マルコの福音書(48)

2022年12月13日

2017年9月10日
聖書箇所:マルコ10:17~25
宣教題:イエスを信頼して生きよう  

今日もマルコの福音書から続けて学びます。まず今までの流れを確認してまいりましょう。本日の聖書箇所はマルコ10:13~16をパスしてエルサレムへの向かう中で出会った金持ちの青年とイエスの対話という場面になります。17~25、この箇所は今まで何回か聴いたり読んだりしている所ですが意外とピンときません。誤解しやすい箇所であります。今日は丁寧に確認しながら理解を深めていきたいと思います。今日の箇所は13~16で子供たちを前にして、神の国は自分の弱さを認めている彼らのものだと言われました。そして子供たちを抱き上げて祝福したのです。この話に続き青年と富に関する対話が出てきます。平行記事はマタイ19:16~22、ルカ18:18~25にありますので参考にしてください。
○17~22 イエスと青年の対話
17:一人の人がイエスの前に走り寄ってひざまずいて尋ねます。人物像は:この人は青年です。年齢的に20代から40歳までの人です。役人でもありますから、会堂管理者か、議員という可能性もあります。そうすると40歳近い人となります。そして何よりも資産家で金持ちという事です。当時のユダヤ社会の中での考え方として裕福である=神の恵みを得ているというものでした。しかし達ない物がありました。それは永遠の命を得ていなかった事です。それ故熱心に求めた人であります。非常に人生をよく考えていたまじめな人という人物像が浮かんできます。
ここはイエスに対する話し方が理解する上でのポイントになります。尊い先生と呼びかけていますがこの尊いという言葉の意味は、当時ラビ(ユダヤ教の教師)には使いませんでした。本質的に善で、道徳的にも完全という事で、神に対してのみ使う言葉です。にもかかわらず青年はイエスをメシヤ、神と信じていませんでした。それ故イエスはあえて、この青年に対して「尊いとは神に対する呼びかけの言葉でしょう。それなのになぜあなたは私を尊いと呼ぶのですか?私を神と認めていないのにとか、信じてもいないのに」というニュアンスになります。
この後イエスは青年に対して「イエスは主です」という信仰告白を待っていたのですが、それが無いので、モーセの十戒を出して彼の信仰を確認します。これは後半の6つです。
20:青年は子供のころから全部守っている。この答えについて皆さんはどう思います。実はこの答えは守っているという思い込みの発言です。彼が、気が付かないだけで実際の所守っていません。真の意味で信仰的に盲目である為に実行していると思い込んでいるだけです。後でわかります。
21:イエスは霊的に盲目な彼を慈しみます。ここにイエスの大きな愛があります。私達なら、あなたは本当に鈍い人という事で止まってしまいます。でもイエスは彼を愛して言われます。
21~22、21の言葉を読む。彼の心にある真の問題を突きつけます。ここでイエスの心は全額売り払って貧しい人に与えよと極端な事を言っている訳ではありません。彼の心が何に支配されているかをはっきりさせる為に試しているのです。しかし彼の心はお金に支配されていたので、悲しみながらイエスのもとを去っていきます。もし彼が救いを受けていれば一部であっても貧しい人のために財産を使い天に宝を積んだはずです。しかし彼は全くそうしませんでした。彼には救いがなかったのです。
○23~26 イエスの結論
23:金持ちが神の国に入るのはなんと難しいことか。この言葉は誇張法(オーバーナ表現)で話を分かりやすく話している。それだけ人は財産に心が縛られやすい存在なのです。これは昔から変わらない人間の課題です。
○適用
1、青年と子供の対比
実はこの話は前に出てくる、自分の弱さを認めて親に信頼するしか生きられない子供たちの姿勢と一方金持ちのこの世の富に心が支配されてイエスに対して信頼できなかった青年の対比です。青年はお金に頼る心が一番でしたので、どうしてもあと一歩踏み出してイエスを信じる事が出来ませんでした。この様にイエスに祝福された幼子と金持ちの青年の生き方を対比しています。
聖書の信仰とは幼子の心をもって主に信頼する事、これが一番主に祝福される道です。私達は幼子の側か、それとも青年の側かどちらを選択するでしょうか。
2、私達と財産の関係
誤解しないで戴きたいのですが、この箇所でイエス様はクリスチャンになる為には財産を全部捧げなさいと教えてはいません。また神の国に入る為には全財産を捧げよとも教えていません。
お金や財産は有り難いものです。聖書はキリスト者が金持ちになってはいけないと教えていません。私も金があればありがたいと思います。老後の為にも使えますし、別の視点で見ると、財産を自分のためにだけ使うのではなく、天に宝を積むという視点で使えます。開拓伝道で厳しい予算の中でやり繰りしている教会や牧師家庭は沢山あります。ここに支援する事が出来ます。
また、今日本には貧しい人や貧困家庭の中に育つ子供たちも沢山います。わずかな年金で生活をしている人や家を失い家族を失ってホームレス状態の人も沢山います。これを自己責任だからと片付けやすいのですがそうとも言えません。日本では政府が30年くらい前から新自由主義という考え方で様々な規制緩和、民営化を行い生活は便利になりましたが、持つ者と持たない者がはっきり分かれる時代となりました。このような中でキリスト教会の立場はいつも社会的弱者の側に立つのがキリストの心です。日本でも今後ますます金持ちは更に富むものとなり、貧しい人は更に貧しくなります。このような時代だからこそキリスト教会やキリスト者の役割は大きいという事を確認して財産管理をしていきましょう。
3、聖書の読み方 危険な読み方の紹介。
①18:神はお一人だけです。ほらイエス自身も言っているでしょう。この様にイエスは神より一
段ランクが下がった天使のかしらなんですよ。こう言われたら皆さんはどう反論しますか。文脈、
コンテキストを無視して読むとこうなります。でもここは青年がイエスを神と信じていないのに尊
い先生という言葉を使ったから、イエスが切り返してこの様に逆質問したのです。
②21:天に宝を積むには全財産を神に捧げなさい。そうでなければ神の国に入れません。神の国に入るのは昔も今も信仰と恵みによってであり、財産とは関係ありません。この文脈でのイエスの発言は彼が信仰を持っているかどうかを試しているのです。
聖書の正しい読み方を紹介します。
①文章の流れ、文脈、コンテキストの中でことばの意味を読み取っていく。解釈は一つ。適用は多数。この原則が聖書理解のポイントです。聖書は読みたいように読めばいいのだ。解釈は沢山あるのだからというまことしやかな考え方をクリスチャンから聞く事があります。これでいくと18節と21節の聖書解釈は全く逆の理解になって聖書がわからなくなります。
②新約聖書に適用した場合、紀元1世紀のユダヤ人の聖書理解、生活習慣、文化、考え方、言葉の使い方、意味を出来るだけ多く知る事です。また聖書も何種類かを読み比べていくと理解が深まります。これをユダヤ的視点、あるいはヘブル的視点で読むと言います。
○結論
救いはイエスに対する信仰のみである。幼子のような態度でイエスを信頼していきましょう。また聖書の読み方は文脈を大切にしながら意味を読み取る訓練をしましょう。そして聖書はユダヤ人によって書かれた書物でありますので彼らの視点で解釈し意味を理解してまいりましょう。