マルコの福音書(75)

2022年12月13日

2018年5月20日
聖書箇所:マルコ15:16~27
宣教題:ヴィア・ドロローサ 

おはようございます。今日も共に聖書を開いて学んでまいりましょう。前回ピラトはイエスが罪のない人であることを認めながらもユダヤ人指導者たちの圧力に屈して、ついに十字架刑を認めてしまったところから学んでいきました。それぞれの登場人物から自分に適用して何を学びましたか。ピラトから、バラバから、又群衆やユダヤの指導者から学ぶ事は多いと思います。

今日は16節~で、3つに分かれます。16~20総督官邸の中で、21節ゴルゴタへ苦しみの道、22~27十字架につけられたイエス。確認の意味で質問します。まず時間帯は何時か。金曜日の朝6時頃から9時までの3時間の間の出来事です。この時のイエス様は意識もうろう、血だらけの状態です。何故か。ローマ兵士によって鞭を打たれているからです。ローマの兵士の持つ鞭は先の部分にとがった金属や貝殻等がつけられており、肉がちぎり取られ、骨の部分まで肉がえぐられることもあります。この辺を頭に入れるとリアルに話が分かります。

○16~20 あざけられるイエス
まずこの時イエス様の体の状態はボロボロです。出血が大量に流れています。
17~18:ローマ兵士たちがイエスを馬鹿にしている光景が出てきます。ユダヤの王様に見たてからかっています。紫の衣は高貴な人が着る物で王様を表しています。茨で冠です。このいばらは鋭いので頭にかぶせると当然のことながら血がしたたり落ちます。
19:葦の棒とは王様が持つ杓を表しているものです。これもあざけり。
20:元の着物に着替えさせローマの兵士がこの総督官邸から600メートル離れたゴルゴタの丘へ向かいイエス様に十字架を担がせて進んでいきます。イエス様は既にフラフラの状態です。このような事は暴力行為は通常はありません。ピラトはローマ兵にやらせ放題でしたので、イエスに不必要な苦しみを与えたのは大きな責任があります。

○ヴィア・ドロローサラテン語で苦難の道
十字架を担いで600メートルの苦難の道のりを歩くことはどれほど大きな苦痛があったことでしょうか。これを朝の6時~9時までの間の数時間を歩いたのです。ところで十字架を担いだというのは横木だけですので誤解の無い様に。聖画などで十字架を担ぐ光景が描かれていますがあのような事はあり得ません。横木だけでも30キロ以上あります。米一袋という事になります。60キロだという話もあります。非常に重いです。だから縦木と横木を持つことは有り得ません。イエス様の出血多量状態、フラフラ状態、睡眠ゼロ、緊張の連続を考えたら到底持てる重さではありません。聖地旅行等でヴィア・ドロローサの道を歩いた方は分かると思いますが、第五ステーションから坂道があるので非常に厳しい道なのです。
その時に何があったか。クレネ人シモンという一人のユダヤ人が出てきます。クレネとは北アフリカ、今のリビアにある町の名前です。ここから過ぎ越しの祭りを祝うためにエルサレムに来ていたのです。そしてイエス様の苦難の道に出くわしたのです。彼はローマ人と目が合って、「おいそこの男、頑丈な体だな。代わりにこの棒を担げ」と言われて彼が担いだのです。ローマはユダヤを支配していましたのでこの様に一方的に命令出来たのです。ところでシモンはアレキサンデルとルポスの父と書いてあります。そうです。クレネ人シモンはこの後、ローマ教会の信者となった人です。
ローマ人への手紙16章にもルポスの事が出てきます。
○22~27ゴルゴタにて
ゴルゴタにつきました。アラム語で「どくろの場」という意味です。どくろに、似ているからではなく、罪人を死刑にする場所であるのでゴルゴタと言います。
カルバリーとも言いますが、これはラテン語になります。
23:兵士が没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしましたが、イエス様はそれを飲まなかった。これを飲むのは普通の事です。しかしこれは鎮痛剤の役割を持つ、これを飲むと痛みが和らぎ、意識朦朧となる。イエスは十字架上で意識を鮮明に保つために拒否されたのです。ここにもイエス様が十字架に正面から向かっていく姿が見て取れます。苦しみの中にあってもなのです。
24:十字架につけた。両手手首にくぎが打たれ、足にくぎが打たれました。出血多量の状態です。ここでいつ死んでもおかしくはない状態です。
25:午前9時
27:二人の強盗も共に十字架につけられた。ここからさらに6時間の苦しみが始まるのです。
適用
○ゴルゴタの丘
アラム語で「どくろ」、死刑場の意味。カルバリーの十字架と聖歌で歌いますが、こちらはラテン語になります。いずれにしても今から二千年前にゴルゴタの丘という場所でイエス様は歴史上の事実として十字架に掛かって死んだという事です。この事実を前提として私達のキリスト信仰があるという事を確認致しましょう。

○クレネ人シモン
この人は離散、デアスポラのユダヤ人です。北アフリカのリビアにあるクレネの町からはからずも過ぎ越しをお祝いするためにエルサレムに来ていました。そしてイエスの十字架を担ぐ羽目になりましたが、この経験を通してシモンはイエスこそメシヤ救い主であることを信じたのです。何しろ究極の苦しみの中にあっても隣人を愛し、敵を愛する事を実践して、十字架の苦しみのみわざを成し遂げたのですから。これを最もそばで見ていたのですからその確信は大きかったでしょう。後にローマに渡りそこで生活します。そしてローマで家の教会を形成します。アレキサンデルとルポスはローマ教会でよく知られている人でした。パウロもローマ人にあてた手紙の中でルポスによろしくと書いています。実にローマ教会は使徒達によって建て上げられたのではなくシモンたちによってなされたのです。シモンはイエス様をまじかに見てイエスがメシヤであることを確信しました。私達はイエス様を直接見てはいませんが、その御業を、聖書を通して知ることが出来ます。また聖霊の働きによってイエスをメシヤと信じる事が出来ました。

結び
今日はイエスの十字架のみわざをマルコの福音書を通して見てまいりました。そしてクレネ人シモンの役割が目に見える様な感じであります。彼の経験はイエス様の傷みや苦しみを共有するような特別の事でした。
私達は実際にイエス様の苦しみや言葉は聞いていませんが、聖霊の導きや働きかけを通して、また日々キリスト者としての生き方を通してイエスのみ苦しみを覚える事が出来ます。イエス様と生きた関係、交わりを通して更にイエス様の偉大な愛と恵みを確認しながら前に進んでまいりましょう。お祈りします。