マルコの福音書(78)

2022年12月13日

2018年10月7日
聖書箇所:マルコ16:9~20
宣教題:今日もとりなす救い主

今日でマルコの福音書は最後になります。イエス様の十字架の死、葬り、復活には時間をかけて他の福音書や使徒の働きから引用しました。皆さんはマルコ福音書を学びながら自分自身にどんな事を適用しましたか。聖書の読み方は文脈を捕えて意味をくみ取り、生活に適用する事です。いずれにしても2016年6月12日から学び続けたことは大きな恵みでした。今日はいよいよ最後になります。
確認
皆さんは聖書が写本によってつくられた事をご存知ですか?マルコが福音書を書いたのですが、これを私達が今読んでいる事はすごいことです。何故かと申しますと2千年前には印刷機はありませんでした。ですから訓練を受けた信仰者が、このマルコ福音書を、時間をかけて一字一句間違いの無い様に書き写したのです。これを写本(写す本と書いて写本と言います)。この写本作業を歴代の人々は丁寧に心血を注いで続けてきたのです。結果として写本の数は数千点以上残されました。それを学者たちがより信頼性の高い写本を選んでいったのです。その結果として私たちが読んでいる聖書が当時書かれたもの(原本と)とほぼ同じ形となっています。ですから安心して聖書を読むことが出来るのです。

実はマルコの福音書の場合はマルコ16章8節で終わっています。何故かというと最も2つの古い写本ではここで終わっているのです。ところが8節で終わるとどうも収まりが悪いなと思いませんか。でもそれが正解の様です。ですから9節~20節はマルコが書いたのちの時代に追加されたものと思われます。この聖書にも読者が混乱しないように説明書きが書かれています。ですから9~20はマルコが書いたというよりも後に執筆した人が親切に記録して残してくれたのです。但しこの箇所には、えっと思うようなことも書かれているのでここから教理を作り出してはなりません。

○9~12マグダラのマリヤに現れた
最後の部分、弟子達はマリヤの話を信じなかった。普通ならばイエスの復活については男性が話を持ってきたと言うなら受け入れられる。当時の女性の立場は非常に低い。女性は裁判の法廷で証人になることは出来なかった。でもここでは女性がイエス復活の証人として弟子達に報告している。通常のユダヤ社会ではありえないようなことです。弟子達がイエス復活をでっちあげようとするならば報告は男性のはずであります。でも聖書は最初の目撃者として女性であったことを記録している。何故か?それは復活の事実をそのまま伝えたかったことの現れでだからです。イエスの復活は事実で、イエスの復活こそ私達の信仰の確信となる部分であります。
因みに復活の栄光のイエスを見てマリヤはイエスだとは分かりませんでした。声を聞いて初めてイエスと自覚できたのです。栄光の体が如何に素晴らしいものであるか想像する事が出来ます。

○12~13二人の証人
これは誰の事か?ルカの福音書にあるクレオパともう一人の人物です。田舎の方へ歩いていたとはエマオへの途上の話です。彼らはイエス様と道々話していてもイエスご自身だとは分かりませんでした。如何に栄光の体は違ったものであったか想像が出来ます。彼らはいままで「イエスこそイスラエルを贖ってくださるはずだという望みをもっていた」過去形の信仰です。しかしこの時イエスの復活を目の当たり見て示された時に、十字架の死と復活の意味を理解して彼らの信仰は現在形になっていきました。私達も過去形の信仰でなく、今を生きる私たちにそのまま適用できる現在形のしんことなる必要があります。でも弟子達の反応はここでもクレオパ達の復活の証言を受け入れる事は有りませんでした。

○14~20イエスの現れ
しかしここでようやくイエスは11弟子が食卓にいるところに現れたのです。そして彼らのかたくなな心、不信仰を責めます。私がもしこの場にいたとするならばどのような反応をするかは何とも言えません。あなたは如何ですか?
ここで有名なイエス様の世界宣教命令が出てきます。これは私達全員に与えられている命令です。命令達成の一番の基本は何か。生活や生き方を通してキリストの良い訪れを伝えることです。
16節~聖書の教える事からすると誤解を招きやすいところがありますので、ここから間違った教理を作ってはなりません。
①16節、イエスをメシヤと信じる者は救われます。でもバプテスマを受けないと救われないわけではない。救いは恵みと信仰によってなされます。聖書はイエスを信じる者は聖霊によってバプテスマされる。即ち一体となる。この聖霊のバプテスマを受けた人はその恵みを見える形で表す水のバプテスマを受けるというのが正しい在り方です。順番はイエスをメシヤ、救い主と信じる⇒救いを受ける。聖霊のバプテスマを受ける。キリストと一体。⇒水のバプテスマを受ける。
②信者に伴う5つのしるし・毒を飲んでも害を受けないというのは聖書にありません。毒は飲まないでください。・他のしるし、悪霊追い出し、新しいことば(異言だと思われる)蛇をつかんでも害を受けない。病人に手を置けば癒される。これは使徒の働きに出てきますが、必ずしもクリスチャンになればすべての人が出来るわけではありません。もしできなくてもランクの低いクリスチャンという訳ではありませんので安心してください。
19:イエス昇天、神の右の座に就く。主は彼等と共に働き⇒聖霊として働かれる。みことばを語り印が伴う伝道をして福音が宣教されました。
適用
○言葉と生き方 20
当時のキリスト者は、言葉と生き方が一致していたので良い証がたてられていた。私たちはどうだろうか。言葉だけの信者になっていないか。イエスを信頼して生きる信徒として行いがある、良い業がある信者にさせていただきましょう。そうすれば主が彼らと共に働いたように私たちにも働いて力をくれます。
○捨てない神
弟子達はイエスの復活を体験者から聞いても信じませんでした。3回目に直接イエスご自身が現れて彼らに叱責して初めて心が開かれた。私たちは是非へりくだった柔らかな心でイエスにお仕えさせていただきましょう。その為にも聖霊様によって頑なな心が砕かれることが必要です。
結び
イエスは天に帰られた後、父なる神の右の座に座しておられます。権威ある立場に立たれました。そして真の大祭司として父なる神にとりなしてくださいます。私たちはイエスのとりなしによって今日も守られているのです。そして今の教会時代が終わり、世界的に7年間の未だかつてないような厳しい時代が来て争いが起こります。しかしイエス・キリストは7年間の最後にこの地上に再び来られて争いをやめさせ世界を平和に治めます。これをキリスト教会の専門用語でキリストが再臨すると言います。このお方が今日も私たちの為にとりなしをしておられるのです。真の神、主イエス・キリスト。何と心強い事でありましょうか。お祈りします。