マルコの福音書(57)

2022年12月13日

2017年12月10日
聖書箇所:マルコ12:13~18
宣教題:神のものは神に返しなさい 

皆さんおはようございます。アドベント第2週を迎えましたがいかがお過ごしでしょうか。今日まで今迄の流れから話します。来週からクリスマス関連の宣教になりますので宜しくお願いします。聖書箇所はイエスが十字架にかけられる3日目に語られたことで、エルサレム神殿を金儲けの手段と考えていた人に対してイエスは厳しい態度で臨まれ宮清めの行為に出ました。これに対して律法学者や祭司長たちは増々イエスを憎み滅ぼしたいと考え陥れるため様々な言いがかりをつけてきます。しかしイエスのたとえ話を通して逆に彼らが追い込まれるようになります。ここまでが前回までの話の流れです。十字架を前にしたイエスは非常に張り詰めた空気の中にあって常に堂々としています。一方民衆を味方につけてイエスを滅ぼそうとしている指導者たちは焦っているように感じます。この続きとして12章13節から。イエスを罠にかける為に来た人たちとイエスのやり取り。非常に分かりやすい場面です。そして最後は、あの有名なカイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさいという言葉で締めくくられています。今日の話を理解する上での前提は当時のユダヤ社会はローマ帝国の支配下にありましたが、パックスロマーナと言ってローマによる平和な安定していた時代であるという事を押さえておきましょう。

13:今度は誰がイエスの所に来たか。14節の言葉は非常に良い響きの話に感じますが、言葉とは裏腹に、13節にあるとおりイエスを罠に陥れようとしているのが真の狙いです。但しパリサイ人とヘロデ党の組み合わせが面白いというか、普通はあり得ない事です。
これは日本の政治でいうと自民党と共産党が一緒になるような感じです。これはあり得ませんね。昔自民党と社会党が一緒になって自社さきがけ政権というものが出来て大変驚きましたが自民党と共産党が組むことはあり得ません。水と油の関係ですから。同じようにパリサイ人とヘロデ党は一緒になる事はありません。ではこのグループの特徴から考えてみましょう。
○パリサイ人:いかなるローマの支配を認めない人々。反体制派。その理由はローマ皇帝を認めると主なる神を否定する事になると考えていたのです。それ故に税金も納めたくないというのが本音です。同じ理由でローマ側の体制派であるヘロデ党が大嫌いなのです。宗教的には聖書を厳格に解釈しますが本質から外れ、時代と共に非常に狭く解釈し、やがて時間が経つにつれて本来の聖書示す神の愛と義のメッセージが受け止められなくなってしまったグループです。宗教的には人々の生活の中に入り込み、支配して強い影響力を持っていました。
○ヘロデ党:これはパリサイ派と全く逆の考えを持つグループで、親ローマ体制側のグループです。昔ヘロデ大王という人物がいました。イエスが生まれる前からローマと手を組みユダヤの王になった人物です。非常に残忍な人で知られています。この流れを汲んでいますので宗教的グループではなく現実主義者であります。但しローマのポンテオ・ピラトが総督になっているのは面白くないのです。やがてヘロデ家からユダヤの王が再び出る事を望んでいるのです。この様にパリサイ人とヘロデ党は全く違う考えに立っていましたが、この時ばかりは一緒になりました。それはイエスが彼らにとって共通の敵であったからであります。敵の敵は仲間という論理です。

14:まずはイエスに偽善的な正論をのべています。次がポイントです。ところで、カイザルに税金を納める事は律法に適っているか、どうかという質問です。これは13節にあるようにイエスを罠にかけて滅ぼすための策略です。彼らが考え出した巧妙な仕掛けがあります。イエスがその通りです。納めなさいと答えると、民衆はローマが嫌いですから民衆が黙っていません。また熱心党と呼ばれる過激派グループも騒ぎ出します。ノウと答えるとイエスはローマに逆らったという事でローマから逮捕されます。ヘロデ党の人々も黙っていません。この様にどちらに答えてもイエスが苦境に陥るように仕組んだ罠でした。
15:しかしイエスは彼らの偽装を見抜いていました。ここにイエスの力があります。ところで偽装はいつかばれますね。日本でも一流企業の偽装がことごとくばれて、企業の信用が大きく落ちています。
16:デナリ銀貨を持ってこさせました。この辺に彼らの慌てぶりが少し見えますね。少し説明します。カイザルとはローマ帝国皇帝を指して言う時の呼び方です。難しい言葉でいうと称号といいます。例えばエジプトの王はパロと言いますが、ちゃんとラメセスⅡ世とか言う正式な名前があります。デナリ銀貨とは当時ローマ帝国内で使われていたお金で労働者が一日働いた分の価値があるお金です。今の日本でいうと5千円とか1万円の価値というところでしょうか。銀貨ですからカイザルの顔、肖像と名前がそれぞれ刻まれていす。
ここからイエス様の得意な質問が始まります。誰の肖像ですか。誰の名ですか。彼らはカイザルのです。これはユダヤがローマに支配されていることの証明です。ユダヤ人が支配者であるローマ皇帝の刻印が刻まれたお金を使うのは屈辱的だったと思います。
17:驚くべきイエスの答え
○カイザルのものはカイザルに
彼らはどのような立場にあってもローマ帝国の安定した政治によって様々な恩恵を受けていました。例えば平和な生活。又発達した道路網を使って自由に行動も出来ました。ローマのデナリ通貨を使って必要な物を手に入れる事が出来ました。それ故ローマに対して税金を払うのは当然なことであります。イエスの答え。カイザルのものはカイザルに。いずれの人も反論できませんでした。
○神のものは神に返しなさい
但しイエスの答えはそれだけではありません。イエスは同時に神の支配についても教えました。ローマの政治家を認めて立てているのは全てを支配する創造主なる神であります。この神の支配下の中にある事を感謝して神の物は神に返すのだと教えたのです。○この答えに彼らは大いに驚きすごすごと帰って行ったのです。
適用
○権威 この世界には神から委託された権威というものがあります。キリスト者であろうがなかろうが関係ありません。この権威にはすべての人が従うべきなのです。これをしていかないと世の中の秩序が成り立たず混乱してしまいます。
しかし絶対権力、また76年前の日本の様に権力を絶対にする政府もあります。そして個人の自由な信仰さえも捨てる様に迫ってくることもあり得ます。しかしその時は従ってはなりません。
キリスト者は通常は権威や権力に従いますが、権威・権力が悪魔的になって迫害し、明らかにキリストの心と違う場合は神に従うのがキリスト者の生き方であります。
○神のものを神に返すとは 
聖書によるとすべての物は神から発しています。それ故地球上に満ちるものはすべて主のものであります。空気も、水も、木や山や海その中に生きる者すべてが主のものです。私たちは一時的に預かって管理している立場にすぎません。神のものを神に返すとはこのことを自覚して感謝しながらすべては預かりもので主なる神の栄光の為に生き、栄光をお返しする事です。何をするにも自分のお心を第一にするのではなく、神の心は何かを考えて最優先する生き方であります。
結び
神を礼拝し、神をたたえ、何をするにも自分を第一にするのではなく主のみこころを最優先して生きる事こそ、神のものは神に返す生き方ではないでしょうか。お祈りしましょう。