マルコの福音書(33)

2022年12月13日

2017年5月21日
聖書箇所:マルコ6:30~44
宣教題:必要を満たすイエス  

今日の話はマルコの福音書6章7節~13節の12弟子派遣の続きです。12弟子はイエス様から使徒として特別の権威と力を授けていただき、二人一組になって派遣されました。彼らは自分達を通して特別に働くイエスの力によって大きな主の御業を行いました。それで14節にありますように、イエスの名は、ヘロデ王の耳にも入るようになりました。やがて働きを終えた弟子たちはイエスのもとに来て働きを報告するのです。ここから五千人の給食の話が始まります。この奇跡は弟子たちに最も大きな衝撃を与え4つの福音書は全て記録しています。イエスの奇跡を4福音書が書いているのは。この箇所だけですね。それだけ、弟子たちにとって、とてつもなく大きな出来事だったのです。またこの箇所を理解するカギはイエスの弟子訓練という文脈です。何故か。37節。イエスは弟子達を試し、訓練して御業を始めている事が分かります。それでは見ていきましょう。
1、今日の話の舞台は
イエス様が十字架に掛かって死なれる1年前という事になります。季節は過ぎ越しの祭りが始まる頃すなわち春、今の3月中旬から4月中旬の時期です。場所はガリラヤ湖北東部にあるベツサイダという町の近くの緑の草が生える自然豊かで静かな場所です。
2、文脈
①弟子達の宣教報告30
さて使徒たちは 派遣される時は弟子たちと記されていますが、30節では使徒たちと書かれています。イエスに従うものから、イエスの権威を受けて代理者という立場に変ったということが明確になっている証拠です。彼らは自分たちのした業や主の教えを残らずイエス様に報告しています。この時の彼らの思いは興奮気味な感じでしょう。こんな事がありました。あんな事もありました。様々な不思議なみわざがなされ喜びに満ちた、にぎやかな報告会となったことでしょう。
②イエスの休養の勧め31~32
この時、イエスの対応は続けてどんどん伝道しなさいとは言いませんでした。冷静でした。イエス様は彼らが体も心も疲れている事をご存じだったのです。それ故、人のいない所に行って休みなさいと弟子たちに休養を勧めたのです。イエス様たちは休養するために舟で静かなところに移動しました。働いたら休むことは大切です。私自身にも言い聞かせて話しています。特に緊張の連続が続くと尚更休みは必要になります。適度な休みを取らないとうつ病になったりします。イエス様より800年前にエリヤという預言者がいました。彼は旧約を代表する人物で、イゼベルやバアルの預言者たちと信仰の戦いをして勝利した後、一気に疲れが出ました。この時エリヤはイゼベルから脅迫を受け急にうつ状態になり、死にたいと思うようになりました。しかし神の言葉と休息により回復し預言者として立ち直りました。そういう事で休むことは次につなげるためにも大切です。
私の知っているある牧師は教会が祝されるようになってきた時急にがくんと体調を崩し、うつ的になりました。幸いにも直に心療内科医師の受診を受け、休みを心がけ、SSRIの抗うつ剤の処方を受け今、元気を取り戻し回復しつつあります。教会の皆さんが牧師の仕事を分担しているようです。牧師はスーパーマンではないのでいつも元気で頼れる存在ではないことを教えられます。
③イエスの愛33~34
ところが多くの人々は舟を遠くに見ながら歩いて先回りして駆けつけイエス様たちよりも先についてしまったのです。34節でイエス様がもういい加減にしてくれ、自分たちは休みたいのだと言って人々を怒鳴りつけませんでした。彼らが羊飼いのいない羊のようだったので深く憐れみました。人々が羊飼いのいない羊のようとは、宗教指導者たちは、イエスはメシヤではないから信じるなと言い、イエスはメシヤとしての御業を現わしていたので、群衆は判断、生き方に迷っていたのです。それは実に羊飼いのいない羊のようなのです。そしてイエスは深く憐れみました。はらわたが痛くなった。そして教え始めます。イエスの人々に対する深い愛情が見て取れるところです。
④イエスと弟子たちの対話35~39
もう時刻も遅くなったとは午後3時ごろになったという事です。弟子達はイエスに提案します。解散させてめいめいが自分達で食べ物を用意できるようにしましょうか。37節。イエスはあなた方で食べる物をあげなさい。弟子達。200デナリのパンを買って食べさせるようにということでしょうか。デナリとは通貨の単位で労働者の賃金が1日1デナリでした。弟子たちが確かめると少年が大麦のパン5つと焼魚2匹を持っていただけでした。弟子たちによって人々は50人、100人とグループごとに腰を下ろしました。それはあたかも春の大地に花咲く花壇の様でした。
⑤イエスの御業40~44
 ここは正確に読む必要があります。イエスは5つのパンと2匹の魚を手に取り祝福を求めたのではなく(誤訳)、天を仰ぎ、神をほめたたえたのです。そしてイエスの手元にあるパンと魚はどんどん増えていき弟子たちの手に渡します。増えたパンと魚は弟子たちの手を通して5千人以上の人々に分け与えられました。民衆はイエスが祝福した本物のパンと魚を食べて満腹しました。ここはそのまま読む必要があります。残ったパン切れは12かご一杯になり集めました。因みにパンを食べた人は男だけで5千人なので女性や子供を含めると数万人でありましょう。

適用
①イエスはご自分の弟子たちを通して御業を成す。
増えたパンや魚は天からマナが降る如くに天から降って来たのではありません。無くならないパンと魚はイエスの手から弟子たちに渡り、弟子たちを通して人々に分け与えられたのです。現代に於ける主の御業も同じ原則です。イエス様から私達一人一人の手を通して神の御業が起こります。あなたや私には主から受けた御霊の賜物があります。その賜物を私達が生かしてこそイエスの愛の業は広がっていきます。間違いやすいのは自分の頑張りで信仰生活する事、逆に全部イエスが成してくださるので自分は何もしないで祈るという考え。両方間違い。主の恵みによって主の御業を成していく時にキリストの愛の御業は進む。しかも愚かな私達を通して御業は進む。ここポイント。
②チーム伝道の大切さ
夕方近くになってよくもこれだけの大きな働きが短い時間にされたと感心します。数万人規模で、しかもみんなお腹がすいて動けない人もいたでしょう。39・40節にあるように弟子たちはイエス様に命じられたことに良く従いました。自分勝手に動かなかったのではないでしょうか。主イエスの言葉に耳を傾け従い12人はチームワークで行動しました。私たち本庄キリスト教会も神の家族共同体として、それぞれ小さなグループがあります。まず初めにイエス様の御声を聴き(聖書を通して)、御心を求め祈り、2人、3人チームワークで行動すると主の御業があらわされます。
結び
イエス様は私たちを訓練するため、弟子たちにチャレンジを与えたように(37節)今を生きる私たちにも信仰の訓練をしています。それは神の家族共同体としてイエスは全ての支配者であることを深く理解するため、イエスにより頼むことを教えています。例えばどんなチャレンジが与えられているか。それは私達一人一人が本気でイエスを主と信じ、崇め、従う事です。そして自分に与えられている使命を確認し、天職に生きことです。使命は人それぞれ違います。あなたの賜物から見えてくる使命は何でしょうか。イエス様に聞いて確認して今週も生きよう