マルコの福音書(47)

2022年12月13日

2017年9月3日
聖書箇所:マルコ10:1~12
宣教題:真創造の秩序  

今日もマルコの福音書から続けて学びます。まず今までの流れを確認してまいりましょう。
本日の青書箇所は1:ヨルダン川東側の地にて 2~12:パリサイ人とイエスの問答

1:十字架刑の数か月前にイエスはカペナウムのある人の家で真に偉い人とはどのような事かを子供を例にして話されました。そして今、イエスと弟子達は、そこを(カペナウム)を去ってずっと南に下っています。ガリラヤのカペナウムから南にサマリヤを通り、さらに南に下ってユダヤ地方に行かれました。もっと詳しく見ると、今日の話の舞台はヨルダン川の東側のユダヤの地に行かれました。ここは当時ペレヤ地方と呼ばれていたところです。聖書の最後のページにカラーの地図を持っている方は見てください。ヨルダン川の東側はペレヤと書いてありますね。今イエス様はそこにいます。因みにマルコ福音書にはカペナウムからユダヤまでの出来事が書いてありませんが、この間に何が起こったか例えばサマリヤとかエリコで起こった出来事についてはルカの福音書に詳しく書かれていますので関心のある方はマタイやルカを読まれるとイエス様の行動全般が良くわかると思います。
 またこの地域はユダヤ地方からヨルダン川を挟んで東の地になります。いわゆる川向うですので、イエスに対してしつこくついて回るパリサイ人が少なかったので集まってくる群衆に対してさまざまないやしの業を行いました。平行記事としてマタイ福音書19章に詳しく書かれていますので後でこちらを参考にしてください。
2~12:パリサイ人とイエスの問答
 イエス様の癒しの話はたちまちのうちに広がりました。それ故ここにも直にパリサイ派の人々が派遣されてきました。彼らは何故来たか。それはイエスを試す質問、即ち答えられないような質問をして陥れ、殺害しようとしていたのです。それがペレヤに来た理由です。物凄く執念深いです。実に彼らの正義とは昔から言い伝えられた、モーセ律法を表面的に守る事でした。この視点で見るとイエスは偽キリストであり、悪人、ペテン師なので何としてもすぐに活動を辞めさせ、更にはなきものにしようという考えであり、正義なのです。
今度はどんな問題を仕掛けてきたかというといきなり離婚問題です。何故離婚問題か。この辺の文脈、コンテキストはなかなか良くわかりません。しかしマルコの福音書をずっと学んできた私達にはわかるはずです。思い起こしてみましょう。マルコ6:14~29に手がかりがあります。このペレヤ地方を治めていた人物はヘロデ大王の息子でヘロデ・アンティパスという人で、彼は自分の兄弟の妻ヘロデヤを奪ってしまった人です。不法な略奪婚をした人です。又ヘロデヤにうまく乗せられてバプテスマのヨハネの殺してしまった人でもあります。当然赦されない事をした人です。この地を治める人はこのような悪事を働いている事をパリサイ人は逆手にとって離婚問題を仕掛ければどのような答えをもってしてもイエスを陥れられると考えたのです。この様な背景、流れを見れば2節の彼らの唐突な質問ではありません。
3:イエスの答えはそのままストレートには応えません。このやり取りが実にうまいです。モーセは何と言っているのですか。律法の中には何と書いてあるのかという逆質問です。私もこの手はよく使うようにしています。ストレートに答えず相手に考えてもらうようにするのは良い事です。
4:「離婚状を書いて妻と離別することを許しました」当時のパリサイ派の人々の中にはモーセ律法を自分たちに都合よく解釈して、夫は妻に対して些細な事であっても離婚状さえ書けば簡単に離婚できるとする人々と不貞以外には離婚できないと考える人々がいました。ここでの質問は不貞以外には離婚できないと考える人々が、夫は妻に対して些細な事でも離婚状さえ書けば簡単に離婚できると考える人々に対して攻撃している質問です。そうだとイエスがいうとヘロデが黙っていないのです。逆にノーというとイエスはモーセ律法をママ折らないと言って攻撃するようにできているのです。極めて巧妙な質問の仕方です。
5:イエスの答え。モーセが書いたのはあまりにも男が強情なので離婚状を書いて離別せよと妥協案として言ったのだ。その理由は夫が妻を虐待するかもしれないし、もっとひどいことをするかもしれないから妻を守る為にあえて許したまでであると、イエスはモーセ律法で言っている内容を解説したのです。当時のユダヤは圧倒的な男性中心の考え方でありましたので、モーセは女性を守る為に書き記したのです。かえって男の権利というよりは女性を守る事だったのです。それがモーセ律法の愛の心遣いです。律法をこのように読める人は幸いです。
6~9:さらにイエスは人間が創られた初めに戻り、創造の秩序、結婚の秩序について話されました。それは、神は人を男と女に造られ、人は父母を離れて、二人は一体となる、それ故二人ではなく一人なのだ。この様に結婚とは男と女が恵みと赦しの内にあって神が結び合わされたものだから引き裂いてはならないと語られたのです。この原則は今も変わりません。私はあの夫が嫌だという人がいるかもしれません。またあの妻が嫌だという人がいるかもしれませんが、すべての結婚は神によって結び合わされたものでありますので、いつもこの確信に立ち続ける事がポイントです。
現代に於ける適用
○離婚について
離婚は神が結び合わせたものを引き裂くことになりますから、男女双方にとって心が痛むことであります。それ故離婚は出来る限り避けることが大原則です。しかしやむを得ず離婚せざるを得ないこともあります。新約聖書では2つの理由で離婚が認められています。
①相手側の性的不道徳、不貞の罪を犯した場合に離婚を認めています。でも出来るだけ離婚しないでお互いの信頼関係が回復してやり直すことを望みます。
②結婚して後、どちらか一方がキリスト信者となった場合、相手が新工場の理由により離婚を望む場合は離婚が認められます。Ⅰコリント7:15~16
③現代に於ける適用として、夫のことばや暴力による虐待、その他さまざまな事情もありますからケースバイケースで考えていく必要あり。その逆に妻から夫への暴力、虐待のケースもあります。
○結婚
結婚はいかなる結婚であっても神によって結ばれたもので。いつもこの確信に立って配偶者を自分と同じように愛する必要あり。創造者の秩序として多くの人に結婚していただきたいと思います
結び
離婚は出来る限り避けるというのが牧師の立場であります。しかし、神は恵みと憐れみに富むお方でありますから、様々な事情で離婚する事があったとしても主によって傷が癒され双方がそれぞれ別の形で新しい道を生きる事が大切です。そしてキリストの十字架を見上げていく時に赦されない罪はありませんので主を見上げてまいりましょう。
また結婚は恋愛であろうと、お見合いであろうと神の許しと祝福の内に神によって結ばれるものでありますので積極的に受け止めてまいりましょう。又双方がいくら愛し合っていても結婚前に性的な関係を持つことは姦淫の罪を犯すことになりますので、決して肉体関係を持たないでください。性的誘惑にあった時は逃げることが先決です。いずれにしても私達は聖書を通して結婚と離婚がどのようなものかしっかり理解しながら主の前に歩んでまいりましょう。