マルコの福音書(72)

2022年12月13日

2018年4月29日
聖書箇所:マルコ14:53~65
宣教題:裁判を受けるイエス 

おはようございます。昨日ツバメの雛が孵りましたので見守って下さると感謝です。さて今日もマルコの福音書から共に学べることを感謝します。前回はユダの裏切りによってイエス様が逮捕されるところを学びました。時間的には真夜中です。続けてイエスは宗教裁判を受けるのですが、これも続けて行われ、真夜中の裁判になっています。そういう中で裁判はどのように進められていたか裁判傍聴人になったつもりで見てまいりましょう。

因みに皆さんは本物の裁判を受けた事はありますか。被告人、原告、証人のいずれかで呼ばれたとか、日本の裁判員裁判制度では70歳以下であれば裁判員に選ばれることもありますので是非受けて下さい。私もだいぶ前に借金の破産宣告裁判の手続きをした時、破産宣告を受ける人と一緒に判決を受けに裁判所に行きました。若い女性裁判官が強い言葉で二度とこのような事はしないようにと言われ今回は赦すが2回目は赦されないと強く言われた事を思い出します。あの時同じ判決を受ける人たちが3組くらい来ていた事を思い出します。一緒に判決を受けるわけです。

さてイエス様の裁判になりますが、4人の福音書の記者たちがそれぞれの視点で書いているので、全部見ると詳しくわかります。今回はマルコの視点から見た裁判風景を傍聴人になったつもりで見てまいりましょう。因みに当時のユダヤの裁判は非常に進んでいて被告人の人権が認められています。少し細かく見ていきましょう。最後の晩餐の食事が終わった後数時間後の真夜中。当時ユダヤはローマの支配下にあり政治裁判では死刑にすることは出来ませんでした。ですからここは前大祭司カヤパによる夜明け前の私的な宗教裁判です。結論から言うとこの裁判はイエス様を死刑にすることが決まっていた裁判で後はどの理由付をするかです。当時の進んだ裁判制度の中では全く不当な裁判でした。指導者たちが守っていた口伝律法に違反した裁判です。口伝律法とはモーセ律法から彼らが考え出した当時の言い伝えであり、民衆を縛っていたものです。背景を理解すると理解が深まります。彼等が自分達の造ったルールを如何に無視して裁判のやり方をごまかしていたか。

53:裁判は全て公開裁判が普通でしたが、ここでは非公開裁判でス。これは律法違反①
ユダヤ最高議会サンヘドリンという。議員71人内訳は24人が祭司長(サドカイ派)、24人長老(パリサイ派)22人(パリサイ人)1人大祭司(サドカイ派)裁判を行うには23人の議員が必要。サンヘドリンによる裁判は神殿の中で行わなければならない。ここでも律法違反②

55~59:イエスを裏切ったユダが雲隠れしたので、イエス様を訴える根拠がなく混乱している。最初から死刑ありき。59:証拠不十分、弁護があって告訴がある。これも抜けているので律法違反③2人ないし3人の証言が一致していなければならないがここでも崩れている。律法違反④
60:大祭司カヤパの質問(この時大祭司はアンナスであったがカヤパは現大祭司以上の権限を持っていたので大祭司として紹介されている)話の中心はここです。
60:イエスの黙秘権による沈黙に対し、カヤパは脅しをかけている。被告人に対し不利な証言を迫ってはならない。律法違反⑤61:黙秘するイエスに対し神の御名によって宣誓して証言するよう迫っている。あなたは、ほむべき方の子キリストか。62:この時イエスは応える。答えは、Ⅰam. わたしはある。あってあるもの。即ち旧約聖書で示している神の名前。ヤハウェという神のことです。即ちこの場面はイエス様の神宣言。人の子、イエスご自身の事、神の右のみ座につき、天の雲に乗ってくるのをあなた方は見るのです。今度は神の栄光に満ちて裁き主として再びこの世界に戻ってくる。イエスの神宣言、一番大切なポイントになる箇所ですね。
63:衣を引き裂く。怒りや悲しみの表現方法。大祭司は衣を引き裂くことを禁じられている。感情を表すことは律法違反⑥
64:裁判官である大祭司は訴えがあったことだけを審議するば良いのに新しい裁判内容を大祭司自ら作り出している。律法違反⑦神への冒涜罪は神の御名(ヤハウェ)を口に出したときだけ成立する。イエスは神の名を口にしていない。それ故律法違反⑧全員でイエスは死刑に当たると決めた。全会一致の有罪判決は無効。律法違反⑨、被告は自白証拠だけで有罪とされない。律法違反⑩有罪判決を夜に出してはならない。昼間だけ。律法違反⑪。死刑判決の場合、裁判と有罪判決の時間は24時間以上開けなければならない。律法違反⑫死刑判決の場合は年が若い順から投票によって決める。年配者の意見に支配されない為。声に出しての投票は無効。律法違反⑬、有罪判決が出てから3日経たないと行う事が出来ない。律法違反⑭
65:このような行為をさせてはならない。裁判官は人道的で親切であるべき。律法違反⑮、死刑判決を受けたものをたたいてはならない。こぶし4デナリ、平手打ち200デナリ。顔に唾するのは400デナリの罰金である。律法違反⑮、そもそも祭りの時に裁判は出来ない。律法違反⑯

この様に当時のユダヤの指導者たちはモーセの律法を解釈して自分たちに当てはめて一般の人々を支配したのです。それが口伝律法です。そうしておきながら自分たちは口伝律法を守らずことごとく破り、最初からイエス様を死刑にする目的で裁判したというのが真相です。特に彼らにとっては証人のユダが行方不明でいなくなってしまったのが大きな誤算でした。以上。ここからあなたは何を学びますか。裁判を傍聴する立場で判断してみましょう。

適用
○真の勝利者は誰か。
イエス様は不当な裁判による力で最後は十字架刑上で無念の死を遂げたように見えますが、実はそうではありません。彼らの思いは過ぎ越しの祭りの時に裁判するような事は望んでいなかったのです。むしろ過ぎ越しの祭りの後にイエスを死刑にすると考えていたのです。
ところが過ぎ越しの食事の時にイエスがユダに対し「あなたがしようとする事を今すぐにしなさい」と言った時から(ヨハネ13:27)彼らの実行計画が前倒しで進んでしまったのです。
ですからこれによってむしろ神の計画が進められるのです。神の子羊として過ぎ越しの祭りの時に、呪いの木に掛けられる事こそ神の救いの計画は成就するのです。すべてがイエス様主導で動いている事になります。実に真の勝利者はこの為に世界に来られ33年の生涯を生き、最後は十字架に掛かって死に、墓に葬られ、三日目に死人の内より甦って、救いのみわざを完成したイエス・キリストこそ真の勝利者なのであります。
私達はこの十字架の御業を信じてイエスを救い主と信じるならば救いを受けます。新しい人生の始まりです。そして神の恵みの中で生きる、これこそキリスト信仰の本当の姿であります。信仰と恵みによって生きるという事です。
結び
イエス様は「私はある」「Ⅰam」なるお方。即ち神のお名前ヤハウェそのものであるお方です。そのお方が人となってこの世界に来てくださったのです。すなわち世界を創り、支配し、治めておられる神です。やがて裁き主として全ての人に見える形で神の栄光をもってこの世界に戻ってくるお方なのです。主イエスを見上げて信仰によって生かされてまいりましょう。