マルコの福音書(68)

2022年12月13日

2018年3月25日
聖書箇所:マルコ14:17~25
宣教題:過ぎ越しの食事と聖餐式 

おはようございます。今日も共に聖書から学びます。今年は4月1日がイースターですので、暦の上の話ということであれば十字架刑という事になりますが、もう少し遡って過ぎ越しの祭りの食事、イエスの最後の晩餐から学んでまいります。来週は十字架と復活イースターの宣教になります。どうぞ宜しくお願いします。
先週の復習をしましょう。最後の晩餐というと私たちがすぐにイメージするのが、レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐の素晴らしい絵ですね。キリストと12弟子たちが、あの大きなテーブルを前にして座っている有名な絵です。但しあの絵は最高傑作品で、素晴らしいものですが、西洋的なイメージで書かれたものであり2千年前のイエス様たちとは異なっています。その辺を踏まえて聖書を学んでまいりましょう。前回は食事の前半部分でしたが、今日は後半のパンとぶどう酒を飲むところの話です。食事の順番を大まかに書きましたが今回はもう少し丁寧に整理しました。週報を見て下さい。木曜日の夕方6時から過ぎ越しの食事が始まります。私たちが言う木曜日の夜は聖書の世界では金曜日になります。翌日の朝9時にはイエス様は苦しみの十字架につけられます。過ぎ越しの食事は6時から始まり10時過ぎまで続きます。

大まかな食事の流れを再確認します。前回より少し詳しくなります。17~21場面を再現します。
①食前の言葉 イエスがこの過ぎ越しの食事をどんなに待ち望んでいたか。ルカ22:15
②第一の杯 感謝の杯、ぶどう酒を飲みます。正式な形では4回飲みます。
③客人の足を洗う。この場合はイエス様ご自身がなさいました。
④第二の杯を飲みます。これは裁きの杯と呼ばれています。
⑤カルパス(野菜)パセリ等を塩水に浸して食べる。塩の海を渡った時の神の御業を覚える。
・塩水の入った小鉢が数人に一つの割合で用意された。20節 ユダの裏切りを予告する(鉢)。

⑥アフィコーメンの儀式(デザート)
まず儀式用のパンを3つ重ねて別々の袋に入れて食卓に置いておきます。これは何かを表しています。一番上は父なる神、下は地上にいる被造物の人間、そして真ん中は仲保者なる祭司。これは三位一体の神を表しています。パンの特徴は○パン種のないパン、イースト菌が入っていないので煎餅みたいなものです。○筋、焦げ目がある。○小さな穴が沢山開いている。実はこのパンこそキリストを指し示しています。種なしパン⇒罪が無い。焦げ目⇒キリストの十字架の打ち傷小さな穴⇒手足の釘の跡、槍で刺されたわき腹の跡、いばらの冠をかぶせられた時無数にできた傷のあと。この様にキリストの十字架の御業が表されているのがこのパンの意味です。食事が始まるとイエス様は3段重ねの内の真ん中のパンを取り出し、祝福してそれを2つに裂き、亜麻布にくるみ家の中に隠しておきます。

⑦次はペースト状のどろどろした食べ物(ハロセット)です。まずこれは林檎を細かく刻む、はちみつ、ナッツ類(クルミとかの)、干しぶどう、シナモン、甘いぶどう酒を混ぜる。すると茶色、見た目は良くない。食欲が沸かない。でもおいしいのです。エジプト奴隷時代に粘土をこね、藁を入れてレンガ作りを下あの苦しい時代の事を覚える為です。
・苦菜を食べる。これは西洋わさびのこと。直接食べられませんね。涙が出るから。この食べ方はパン切れにあの甘いハロセットを浸し、苦菜(西洋わさび)を付けて食べるのです。エジプトで苦しんで涙を流した事を忘れない為です。
因みにイエス様がこの中に自分を裏切るものがあると言った時に、ご自分の右側にいたヨハネに「それは私がパン切れを浸して与えるものです」と言いパン切れを浸し、取って、イスカリオテ、シモンの子ユダにお与えになった」とヨハネ13:26に書かれていますが、これはパン切れに甘いハロセットとわさび、苦菜を少し付けて食べる事を言っているのです。
⑧メインコース 子羊の骨付き肉を食べる。

⑨いよいよ22節にあるパンの意味が出てきます。亜麻布にくるみ隠しておいた半分のパンを探してパンを食べるのです。これは十字架上で体が裂かれて死んでイエス様が亜麻布にくるまれ葬られる事を象徴しています。これを食べる。
亜麻布にくるみ隠しておいた半分のパンはキリストの復活を表しています。とって食べなさい。これは私の体です。食後に食べるデザートという事でアフィコーメンと言います。これがキリストの復活の体を覚えて聖餐式のパンに与る意味になります。よく理解しましょう。

因みに聖餐式のパンはイースト菌が入っていない、種なしの方が聖書に沿っていますので今後の課題だと思います。色々調べて購入を検討したいと思います。

⑩第3番目の杯を飲む。贖いの杯の事。私の契約の血、多くの人のために流される。ぶどう酒は神の国、千年王国で飲むその日まで決して飲む事はない。23~25まで。

⑪第4の杯を飲む。賛美の杯と言います。これを飲んでオリーブ山に出かけていきます。
以上が過ぎ越しの食事、またはイエスの最後の晩餐の様子であります。私達の聖餐式も過ぎ越しの食事が原型になります。これだけありましたので、4時間以上時間を要したのです。そしてギリシャ風の食生活として左ひじをついて右手で食べる。私達は左ひじをつく必要はありません
適用
以上最後の晩餐を流れに沿って見ていきましたが、聖餐式の時に食べるパンは儀式用に用意された3段重ねの真ん中のパンの事です。これは実にイエス様を表しています。半分に折られた種なしパン(罪が無いお方)焦げ目があるパン(傷だらけ)穴が開いているパン(手と足にくぎを打たれ、わき腹をやりで突かれ、いばらの冠で刺され)たのです。
全く罪のない方が罪とされた十字架のみわざを示しています。そして亜麻布にくるまって探し出されたパンは墓の中から復活したキリストの体を意味しています。22節のパンはキリストの復活を表すパンなのです。聖餐式の時にはもう一度この事を考えてパンに与りましょう。
ぶどう酒は第三番目の贖いの杯を飲みます。まさしくキリストの御業によって罪から贖われるのです。即ちキリストの物へと買い取られるのです。私達は既に主のものとされている事を忘れてはなりません。
結び
過ぎ越しの祭りの食事を調べると実に良くイエス・キリストのみわざと調和している事が分かります。一つひとつの儀式は全てキリストにおいて完成しています。聖餐式の時にはこのパンとぶどう酒を飲むことによって、キリストの十字架の死と復活のみわざを記念し、宣言するのです。それ故私達はもっと大胆にわれらの救い主メシヤなるキリストを見上げて信仰の歩みをさせていただきましょう。