マルコの福音書(73)

2022年12月13日

2018年5月6日
聖書箇所:マルコ14:66~72
宣教題:ペテロの失敗と悔い改め 

おはようございます。5月最初の礼拝を共に捧げる事が出来まして感謝します。また今日は聖餐式を通して主イエス様の御業を記念します。今月も共に主に信頼して歩んでまいりましょう。
さて今日の聖書箇所は皆さん良くご存知の聖書箇所であのペテロがイエスを否定するところであります。それでは見ていきましょう。話の流れは前大祭司カヤパによる真夜中の私的な宗教裁判が終わった後の出来事です。場所はカヤパの邸宅、ここにユダヤ最高議会の議員たち数十人が集まっています。とんでもない違法な裁判で有罪判決を受けました。ここまでが今までの流れです。

イエス様が弟子達に「今夜、にわとりが鳴く前に私を知らないと三度言います。」と言われました。するとペテロは、「たといご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と答えました。(マルコ14:29~31)さすがペテロ、実に頼もしい存在です。しかしペテロは数時間後にイエスの預言通りに3度イエスを否定したのです。このことはペテロの人生にとって最大の失敗でした。今日はこの箇所から学びますが、マルコ福音書だけでは情報が少ないので他の福音書の記述も含めてお伝えしますので参考までに後で調べてみて下さい。

◎第一66~68
大祭司カヤパの中庭での出来事です。イエス様の結末がどうなるか気になっていたペテロはヨハネと一緒に中に入っていきます。ヨハネがカヤパの知り合いだったので彼は顔パスで入ることが出来たのです。しかし、しもべの女性がペテロを発見すると、焚火に当たって紛れ込んでいたペテロをまじまじと見て、あなたもあのナザレ人イエスと一緒にいましたね。と問いかけます。
68節、するとペテロは即座に否定。とぼけてしまいました。これが1回目の否定です。数時間前の発言は何だったのか感じです。出口に方へ出て行った。ここでは半分逃げる体制になっていますね。でもこの姿は私達の事を映しているような感じです。

◎第二69~70前半
入口の所で逃げの体制に入っていたペテロに対して女奴隷が再度そばに立っていた人たちに「この人はあの仲間です。」と言うと、ペテロは再び否定します。マタイ26:72を見ると、誓いをしています。誓いとは「もし私の言う事が嘘なら神が私を打って死をもたらされるように」と言うのが意味するところです。そのうえでそんな人は知らないと二重の否定です。Ⅰdo not know the man.(そんな男知らねえよ)非常にイエス様を蔑んだいい方です。イエス様に対してそんな男と言ったのです。自分の身を守るためには何でもするのです。ペテロの弱さであります。これもまた私達を映し出している発言でもあります。

◎第三70後半~72
しばらくすると、これは2回目に鶏の鳴く時間に起こりました。朝の3時。真っ暗ですね。この頃又ペテロについて話が出てきた。彼はガリラヤ出身なので訛があるのです。ガリラヤの言葉は母音が不明瞭だと言われています。又喉音(こうおん)、喉の奥から出す言葉の発音もあいまいであったと言われています。
それ故ユダヤ人はガリラヤ人を軽蔑していました。呪いとは、うらみのある人に悪いことや不幸が起こるよう願う事です。日本では藁人形にくぎを打つとかあります。悪魔的な力が働くのかもしれません。非常にいやな事ですね。ペテロはこれをやったのです。呪うには相手がいますが、誰を呪ったと思いますか。そうですペテロ自身です。違いますね。これはイエス様を呪ったのです。
自分がかわいいためにペテロはここまでひどいことを下のです。さらには誓いまで立てたのです。これは先ほども申し上げたように「もし私の言う事が嘘なら神が私を打って死をもたらされるように」と言う誓いです。これが呪いをかけて誓うという意味であります。そしてそのような人は知らないと言い放ったのです。
ここで三回目、ペテロが呪いをかけて誓った途端に鶏が二度目に鳴いた。これが即ち朝3時であります。この時彼は、「にわとりが二度鳴く前に、あなたは3度私を知らない」というイエスの言葉を思い出しました。更にこの時に何があったか。離れていたイエス様は振り向かれたイエスと目が合ったのです(ルカ22:61)。イエスはペテロを見つめられたと書かれています。裁きの目ではなく実に慈愛の目をもってペテロを見つめられたのです。このイエスの愛の態度の故にペテロの心が打たれたのです。彼は泣き出した。激しく泣いたのです。この時に心の変化が起こりました。彼は悔い改めました。悔い改めとは心を方向転換する事です。180度向きが変わる。ユダの場合は後悔しただけでした。心の方向転換はしていなかったのです。ここがペテロとユダの人生が違ったところです。

適用 自分に適用してみよう。
◎立場が悪くなるとイエスを否定する。
ペテロの話を読んでダメな弟子だと思う人はどのくらいいるでしょうか。言えないと思います。何故か。自分の事を見ているようで彼を駄目な奴と言える人はいないというのが現実的ですね。それほど私達もペテロと同じような弱さを持っているという事です。彼は自信過剰な人で自分の弱さに対する認識が薄かったのではないでしょうか。いつもリーダー的な存在で、情熱的な人はこのような傾向に陥ってしまうのかもしれません。
しかし、ペテロを通して私達は人間とは何かえお教えられますね。自分の立場が悪くなるとイエスを否定する。否定しないまでも立場をあいまいにしてしまう。ごまかす。ペテロと同じですね。ここから自分の弱さを認めると共に、その時は損になると思われるような場合でもイエスを主と仰いで生きる。そして聖霊様の力により頼んで生きる。ここがポイントであることを教えられます。

◎悔い改め
私達もペテロと同じように失敗しやすいものですから、いつもへりくだって主の力を受けやすい環境を作っていく事が大切なのだと示されます。それは失敗したらすぐに悔い改めて方向転換をして主を第一にする事。そして主のみこころを選び取る事。選び取ったら従う事が主の祝福を受けて生きるポイントではないでしょうか。

結び
人は私もあなたも失敗をします。人生最大の失敗はどんなことでしょうか。思い出したくもないものであります。でもその失敗を通して学んでいったのがペテロでした。私達も同じです。悔い改めて一歩一歩成長させてもらう事がポイントですね。そしてわれらの神は悔い改めるものを赦して恵みを授ける神であります。ペテロは3回目に呪って誓いを立てイエスを知らないと言った時にイエスは後ろを振り向き目と目があいました。それは裁きの目ではありませんでした。その大きなイエスの慈愛によって彼は立ちあがることが出来たのです。彼はしっかり悔い改めて人生を前に向かって進んでいったのです。あなたは如何でしょうか。お祈りいたしましましょう。