マルコの福音書(53)

2022年12月13日

2017年11月5日
聖書箇所:マルコ11:12~18
宣教題:ベタニヤからエルサレムへ 

今年も残すところ2ヶ月となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。先週は講壇交換で舘野克己牧師の宣教と交わり、励ましを受けた事と思います。私も羽生教会で多くの恵みを受けました。また今日は第一日曜日ですので聖餐式があります。主イエス・キリストの十字架の御業と恵みを覚えていければ幸です。
さて、今日の聖書箇所はマルコ11:12~18です。いよいよイエス様は最後の1週間を迎え日曜日にエルサレム入城しました。人々はイエスをユダヤの政治的な王として熱狂的に迎えましたが、主イエスの思いは反対に冷静で確かな思いをもち過ぎ越しの祭りの日に十字架刑に備えてエルサレム入城したのです。今日の聖書箇所はその翌日の出来事になります。2つに分かれます。まず①ベタニヤからエルサレムへ向かう途中にイエスがイチジクの木を呪ったこと②エルサレムで宮清めが行なった事です。

①ベタニヤからエルサレムへ向かう途中の出来事 12~14
12:翌日とはエルサレム入城が日曜日ですから月曜日という事になります。当然朝の出来事です。空腹を覚えられた:これが人間イエスそのままの姿です。でも少しおかしいと思うのは、昨晩ベタニヤに泊まったというと、多分マルタとマリヤの家に泊まったと思われます。そうすると朝食は出るはずですすね。特にマルタは料理も上手だと思われますから。でもイエスはお腹がすいている。朝ごはん食べたのかなと思ってしまいます。実は昨晩はマルタの家に泊まったのではなく、野宿したと思われます。そして断食して祈っていたのではないでしょうか。このように理解した方が空腹になった意味が理解できるのではないでしょう。こうしてイエスはベタニヤからエルサレムに向かわれました。
13~14:実を付けていないイチジクを見てイエスはこの木を呪いました。葉の茂ったイチジクの木でしたが実が有りませんでした。この記事を見てある人は早合点して安心感を持つことがあります。それは朝起きてイエス様はお腹がすいていてイライラしていた。目の前にあったイチジクの木から食べようと思ったところ、何もなかったので頭にきたイエスは腹いせに奇跡を使って気を枯らしてしまったのだと。
イエス様って人間らしいなと思って妙に共感したというものです。これは誤った解釈です。自分の感じる様に、また思うように前後関係を無視して聖書を読むと、とんでもない解釈をしてしまいます。皆さんはこのような事はないと思いますが。どのように解釈したらよいかを見ていきましょう。
○いちじくの木はイスラエルで非常によく見られる木です。流れを紹介します。
・3月に緑の小さな実をつける。この実をイスラエルでは食用として良く食べるそうです。
・4月に葉を茂らせる。過ぎ越しは3月~4月ですからちょうどマルコ11章の季節です。
・6月ぐらいに実がなり8月末に収穫が終わる。日本では10月まで収穫が続きますね。
・イエスが期待したのは3月に実をつけるこの緑の実です。今は4月ですから熟したイチジクにならないのは良くわかっています。しかし小さな緑の実が全くついていなかったのです。そればかりか葉っぱばかりが良く茂っていたのです。
実にこのイチジクの木こそイスラエルの象徴でした。外面的には繁栄している様に見えても中身は何もないイエスラエルの姿だったのです。イエスが何回語り掛けても悔い改めないイスラエルに対する神の裁きを象徴しているのがこの場面です。事実イエスの死後40年の紀元70年にエルサレムはローマの軍隊を通して神殿ごと焼き払われて国を失ってしまいました。ローマ軍を通してイエスの預言は成就することになります。このことは内側と外側があまりにもかけ離れた信仰の偽善行為が行きつくところであることを弟子達に教える弟子訓練でもありました。

②エルサレムにて 15~18
15:ベタニヤからエルサレムはわずか2キロしか離れていませんので、すぐにエルサレム神殿に着きました。過ぎ越しの祭り中なので世界中から人々が集まりごった返していました。ここでイエス様は激しい行為に打って出ます。宮清めです。公生涯のはじめと終わりにしています。内容。
・神殿の外の異邦人の庭と呼ばれるところで売り買いしている人々を追いだします。
・両替人の台を倒す。ローマやギリシャの銀貨を神殿で使用するシェケル銀貨に交換する時高額な手数料を取って両替する。人の弱みに付け込んでぼろもうけをする悪徳商人という事です。
・鳩を売る者たちの腰掛を倒す。これも同じです。神殿で礼拝を捧げる行為として貧しい人は羊を飼うことは出来ないので、家鳩や山鳩をこの宮で購入して捧げるのです。ここでも同じように鳩を高額な値段で売り付けてぼろもうけをしていたのです。人の弱みに付け込んでぼろもうけをする悪徳商人です。これに対してイエスはノー突きつけて激しい行動がこの事です。
16:読む。主を礼拝する神殿内を横切って無神経に近道して家具等を運ぶ人がいたのでこの行為を阻止されたのです。
・この行為の元締めは大祭司カヤパです。膨大な金額の場所代を取って大きな富を得ていたのです。如何に堕落していたかが分かります。イエス様はこれらを嫌われ大胆な激しい宮清めの行動に出たのです。
17:旧約聖書のイザヤ書とエレミヤ書を引用して祈りの家を強盗の巣にしていると言って非難したのです。
18:指導者たちがイエスを殺す相談を進めていきます。
適用
○偽善的信仰を改めよう
イエスは葉っぱばかり茂って実らないイチジクを呪いました。それはイスラエルの偽善的信仰を警告したのです。私達はどうでしょうか。外面的に信仰深く見せるでしょうか。もし日曜日と他の日を全く違うような生き方をしていたとするならば偽善という事になります。もう一度心の中を点検してまいりましょう。
○神殿とは何か
神殿は神の臨在を表す場所でした。そこでは神に祈りと礼拝を捧げる場所でした。キリスト教会では神殿は不要です。では今この時代に在って神殿とは何でしょうか。実は私達が神殿なのです。神の霊である聖霊を宿し、私たちの体は実は自分のものではありません。キリストの十字架のみわざを通して、キリストによってあがないだされた、別の言葉でいうと、キリストの命という大きな代価を払って買い取られた、神の所有です。神のものとされていますので神の御心を求めて生きる事が最優先になるべきなのです。そして同じように信者の集合体であるキリスト教会も神のものでありますので自分たちの思いや考えよりも主のみこころを優先するのです。私達が神殿である。
結び
イスラエルの民は信仰の本質を見失い主の御心から大きく離れてしまいました。私たちはどうでしょうか。様々な点で聖書とかけ離れているような考えや生活習慣、信仰生活はないでしょうか。もう一度自分の生活を吟味し枯れた人生を送らないよう実り豊かな歩みをさせていただきましょう。