於いて、私たちの納める税金で国や県庁、市役所が行いますが、それだけでは到底行き届どかない所が沢山あります。そのような分野は私たちキリスト教会が担っていく事が必要になってきます。

2章は「みことばを実行する者と変えられる、弱者が安定した生活が出来るために」必要なことが書かれています。
1:えこひいきしない。人を分け隔てしない。差別しないという事になります。
何故えこひいきに無いのか。栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのだからです。
イエスはどのような人であっても人は創造主なる神のかたちに造られた尊い命である事を前提にしていましたので人を差別する事はありませんでした。人々が汚れているとさげすんだ取税人や罪人の所に進んで行き寄り添ってくださったのです。
人をえこひいきすることはイエスの心ではないからえこひいきはしないのです。

別の言葉でいうと、えこひいきや差別は神の選びの業をないがしろにし、神の御業を妨害する行為です。聖書の言葉に大きく反し、御心に反する行為です。

しかし残念ながら、キリスト者も罪人で、かけだらけであります。まだ完全にされているわけではありません。実は当時のキリスト教会、例えばヤコブは紀元30年から62年頃までエルサレム教会で指導者としてキリストに仕えました。同じ民族のイスラエル人だけの教会でしたがこの教会にも差別がありました。
その実例が2~4節までの言葉です。態度が全く違います。
○立派な服装の人
金持ちが会堂に入ってきた⇒人のいう言葉。良い席にお座りください。
○一方みすぼらしい服装をした人、貧しい人、やもめと孤児に代表される貧しい人のこと。
⇒人のいう言葉。そこに立っていなさい。これは外見によるえこひいきでした。
4:自分の中で差別し、誤った考えに基づいて判断をくだしたのです。
※このような実例は日本のキリスト教会でもありそうな話ではありませんか。

聖書から差別の実例
○仕事の内容で差別された例:金持ちであったが取税人ザアカイ、取税人マタイは差別された。
一般民衆からも政治家や宗教指導者からも差別された。
○身分で差別した例:サドカイ派⇒金持ち パリサイ派⇒一般の民衆を土民と呼んでさげすんだ
○ユダヤ人は神の選びの民であるとの理由から異邦人をけがれた者として差別した。
○日本人でも:経済力、家柄、姿格好、学歴、出身地、仕事で差別が生まれる。キリスト教会の中でも、教派間でも誤解や偏見に基づく、分け隔て、差別、えこひいきは起こります。それだけ私達の心は罪にけがれており、高慢な心がいつもあるのです。いつも心して主の前にも人の前にも謙遜にされているかを聖霊によって教えられ心を吟味し点検する必要があります。

差別や分け隔ての背景 いくつか考えてみる。
・罪の性質に支配されているので自分より劣っていると感じれば駄目な人と思い込んでしまう。
・創造主の前に自分の本当の姿を見失っているので自分を優れた者、特別だと思い込む。(傲慢さ)
・自分より下の人を作らないと生きていけない社会構造がある。群れで動く。
・自分より下と思われる人を作ってストレス発散して攻撃し精神的な安定を得るため。

5:神の御業:世の貧しいものを選んで信仰に富むものとしてくださる。そして約束の御国を受け継ぐものとさせてくださる。イエスの山上の説教を思い出します。心の貧しいものは幸いです。自分の心を点検して主の前に心貧しいものである事を認めて歩んでいきたいと願っています。

6:当時の裁判所
今の裁判所と違います。金持ちの為にある制度で、経済力、政治力で判決がどうにでもなるのが当時の裁判所ですからこの違いをご理解ください。6節にはこのような背景があります。

適用 
イエスを見上げて生きよう
隣人に対する偏見、優越感、先入観があると人を分け隔て、えこひいきするのが人間の罪です。しかし、聖書では人を差別する事を明確に否定しています。そしてイエス様は人を偏見や先入観で見て評価する事はありませんでした。逆にマタイの福音書山上の垂訓では、心の貧しいものは幸いですと話されました。神の前には自分は何も持っていない心の貧しいものだと受け止めている人は真に神から祝福され、幸いな人とされます。このように語られ、生きたイエスを見上げて生かされようではありませんか。

結び
・どのような人をも愛したイエスを模範として聖霊の力に励まされて生かされよう。
・私たちは恵と信仰により救われたのだから信仰生活も主の恵みと信仰によって生きるのです。

暗唱聖句 ヤコブ2:1
最終的に聖書の勧める生き方の中心は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」です。
ヤコブのようにみことばを実行する人の生き方とは、金持ちも、貧しい人も関係なく、神の家族、主にある兄弟姉妹として互いに支え合うのがキリスト教会本来の姿です。この生き方を自分の力によってではなく聖霊の励ましと導き、助けを受けながら一歩一歩前進させていただきましょう。