マルコの福音書(76)

2018年7月1日
聖書箇所:マルコ15:42~47
宣教題:イエスはメシヤである 

おはようございます。私は気管支喘息の治療でステロイド吸入器を毎日使っています。この副作用で声が枯れる事があります。多分このせいではないかと思われますが、最近特に声が出なくなりました。でも気持ちが盛り上がると声が大きくなります。その繰り返しでここ数年来ましたが、いよいよ大きい声を出すとますます喉に負担がかかるようになりました。よって今日から声が小さくなりますがお許しください。
さてマルコの福音書からずっと学んできましたが、イエス様の十字架に関してはマタイ、ルカ、ヨハネの福音書から4回に亘り学んできました。そして先週はイエスの十字架の死に伴う様々な現象が起こりましたがこれについても学びました。いずれも意味がある事を確認しました。

今日の聖書箇所は福音の3要素である十字架の死、埋葬、復活の第2番目の埋葬について学びます。

ところで皆さんの中にはイエスの十字架について話を聞いた時に、こんな話を聞いた事がありますか?イエス様は十字架に掛かって死ななかった。仮死状態になったのを弟子たちが死んだと思い込み、復活したという話を広めたのである。イエスは復活したのではなく、弟子達の心に復活したのだ。その復活したという信仰が大切なのだ。聖書の話をまことしやかに書かれている事実を切り替えて比喩的に読もうとする聖書の読み方ですね。こういう解釈をどのように思われますか。
そうです間違いです。聖書を比喩的に読むのは間違いの元ですから聖書は文脈に添って字義通りに読むようにしましょう。今日の埋葬に関してもイエス様は仮死状態だったのではなく死んだという事実として墓に埋葬されたという素直な読む方をしてまいりましょう。

42:午後3時にイエスは息を引き取りました。備えの日というのは金曜日のことで、即ち安息日の前日とわざわざ丁寧に説明しています。ユダヤの日の数え方は日が沈むと翌日、即ち、土曜日、安息日が始まるので当時のユダヤ社会では労働は一切出来なくなります。埋葬も労働と見なされますので日没までの数時間で埋葬をするしかなかったのです。

43:よってアリマタヤのヨセフは思い切って、これは勇気を出してという意味です。ピラトのところに行きイエスの体の下げ渡しを願います。通常ですとイエス様は呪いの十字架刑を受けたのだから、他の二人と共に、おろされた後ヒンノムの谷に捨てられ、鳥や動物の餌食になってしまうのです。
アリマタヤ(地名エルサレムの北西35キロの町)のヨセフの人物像を確認しよう:隠れたイエスの弟子、国会議員、金持ち、有力者。彼は、神の国を待ち望んでいた。即ち神の国とはやがて来るメシヤを中心とする王国(千年王国)が実現すると待ち望んでいたのです。彼はユダヤ人たちを恐れていましたが、ここに至ってピラトの権力やユダヤ人の迫害を恐れずに公に自分の信仰を表明しています。その結果がピラトのところに出向いてイエスの体の下げ渡しを願い出た行為です。ヨセフは素晴らしい信仰者に変えられました。

44~45:ピラトの許可。彼はイエス様が死んでいないと思っていたので驚いています。他の二人は未だこの時点で生きていたのでローマ兵によって思いっきり足のすねの部分を打たれ、これで息絶えました。アリマタヤのヨセフの願いを受け入れたピラトは百人隊長に命じて身体の下げ渡しを許可します。これは通常あり得ない恩赦です。背後には主なる神の取り計らいがあります。

46:遺体を丁寧に扱い埋葬する。体を綺麗に拭いて、没薬と香料を添え、亜麻布で丁寧にぐるぐると巻いて墓の中に安置しました。園にあるお墓とは、まだ使われていない新しいお墓です。当然ヨセフの墓であったと思われます。納めたら大きな石で封印して完了という事になります。日本のお墓をイメージするとわからなくなります。横穴をくり抜いた洞窟の様な感じで中に人が十分入れる空間、広さがあります。
47:女性たちはこの様子をしっかり確認していました。以上が埋葬についての一連の流れであります。ここから自分たちへの適用をしてまいりましょう。

適用 
○イエスの埋葬は十字架の死に続いて歴史的事実であるとそのまま認めることが重要です。そして十字架の死、埋葬は私の罪を赦し、新しい命を与えて下さる為になされたメシヤの御業です。もう一度言います。キリストはわたしの為に死に、埋葬されたのです。そして三日目に死を打ち破り墓から復活されました。この事実を自分の罪の為であったと信じたら罪の赦しと新しい命が与えられます。これを救いとか、救われると言います。それ故良い訪れ、福音ですね。信じている方は確信を深めて下さい。まだの方は今日イエスをメシヤと信じる決心をしてください。

○預言の成就の視点 
出エジプト12:46・詩篇34:20⇒ヨハネ19:32~33骨がおられない。
ゼカリヤ12:20⇒ヨハネ19:34 槍で刺し通される。
イザヤ53:4⇒ヨハネ19:41金持ちの新しい墓

○私達信仰者はアリマタヤのヨセフのようにある時から自分の信仰を公にしなければなりません。いつまでも隠れクリスチャンであってはならないのです。それはいつか。今日からです。

結び
私達の信仰は思い込みの上にあるのではありません。事実の上に立っている信仰です。
イエス様は本当に十字架上で6時間苦しまれ午後3時に息を引き取りました。旧約聖書の預言の通りに御業を成したお方です。まさしくイエスはメシヤ、救い主であります。この主イエスを信頼し人格的に交わり、イエスの考え、イエスのこころを理解して、イエスのこころにお従いさせていただきましょう。今週一週間も主の恵みの中で歩ませていただきましょう