マルコの福音書(40)

2022年12月13日

2017年7月9日
聖書箇所:マルコ8:27~30
宣教題:あなたはキリストです  

7月に入って色々な事が起きりました。東京都議会選挙で大きく躍進する政党と衰える政党が入れ替わりました。また九州豪雨で大きな被害があり改めて自然の脅威を思い知らされます。私達が住んでいる本庄児玉郡市でもいつ大きな災害があるか分かりません。個人として食料の備えや直に逃げ込める避難場所の確認だけはする必要があると思います。また今後本庄キリスト教会神の家族共同体としても様々な備えはしなければならないと思っています。毛布は少しあるのですが、食品が全くないので第一弾としてアルファ米を備蓄する予定でいます。後日各家族の予約も募集する予定でいますので希望される方は申し付けください。

22~27節ベツサイダに於けるイエスの癒しについては前回省きました。今日はマルコ8:27~30になります。場所はピリポ・カイザリヤ地方であります。今日の箇所は短いのですがとても大切なところです。何故かというと一番弟子のペテロがイエスを明確にメシヤであると確信して信仰告白したからであります。そして後に更に北の有名なヘルモン山で御姿が変わる出来事があります。その後イエスはユダヤに戻り十字架の道を進んでいくのです。

27:ポリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。皆さんにお配りしたキリストの後期伝道地図を見てください。人によっては聖書の最後のページにカラーの地図がある人もいます。ここは短い箇所ですので読みながら内容を確認していきます。こちらのカイザリヤは地中海側にあるカイザリヤとは別の町です。ガリラヤ湖から北に50キロぐらい行くとピリポ・カイザリヤという町の名前が出てきます。ピリポとはあの有名なヘロデ大王の息子の名前です。ローマ皇帝の称号カエサルに敬意を表してカイザリヤという名前になりました。ピリポが整備して作った街なのでピリポのカイザリヤという呼び方がされています。

当時の人々はピリポ・カイザリヤと言えばピンと来たのです。例えば日本でも水戸黄門の水戸とか、伊達政宗の仙台とか、千昌夫の岩手とかそんな感じです。ピリポ・カイザリヤと言えば水と緑が豊かな地方、またヘルモン山の南の高台で岩が切り立っている場所。それと自然の神パンの神が祭られている偶像礼拝の地で有名でした。そこがピリポ・カイザリヤ地方です。そこに私達もいるような感じになりましたか。今イエスはこの地方で弟子たちに質問しています。「人々はわたしを誰だと言っていますか」

28:バプテスマのヨハネ、エリヤ、預言者の一人です。この様に答えました。この答えはイエスが預言者止まりの受け止め方なので答えとしては不十分です。イエスは人として生まれて地上に来られた創造主なる神なのです。しかし預言者の一人というのが一般民衆の考え方でした。この様にイエスは弟子達を信仰に導くために試して質問しているのです。弟子訓練ですね。

29:更に突っ込んだ2つ目の質問をします。ではあなた方は私を誰だと言いますか。強調点は、あなた方です。他の人はどうでも良い。あなた方はどう思うか。ペテロの答えは見事です。あなたは、詳しくはあなたこそ、ここに強調点があります。イエス様こそ、ザ、メシヤです。定冠詞が入るのです。あの旧約聖書に約束された真の神、主ですという信仰告白がペテロの答えでした。最高の答えであります。ではこの信仰告白に導き、言わしめたのは誰ですか。自分の考えですか。そうではありません。聖霊様です。

30:自分の事を誰にも言わないようにと彼らを戒められた。イエス様既にこの段階で既に過ぎ越しの祭りの時に神の子羊として、全人類の身代わりに十字架に掛かって死んで葬られ三日目によみがえられる。この救いの御業の計画がはっきりとした形で進んでいたのです。
マタイ16:21参照。そのためにはこのピリポ・カイザリヤで死ぬわけにはいかないのです。場所はあくまでもエルサレム、しかも、神の子羊として過ぎ越しの祭りの日でなければ罪の為の生け贄にはなりません。それ故イエスはご自分がメシヤであることを、まだ誰にも言ってはならないと厳しく命じたのです。

適用
○あなたはイエスをどのように思うか
他人がどのように思うかではありません。あなたの受け止めが大切なのです。イエスをあなたこそ旧約聖書に預言されている救い主、メシヤであると信じて告白しますか。イエスはあなたの人生を内側から新しくして造り変え、あなたに命を与えるメシヤなるお方です。イエスこそメシヤであり、私の罪の為に十字架に掛かって死んで葬られ、三日目によみがえり今も生きていると信じたらあなたは救いを受けます。まだ告白していない方は今すぐ告白しましょう。

○イエスに対してどう接するか。
次に信じて救いを受けたならばイエスとどのように関わって生きていけばよいのでしょうか。まずイエス様が何を考えているのか。私に何を望んでいるのかを聞かなければなりません。祈りを通してイエスの声なき声を聞いて一日をスタートする。そして御声を聴いたら従う事です。
ヤコブ1:22に御ことばを実行する人になりなさい。ただ聞くだけの者であってはいけませんとあります。この実行力が大切なのです。自分に与えられている使命を覚えそれに生きる事です。実行しないで後悔するよりは、失敗しても実行した方が何倍も良いのです。イエスにあってみことばに従う生き方をさせていただきましょう。

結び
みことばを実行するにあたって何が一番大切な事でしょうか。それは聖霊の導きを確認しながら生きる事。一歩一歩主のみ心は何かを求めつつ導きに従うならその人生は確かです。またそのためには個人で聖書を読み、小グループで聖書を学び合う事が基本になります。問いかけしながら、その聖書箇所で主が語り掛けている事は何だろうかと呼んでいくのです。そして主のみこころが分かったら自分に適用して実行する事。これを今までの日本の教会は意識してあまりやってきませんでした。ですから30年、40年聖書を読んでも意味が分からず自分に適用できないでいました。非常に悲しいですね。そろそろそのような聖書の読み方はやめて生きましょう。出なければ教会は消滅してしまいます。問いかけながら聖書を学び、理解したら自分に適用して祈って実行する子の連続ですね信仰生活は。お祈りしましょう。