マルコの福音書(74)

2022年12月13日

2018年5月13日
聖書箇所:マルコ15:1~15
宣教題:ピラトの裁判 

おはようございます。今日も兄弟姉妹と共に礼拝を捧げる事が出来まして感謝します。また今日は母の日です。お母さん方おめでとうございます。この母の日はアメリカのキリスト教会から始まった世界的行事です。この事を覚えておくとよいのではないでしょうか。それでは前回を振り返りつつ学んでまいりましょう。イエスの対する非公式な宗教裁判がカヤパによって夜中に行なわれて死刑判決が下り、後を追ったペテロがイエス様の預言通りに3回否んだところから学びました。でも幸いなことに彼はこの失敗を通して悔改め立ち直るきっかけをつかんでいきます。今日はその続きになります。ユダヤ議会の宗教裁判とローマのピラトによる2回の政治裁判のところです。

今日の話の背景を少し見ます。15章になると既に夜が明けています。数時間前までは大祭司カヤパによって非公式なユダヤ議会の宗教裁判が行われ、イエスは神を冒涜したとして有罪判決を受けています。但しこの裁判は非公式な裁判でしたので、夜明け後にまた裁判が行われています。アンナスの裁判も含めるとこれで宗教裁判は3回目になります。これが1節の言葉です。少し読む。

1後半~5:ここから総督ピラトによるローマの政治裁判に移ります。ローマの裁判は全て公開で行われます。また証人の訴えがあって裁判が行われますが、証人であるべきピラトがこの時点ですでに姿を消していますのでユダヤ人たちはこのときすでに大混乱を起こしています。このような中で早朝に裁判が開かれています。これも異常ですね。ユダヤの指導者は巧妙に訴えを変えています。イエスはご自分を王としたという罪でローマの法廷で訴えられています。自分たちの法廷では神を冒涜する罪に定めましたが、これではローマ法廷では相手にされないので、ここですり替えているのです。イエスは自分を王としている。これはローマ皇帝に逆らう罪だといって訴えたのです。だからピラトは確認してあなたはユダヤ人の王ですかとイエスに質問しているのです。しかしイエス様の堂々とした態度にピラトは驚きます。ここまでがピラトによる第1回目の裁判であります。

この後イエスがガリラヤ出身であることが分かると、調度この時期エルサレムに来ていたヘロデ・アンティパスという王のところに送り返しています。扱いたくなかった裁判だったからです。ヘロデ王はイエスを興味本位で受け入れましたが、直ぐイエスに派手な衣を着せてピラトのもとに送り返えしています。

6~15:ここから2回目の裁判が行われます。これが最終裁判になります。ユダヤ議会による宗教裁判が3回、ピラト、ヘロデ、ピラトと続いく政治裁判が3回、夜中から朝にかけて合計6回の裁判が行われた事になります。当時でも考えられないような非常識な裁判であります。ピラトはイエスに罪のないことは分かっていましたので何回も釈放しようとするのですが、ことごとくユダヤ議会に押し込まれています。

6節~7節を見ると、提案しています。この過ぎ越しの祭りの期間中にユダヤ人の不満を和らげるために囚人が赦免、赦しを受けて釈放される習慣がありました。ピラトはあえてイエスを釈放する為に、極悪人バラバの名前を出してイエスの釈放をこころみましたが、逆にバラバを釈放してイエスを十字架につけよと要求を強めます。あのバラバの名前を出せばさすがにバラバを釈放しろとは言わないだろうというピラトの目論見はもろくもが崩れました。10節を見ると妬みによってユダヤ人がイエス死刑を求めていることが分かるので、14節でもイエスを釈放しようとしますがついにユダヤ指導者、群衆の声に押し切られてバラバを釈放してイエスを有罪としたのです(15節)。この時にローマ兵が鞭を打っていますが、しかも回数は決まっていないのです。またローマ人の鞭は先にガラスや貝殻のとがった部分がついていますので、肉が切り裂かれ、骨が見えることもあったと言われています。当然ここではイエス様の顔や体はズタズタの状態ですね。見るに堪えないような姿になっています。これが現実であります。ここまでですが。

自分たちに適用してみよう。
○イエスの身代わりによって赦されたバラバ
バラバとはバル(息子)アバ(父)という言葉から来ています。バル(息子)アバ(父)父の子という意味になります。父とは誰か。イエス様の時代には有名人だったので、父の子といえばすぐにわかった人物の様であります。このバラバは極悪人。殺人、強盗、暴動を犯して牢獄に入っていました。彼は愛国心を隠れ蓑にして悪を行う人物であります。そのような人間をイエスが身代わりになって解放したのです。父の子バラバを父なる神の子イエスが救ったのです。罪あるものが罪のない神から救われたのです。
実はこのバラバこそ私達の姿でもあるのです。罪あるものが罪のないイエスの身代わりによって罪赦され救いを受けたのです。神の前に私達も罪深い人間ですが、イエスを信じて罪の赦しを受ける事が出来ます。そしてバラバの様に新しい人生を送ることが出来るのです。
○ピラト
この人は全世界でもっとも有名な人の一人です。使徒信条を告白している教会では知らない人はいません。ピラトは非常に有能な行政官でありますので、直にイエスは無罪であることを見抜いて、釈放しようとします。しかしピラトは真理や真実よりも自分の利益を優先して生きる人でありました。絶対的なものを信頼して生きるよりも、相対的なものを大切にして生きた人です。その時々において何が正しいかが変わるのです。
このような人間性もまた私達を表しています。あなたは如何でしょうか。何が真実、真理であるかを求めて生きようとしているでしょうか。是非この姿勢を大切にしましょう。
今日本では政治や憲法の事を常に語り、真実を求めて生きようと願う人は減っています。絶対的なものを求めるよりも、その時々の生き方が見つかればよいという人が増えています。ピラト的ですね。特に日本の若者の世界では憲法や政治の話をすることは敬遠される時代です。どこか変です。
ピラトに話を戻しますが、彼はイエスの死後6年後に彼への訴えに対しる釈明の為にローマにもどりますがうまくいきません。伝承によると追放され最終的には落ちぶれ、歴史家によると後に自ら命を絶ったと言われています。
結び
今日の宣教から何を学びましたか。それぞれの生き方を考えてみようではありませんか。
○使命に向かって真直ぐ十字架に向かって生きる姿勢からあなたの生きる使命は何か考えよう。
○イエスの身代わり故にすべての罪が赦され解放され、自由の身とされたバラバから何を学ぶか。
○イエスが無罪であるのを知りながら最終的には真実に生きるよりもその場その場で生き抜けるようなピラトの生き方から何を学びますか。このような生き方をあなたはどう思いますか。
○妬み故にイエスを十字架につける事に成功したユダヤ人、異邦人たちから何を学びますか。

実はイエス様以外の全ての人は私達の代表する人たちであります。自分の使命を再優先して十字架の死を乗り越えたイエスの様に私達も自分の使命を考え、確認しながら歩んでまいりましょう。