ヤコブの手紙(2)

2022年12月13日

2015年11月22日
聖書箇所:ヤコブ1:12~18
宣教題:試練に耐えるものは幸い 

復習になりますがガラテヤ書では人が救われる為にキリストの福音を信じるだけで良いという事を学びました。福音とは喜ばしい救いの知らせ、又は良い訪れという事であり、その中身、核の部分は3つあります。①イエスキリストは私たちの罪の為に死なれたこと、②葬られたこと③三日目に死人の内より甦り今も生きておられる。これを信じたら救われる。目には見えませんが、キリストと一つとされてキリストの命を受ける。救いの条件にはこの福音以外に+アルファをつけてはいけないという事を何回もパウロは述べています。但しこの救いを受けた人はキリストにあってよい業に励むのです。すなわち神と隣人を愛する事がクリスチャンの生き方である事を学びました。

一方ヤコブの手紙は信仰により、恵みにより救いを受けた人の生き方について述べています。パウロは良い業と述べていますが、ヤコブは行いと述べています。どちらも同じことです。特にヤコブは行いのない信仰は死んでいるとまで言い切っています。私たちが学んでいくのはキリストを信じて救いを受けた信者の生き方についてですから、ただ聞くだけではなく実践の伴う信仰者でありたいと願っています。先週からヤコブの手紙は2回目になります。内容をまとめましたので配布します。少し読んでみます。著者・・・

今日はこの箇所から試練と誘惑について学んでまいりましょう。
1、試練
この言葉は聞くだけで嫌なものです。何故なら本人が痛い思いをし、辛く悲しい思いをすることが多いからです。できれば避けて通りたいと思うのが人情ではないでしょうか。聖書では試練について何といっているのでしょうか。まず試練の言葉の意味から入ります。聖書辞典で調べてみますと、「人の心の中の隠れた物が何であるのかを調べるために試す事、又苦難や迫害によって人を練り清める事」とあります。もう一度ゆっくり読みます。ここで一つの疑問が沸いてきます。試練は何故あるのか又、どこから来るのか。答えは創造主なる神から来て、その人が試練を耐えて、乗り越える時に更にもう一段練り清められて、成長する、未来の栄光に繋がる。だから耐える人は幸いですとヤコブは書いています。

この言葉を読むとどこかの聖書箇所を思い出しませんか。そうです。心の貧しいものは幸いですから始まるイエス様の山上の宣教の言葉です。実はこのヤコブの言葉も「幸いだね」から始まるのです。この幸いは神の恵みを受けて祝福されている、試練に耐える人はと続くのです。だって試練は神から来ているのですから。

耐え抜いてよしと認められた人は命の冠を受ける。冠とは王や地位の高い人、あるいは勝利者がその地位や名誉、権威を表す為にかぶるものです。命の冠とは信仰者の人生の終わりに、又は終末の時、忠実な信仰者に与えられる祝福の印であります。
そのように聖書から試練についてみます時に決して試練はつらく苦しいだけではなく、永遠の祝福に繋がる非常に幸いなことであるという事になります。だから原文では幸いですね。神に祝福されていますねという言葉から始まるのです。
今試練と思われる中にある皆さんいかがですか。この聖書の語る言葉のように試練を受け止めていきますか。それとも聖書はそのように言っているけれども自分はそのようには出来ません、思いませんと言ってみ言葉に背を向けた生き方をしますか。もし背を向けるならヤコブ的な表現を借りると口先だけの、行いのない信仰という事になります。

2、誘惑
試練と誘惑は似ていますが実が違います。試練は神から来るものです。目的は更にあなたを練り清めて、あなたが祝福された人生を歩むためです。一方誘惑は違うところから来ます。主なる神は人を誘惑する事はなさいません。誘惑とは人に罪を犯させるように仕向け、創造主なる神の名を汚します。聖書的に言うならばすべての誘惑は悪魔から来ます。人の欲から始まり、必要以上に欲しがる、あれもこれも、aさんが持っているものを私も欲しい、これをむさぼりと言い、聖書では厳しく禁じています。欲がはらむと罪となり、更には死につながる。特に誘惑の手段は、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢から始まります。Ⅰヨハネ2:16

この誘惑を乗り越えるものが16節にある上からくる賜物、イエス・キリストであります。あらゆる誘惑を退けて生きた主イエスは聖霊の力を受けて生き誘惑を退けられました。そして最後までご自身の使命に生き、その使命である、十字架の御業を全うされたのです。
私たちの周りには創造主なる神のみこころから目を離すと楽しそうなもので満ちています。そのような誘惑が多い現代に於いて主イエスの模範を思いつつ力をいただき歩んでまいりましょう。

適用 ○試練の受け止め方を考えてみよう
試練は永遠の祝福に繋がる非常に幸いなことであるという風に受け止め方、視点を変えていきましょう。自分の力で頑張って生きるのではなく、聖霊の力に励まされ、そのつながりの中にあるみ言葉によって強められて歩んでまいりましょう。そうしたらあなたの人生は変わります。

暗唱聖句 ヤコブ1:12 み言葉を良く味わいながら歩んでまいりましょう。