ヤコブの手紙(1)

2022年12月13日

2015年11月15日
聖書箇所:ヤコブ1:1~11
宣教題:試練を喜びとせよ 

今日からヤコブの手紙を11回連続して学んでいく事を予定しています。先週までパウロ書簡からガラテヤ人の手紙を学んできましたがテーマを覚えていますか。そうです。福音の真理でした。救いを受け取るにはキリストの福音にプラスアルファをつけてはならない事、これをきちんと理解しながら御霊に導かれて、良い業にいきるのが健全な信仰者の生き方である事を学んでまいりました。一方今日から学ぶヤコブの手紙は信者の行いに視点が置かれています。行いのない信仰は死んだものであるとまで言い切っています。このようにヤコブの手紙は教理的な事よりも実践的な信仰生活の歩みについて書かれています。

ところでこの手紙は誰によって、いつ、だれに向かって書かれた手紙なのでしょうか。1:1にはヤコブと書かれています。聖書にはヤコブという名前の人が沢山出てきますが、肉による主イエスの兄弟すなわちマリヤとヨセフの子供で、イエスの弟のヤコブ(マタイ13:55)だと言われています。彼は最初他の兄弟たちと同じようにイエスを救い主と信じていませんでした(マルコ3:21)、しかしヤコブはイエスの復活を目撃します(Ⅰコリント15:7)。多分この時以降イエスを救い主と信じて救いを受けたと思われます。やがてヤコブはエルサレム教会の指導者になり、AD49年に開かれたエルサレム会議をまとめました(使徒の働き15章)。こうして彼はエルサレム教会の代表的な指導者として活躍します。(ガラテヤ2:9)。パウロと違って広い世界に飛び出すことをせずに生涯エルサレムで主に仕えたと言われています。やがて彼はAD62年に迫害されて生涯を閉じました。

この手紙は紀元50年前後に書かれたのではないかと言われています。宛先は特定の人物に対してではなく世界中に散って試練の中にあって信仰の歩みをしているユダヤ人信者に対して励ましの手紙を書きました。内容はパウロ的な信仰の教理ではなく、むしろクリスチャンの実際生活に関する励ましであります。そのような訳で送られた相手がイスラエル人ですので、21世紀に生きる私たち異邦人にはピンと来ない所があると思いますがしっかりと適用しながら学んでいければ幸いです。特に今まで学んでパウロの手紙は救いを正しく理解する事、そしてその土台の上に立って良い業を行い、御霊の実を結ぶ事が述べられていますが、ヤコブの場合、信仰による救いを省いたうえで、救われた人は当然の事として、キリストによって新しい命が与えられたのだから信仰の実として行いがある事を前提に書かれています。そういう違いを理解しながらヤコブ書を学ぶとより深く神の言葉が味わえます。
1:主イエス・キリストのしもべ「ヤコブ」
肉による弟でありながら彼はイエスの行動を見たり、発言を聞いたりしている中でイエスを救い主と信じる事が出来ませんでした。しかしあの惨たらしい十字架刑上の死を知り、三日目の復活、そして復活のイエスと出逢って彼はイエスこそ救い主であると信じたのです(Ⅰコリント15:7)。ここから彼の新しい人生が始まり、彼はキリストのしもべとなります。しもべとは、主人であるイエスの心を理解して、イエスの心を最優先して生きる事です。キリストの心に従っていくのが、しもべの姿です。
2:励ましの中身
○試練⇒喜び
試練とはイエスキリストへの信仰ゆえに受ける様々な困難な事です。様々とありますので複数試練があるという事になります。当時のユダヤ人クリスチャンたちも、異国にあって、いじめられたり、馬鹿にされたりする事がありました。これは自分の弱さからくる場合もありますが、ここでの試練の意味は、主なる神によって試されるという事であります。この試練は信仰者の信仰が次のステップに進み成長するためのものです。

しかしどのような厳しい試練の中にあっても主イエス・キリストが共にいてくださいますので恐れる事はありません。また悲しむ必要もありません。ヤコブはむしろ喜びなさいと語り掛けました。キリストの苦しみを思うならば私たちの試練は小さなものです。むしろキリストの苦しみにあずかり、キリストの心を理解する事が出来るので喜びなのです。更に次のステップがあるからです。

○2:試練⇒忍耐が生まれる。忍耐とは苦しみに絶える力の事です。これは御霊の実の中の一つです。人生には様々な苦痛を伴う事があります。しかしこれを乗り越えるのが忍耐であり、この忍耐はイエス様が持っているものでありこの性質に似るのがキリスト者の特徴であります。

○4:忍耐⇒完全なもの。結果として完全なものとされます。誤解の無い様にいいますが、完全とは絶対的な完全で神のようになることではありません。またイエス様のように完全無欠な人になるという事でもありません。充分に成長、成熟した人になるという事であります。これが試練からくる良いサイクルでありますので、私たちは試練があっても何ら恐れる必要はないのです。

ところで今日の話はイエス様の何かに似ていませんか。そうです。イエス様の山上の説教です。義の為に迫害されているものは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。その迫害によって訓練されてイエス様に似た人になる事が出来るのです。またイエス様の苦しみが分かりますので喜びが増してくるのです。

○適用
あなたは今どのような試練を受けていますか。神からくる苦しみは何ですか。人間関係、病気、子育て、経済、クリスチャンになったら嫌がらせを受けたことがありますか。このような時に、何故私だけがこんな苦しみ、試練を受けなければならないのか、自分は世界中で一番不幸だと思わないでください。大体似たようなことで人は苦しみますから。ではどうするか。
私は主イエス様に特別に愛され、更なる恵みを受ける為に試練の中にあるのだと受け止めましょう。私はキリストにあって世界で一番キリストに愛されている幸せ者と思って感謝するのです。信仰が試され、忍耐を生み、成熟した、安定した人に変えられます。最終的に喜びに変わります。

暗唱聖句 ヤコブ1:2
この書物の著者ヤコブもイエスの弟子として歩みました。彼は信仰の迫害を受けて紀元62年に石で打たれて死んだと言われています。でも彼はイエスと同じように「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分で何をしているのかわからないのです」と祈りながら主のもとに召されました。実にヤコブは試練の中を生きた人ですがこのみ言葉のように生き抜いた人です。

私たちも信仰に生きる者として、口先だけでなく、信仰を行動で表す人として歩んでいきましょう。