マルコの福音書(65)

2022年12月13日

2018年2月25日
聖書箇所:マルコ14:1~9
宣教題:ひときわ光るマリヤの信仰 

おはようございます。今日もマルコ福音書から学んでいきます。イエス様はオリーブ山で弟子たちの質問に答えて話されました。それは40年後に迫るエルサレム滅亡について、今の時代が完成すること、大患難時代の事、ご自身がこの世界にもう一度戻ってくる事、これを別の言葉で再臨と言います。最後に真のキリスト者を天に引き上げる携挙(ラプチャ)について丁寧に話しをされて締めくくられました。またこれまで火曜日の話が長々と書かれていますが、14章に来ると過ぎ越しの祭りと種なしパンの祝いが2日後に迫っていたと有りますから、おそらく水曜日の事だろうと思われます。いよいよ過ぎ越しの神の子羊としてキリストの十字架刑が近づいてきました。そんな中でイエス様はお話しくださいました。それでは見てまいりましょう。

○1~2祭司長、律法学者の相談
この日からイエスを取り巻く環境はガラリと変わります。ここでは3種類の人たちが登場します。
第一のグループ。祭司長、律法学者。この人たちは当時のユダヤ社会を支配していた人々です。別の呼び方で祭司長はサドカイ派と律法学者はパリサイ派という事になります。この人たちは普段仲が良くありませんが今回は特別に仲良くなりました。それは共通の敵であるイエスを亡き者にするという目的があったからです。その為に彼らは相談しています。一致しているのは過ぎ越しの祭りの期間は民衆が騒ぎ出すのでイエスを亡き者にするのは避けるという事でした。イエス様をだまして捕えるという考えは手段が姑息ですね。でも彼らの考えと裏腹に神のゴールは過ぎ越しの祭りの時に呪いの象徴である木にイエスが掛けられて死ぬことでした。それ故イエス様はこの時を待っていたのです。何故かというと過ぎ越しの子羊として十字架にかけられて死ななければ意味がないからです。こうなってこそキリストの救いの御業がなされるのです。
以上自分の利益ばかりを追求してイエスを亡き者にしようとした宗教指導者が第一のグループでした。自分の利益のためには何でもする人たちです。利益の為にどうしてもイエスが邪魔だったからです。

○3~9シモンの家で
イエス様がエルサレム近くのベタニヤで重い皮膚の病気に冒されたシモンという人の家に食卓に着いている時の様子が出てきます。左の肘をついて寝そべるような形で食事をしているという事です。シモンの重い皮膚病(ツァラート)が癒されこの時、家に戻っていたのです。イエス様がこの後どうなるか多くの人々には全く予想していませんでした。
ここにベタニヤのマリヤが高価なナルドの香油300gをもってきて壺を割りイエスの頭や足に塗ったのです。誰も予想していないこの行為に皆が驚くと共に、腹を立てる人達もいました。何故ならナルドの香油300gは300デナリ、お金に換算すると労働者1年分の価値がありました。日本円で換算すると400万円~500万円の価値がある事になります。これだけ価値のある香油をマリヤは惜しみなくイエスの為に使ったのです。
このマリヤの行為を他の人は理解できませんでしたがイエス様は良くわかっていました。実にこの時マリヤはイエスの死の時が近いことを知っていたのです。その為に埋葬の行為としてこの機会、チャンスを逃すことなくしっかり実行に移したのです。これが2つ目のグループというかマリヤの行為です。
○3つ目のグループは弟子たちです。4節、特にイスカリオテ・ユダがいます。弟子の態度、この時もまだ弟子たちはイエスが十字架に掛かってむごい死を遂げるという事はあり得ないという考えに立っていました。全く想像すらしていないのです。当時の常識からすると普通の考え方でもありました。
だから、こんなに無駄にしてとか、貧しい人に施しが出来たであろうにとか、色々な事を言うわけです。でもユダは他の弟子と違ってそのような思いは全くありませんでした。ユダはお金にこころが向いていたのです。でもほかの弟子達は純粋に貧しい人へ施しするという思いがありました。いずれにしてもマリヤの行為は他の弟子たちにとって全く理解できない事でありました。これが3番目のグループの人たちであります。

○6~9イエスの評価、言葉
イエスはマリヤがした行為は信仰から出た埋葬の用意という事が分かっていましたので弟子たちに話されます。それがここに出てくる言葉です。
・わたしの為に立派なことをしてくれたのです。
・わたしはいつもあなたがたと一緒にいるわけではありません。
・この女は自分に出来る事をしたのです。
・9節の言葉で締めくくられる。
彼女はこの機会を生かしてその時にしかできない最大の事をしたというのが非常に心に残る言葉であります。
○適用
 機会を生かす
マリヤはイエスが間もなく死ぬという事を信仰によって知っていました。そして今自分に出来る最善の行為をしようと思いナルドの香油300gの入った壺を割ってイエスに惜しげもなく塗ったのです。これこそ彼女にとって葬儀であると共に礼拝を捧げたのであります。今私達はそれぞれが自分に与えられた人生を生きています。そして今しかできない事があります。その時をあなたは主イエスキリストの前にどのように生きますか。
私は4月で64歳になりますが、400メートル走の競技にたとえると第4コーナーを回りかけたところです。もう既に人生の4分の3は過ぎました。過去は変える事が出来ませんのでどうする事も出来ません。しかし未来は変えられます。人生80年にたとえると残り4分の1、20年近く残っています。これをどう生きるか。マリヤの様に今自分に出来る事をしっかりやっていきたいと考えています。そして今の自分は何をすべきなのかを考えつつ主にお従いしたいと願っています。いつも意識して悔いの残らないように機会を生かして主の前に生きようと願っています。皆さんはそれぞれ自分に与えられた人生をどのように生きますか。

結び
今日はイエスの十字架を前にしたマリヤの信仰の行為から学びました。あなたは3種類の人々の中でどのタイプになりたいですか。弟子たちの様にイエスの心が見えず自分の考えや思いだけで生きようと考えるタイプですか。それともベタニヤのマリヤの様にイエスの前に今、自分のすべきことを明確にして誠実に主の前に歩むものとされるのでしょうか。今こそもう一度マリヤの様に機会を最大限生かしてひときわ輝く信仰者へと変えられ他ら幸いです。