マルコの福音書(51)

2022年12月13日

2017年10月15日
聖書箇所:マルコ10:46~52
宣教題:私に何をしてほしいのか 

10月に入り雨が続いていますが如何お過ごしでしょうか。先週はどんなイエスの恵みの業を体験しましたか。ある方は、仕事を通して契約が取れないかなという厳しい環境の中で大きな契約が取れた話を伺いました。私も聖書の基づくコーチングを通して、自分が変えられ、周りの人が喜びに変えられていく姿を見てとても大きく変化している事を実感しています。あなたはいかがでしょうか。実は今日の宣教箇所でもイエスへの信仰を通して生き方が大きく変わった人物が登場してまいります。元盲人のバルテマイという人物です。それでは共に学んでまいりましょう。題は「私に何をしてほしいのか」○話の背景46○バルテマイの願い47~48○イエスの対応49~52。

1、背景から知ろう 46
ここはイエスと12弟子、その他大勢の人々がヨルダン川東のペレヤ地方からヨルダン川を渡り西にエルサレムに向かっている所です。途中にエリコの町が2つあります。旧約聖書時代からあるエリコの町から、南2キロにはヘロデ大王が建てたエリコの町(ルカ18:35)を経由してエルサレムに向かうのですが、この場面は古いエリコの町を出て、新しいエリコの町に向かっているときに起きた出来事を取り扱っています。
 このエリコの町に盲人の物ごいであるバルテマイという人物がいました。バルテマイとはテマイの息子という意味です。当時の盲人の立場は非常に低いもので、一般の職業に就くことが出来ず、物ごいをするしか生きる手段は有りませんでした。人通りの多い道端に座り助けを求めていました。人々の心の違いもお伝えします。イエス様はしっかりと十字架のみわざによる人の救いに焦点を絞ってエルサレムに向いています。十字架の苦しみが待っているのです。しかし、弟子達やその他大勢の人々はもうすぐイエスがメシヤ的王国で王座に就くと思って大きな期待をもって行進しているのです。この意識の差は大きな違いですね。これを踏まえながら学んでまいりましょう。

2、バルテマイの願い47~48
 バルテマイはナザレのイエスだとわかると(盲人の目を開いたお方である)、ダビデの子のイエス様と叫び始めました。私に恵みを施してくださいと続けて叫びます。モノが欲しくて叫んでいたのではありません。ダビデの子のイエス様という呼びかけは、メシヤ救い主、キリストであると信仰告白しているのです。即ちバルテマイはイエスをメシヤと信じていたのです。
弟子達は彼がうるさい邪魔な奴だから黙らせようと思ったのです。何故ならイエスは王としてエルサレムまで凱旋すると考えていたからです。そんな時にうるさい奴がいきなり出て来て邪魔だと思ったわけです。しかしバルトロマイはイエスのメシヤとしてのみわざに期待して叫び続けたのです。妨害が入っても気にしなかったのです。チャンスを生かしたかったという事になります。

3、イエスの対応49~52
 イエスは彼の信仰の叫びに耳を傾け立ち止まり呼んできなさいと言われます。イエス様の弱い人への奉仕の心、愛の心は素晴らしいですね。ここはしっかり真似したいと思います。「安心して立ちなさい。お呼びになっている」許可を受けたバルテマイは上着をかなぐり捨てて、躍り上がってイエスのところまで来ました。彼の喜びの姿が目に浮かぶようであります。この上着を捨てるというのがポイントですね。上着は大切な財産であり一つしかありません。商売道具であったかもしれません。イエスは彼の姿を見て信仰を確認し、その思いを引き出す為に「私に何をしてほしいのか」と尋ねます。彼は言います。先生(ラボニ、わが主)目が見えるようになることです。「さあ行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」この順番が大切です。バルテマイはイエスをメシヤ救い主と信じる信仰によって救いを受けました。即ち新しくおまれ変ったのです。その結果、彼は癒しを受けました。更に彼はイエスに従いました。イエスの行くところについて行ったのです。そしてさらに初代教会でも彼は名前が知られた信仰者として歩んでいたようであります。

適用
○チャンスを生かす
バルテマイはラストチャンスをしっかり生かしました。そして救いを受け新しい人生が開かれました。イエスが「私に何をしてほしいか」とたずねた時にすかさず目が見える様になることです。彼は1回きりのチャンスを生かし、イエスから目だけでなく心の目も見える様になったのです。
私達もイエスに従う信仰生活をするうえで1回1回のチャンスを生かしてイエスの心に従う決心をしましょう。具体的には優先順位をいつもイエスの心第一にするときに奇跡が起こります。しかし奇跡が起きない穂ともいます。何故起きないのか。それはいつも自分の考えを優先するからです。
結び
彼はイエスから、「私に何をしてほしいのか」と声をかけてもらった時に、信仰によって即座に応えました。そうしたら奇跡が起きました。私は今多くの人に起きている奇跡のみわざを見ています。
また自分でも不思議なくらいに主の業をみさせていただき、人生が変わってきました。何故か。振り返ってみますと、それは人に対する見方(人間観)が変わったということです。最近私は人に対して6つの視点を心がけて相手の方を関わるようにして意識して関わるようにしています。別の言い方をするならばイエスの視点で人と関わる事です。
①尊敬する。
人はそれぞれが、その人しか生きる事の出来ない人生を歩んでおり、この地上に於ける唯一の価値を持った存在です。それ故、すべての人を尊敬するのです。
②信頼する。
人は自分の人生の唯一の専門家として、最高の知恵を発見し、能力がある事を意識して信頼するのです。
③好意的に見る
人の人格、行動、言葉についてあら捜しをしないで、常に優しく好意的に見ていく習慣をもって関わる。
④関心を持つ
その人自身の持つ感じ方、充実感、価値観に関心を持つ。関心を持つことの反対は無関心です。無関心は愛がないという事です。
⑤最高を願う
その人のかけがえのない人生、尊さを意識してその方が最高に充実した人生を送れるように願う。
⑥裁かない
人は人を裁くのが非常に上手な生き物です。これを辞める。何故か。人は常に失敗をしやすいものだが、死ぬまで成長の過程にある。それ故いちいち目くじらを立てない。裁かない。以上6つです。

こうした聖書的な視点、人間観を持って行動するとき聖霊が働いて自分も周りの人の人生も変わるのです。あなたも試してみて下さい。