マルコの福音書(42)

2022年12月13日

2017年7月23日
聖書箇所:マルコ9:1~8
宣教題:彼に聞け  

それではマルコの福音書から続けて学んでまいりましょう。今迄イエスと弟子たちはガリラヤ湖の北にあるピリポ・カイザリヤの村々にいます。ここには水と緑豊かな自然があり、切り立つ岩山がある場所であります。又この町は偶像の自然神パンが祭られている所としても有名でありました。ここでシモン・ペテロはイエスに対して素晴らしい信仰告白をしました。イエスが弟子達に質問します。あなたがたは私を誰だと言いますか。ペテロは言います。「あなたこそキリストです」旧約聖書に約束された唯一の神ザ・メシヤです。この信仰告白をイエス様は大変喜ばれました。

しかしペテロの頭にあるメシヤ理解は十字架抜きのキリスト即ち、受難のメシヤ、苦しみを受けるキリストの姿はないので、イエス様が苦しみの死と復活の話をしたら、そんな事はありませんと言って、即座にイエスをいさめ始めたのです。それ故イエスはペテロに「下がれ、サタン」と言って叱責したというのが前回までの話でした。そしてキリストの弟子たる者は自分を捨て、自分の十字架を負って私についてきなさいと勧められました。この意味するところは、人々から拒否されるというイエスが味わった体験を自分のものにする事。私達もイエスをメシヤと告白すれば人々から拒否されるという事を受け入れて生きよという勧めなのだと確認しました。そしてイエスはやがて再び父なる神の栄光をもってこの世界に戻ってくる事を弟子たちに語られたのです。但しここには2千年以上の時間の隔たりがあります。

今日は9:1からで、ここまでがピリポ・カイザリヤの出来事になります。8:38の続きでイエスが話をしています。弟子の中で神の国が力をもって到来するのを見るまでは決して死を味わわない者がいる。これはどんな意味か。よく理解しにくい所でありますが、文脈から言って最も無理のない解釈は、2節以降の変貌山での出来事(これが神の国の意味)を3人の弟子が体験する事を予めイエスは言われたという受け止め方です。それを踏まえたうえで、今日の宣教区分は①2~4高い山での出来事 ②5~6ペテロの発言 ③7~8神の声を聞くになります。

①2~4高い山での出来事
9:1でイエスが語られたことが成就しる場面です。ピリポ・カイザリヤでペテロが信仰告白をした時から6日経ってイエス様は弟子の代表ペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人を高い山に連れていきました。この高い山はピリポ・カイザリヤの更に北のヘルモン山の事です。ここですごいことが起こります。それはイエスの姿が変わったのです。変わったという言葉の意味は性格には全く変わったという事。ビフォーアフターで体重が20キロ痩せて姿が変わったというレベルではないのです。蝶の美しい姿を見ると、あの芋虫の姿を思い浮かべる人は少ないと思います。しかしここで変わるという言葉は芋虫が蝶に激変する変わり様のことを言っています。弟子たちはこの時眠くてたまらなかったのですがはっきり目が覚めて栄光のイエスの姿を目の当たりにしたのです。全く質的に変わり栄光の姿に変ったのです。それ故この箇所は良く変貌山での出来事と呼ばれます。
3:衣は非常に白く光りとは世のさらしやではできない程の白さであったとは、どんなクリーニング屋さんでも花王の洗剤でもできない白さだという事です。この光は何か。これはイエス様が本来持っている神の栄光の光です。よくシャカイナ・グローリーと言われるものです。イエス様の33年間の地上の生涯で初めて現わされた本来の栄光の光輝く姿であります。

4:ここに現れた人が2人います。旧約聖書を代表するモーセとエリヤです。モーセは律法、エリヤは預言者を代表しています。この2人が突然現れ、イエスと話し合っているのです。何を話していたのか、ルカの福音書によると、イエスがこれから半年後に成し遂げられる最期の事です。これは十字架とそれに続く、復活のみわざについてです。ここから新たな出発、スタートが始まるという話をしていたのです。苦しみはありますけれども栄光の姿に変えられていくのです。

②5~6ペテロの発言 
ペテロは何も口出ししたわけではありません。この箇所の正確な意味は思わず叫んでしまったという事です。ここはペテロが素晴らしい発言をしていると解釈するべきです。彼はこの時にはっきりイエスこそ本物の救い主であることを再確認したのです。そして3人の為、ここに仮庵の祭りの時に使われる仮小屋をつくりますと信仰告白したのです。幕屋と訳しているので意味が分からなくなります。普通幕屋というと皆さんはモーセの幕屋を思い浮かべるでしょう。私もあの大きなモーセの幕屋を思い浮かべてしまいます。でも口語訳と新共同訳聖書では小屋とか仮小屋と訳されています。この訳が正解です。では何故仮小屋なのかが疑問です。実は旧約聖書ゼカリヤ14:16~19にメシヤ的王国、新約聖書の言葉でいうと千年王国とか神の国と言いますが、この時には主を礼拝するために全世界から人々が集まり仮庵の祭りが祝われるという預言があり、ペテロは聖書を読んでいましたのでこれを知っていました。この仮庵とは仮の粗末な小屋を指しています。ただペテロの間違いは少なくてもこのことが起こるには2千年以上時間の隔たりがあるという事です。そこだけがペテロの間違いであり、ですから何も彼は変な事を慌てて口走ったわけではないのです。いうべき言葉が分からなかったけれどもペテロはイエスこそ栄光の内に来られる救い主、メシヤであることを確信したのです。彼の信仰は確かです。信仰が成長している姿を見る事が出来ます。

③7~8神の声を聞く
ペテロたちが恐れてひれ伏していると、神の栄光の雲(シャカイナグローリー)が沸き起こり、神の声がありました。イエスに対する言葉です。これは私の愛する子、彼に聞け。イエスだけがメシヤであり、この地上に神の国をもたらすものであるから彼に聞けと命じているのです。
適用
○私達に死後の世界の保証がある
それはモーセとエリヤが現れたことが根拠です。モーセは死にましたがどこに埋葬されたのか誰もわかりません。エリヤは死を見ないで神の栄光に包まれて天に帰りました。しかし今ここでイエスと十字架と復活について語られています。ここから死後の世界はあることが分かります。私たちにとって死後の世界の希望を示してくれたのです。
○何事もイエスに聞け
私達は自分の考えが沢山ありますが、確実に人生を導いてくれるのは救い主であるイエス様だけです。この神の声の通り、いつもイエスに聞いて従って歩ませていただこうではありませんか。

○結び
イエスは誕生の際にも、少年時代も、そして3年間の公生涯でも、最後の十字架の時にも栄光の姿を見せる事はありませんでした。このヘルモン山で唯一本来の姿に変貌して栄光の内に輝きました。また復活の後も今もイエスは力と栄光に満ちているお方です。このイエスを今週も見上げて力を受けて歩んでまいりましょう。そしてペテロの様に信仰が成長して整えられてまいりましょう。