マルコの福音書(32)

2022年12月13日

2017年5月14日
聖書箇所:マルコ6:14~29
宣教題:バプテスマのヨハネの死を通して  

前回はマルコの福音書6章7節~13節を通して12使徒の派遣から学びをしました。この箇所での話は私たちに直接適用は出来ませんが、私達もイエス・キリストの弟子として任命され遣わされた存在である事、キリストの弟子には必要なものは備えられる事、またキリストの弟子は自分が住んでいる地域の事や世の中の政治について関心を持つことは適用すべきであると学びました。

さて今日は前回の続きになります。イエス様が12弟子を二人一組に分けて使徒としての権威を与えて派遣した事は地域に大きな影響を及ぼしました。ついにイエスの名はヘロデ王の耳にも入りました。今日の話は14節から始まります。因みにこの聖書箇所のヘロデ王とはイエス誕生の後に殺害しようとしたあの有名なヘロデ大王ではありません。息子のガリラヤ国主ヘロデ・アンティパスです。マルコは王として紹介していますが、これは皮肉を込めて「彼は王としてふるまい墓穴を掘った」という意味で王と記しているだけです。実際はガリラヤの国主であり、王よりも位は低くなります。性格的にも弱い人物のようであります。話の内容は14~15節イエスに対する人々の評価、16節~29節までがヘロデのイエスに対する評価とバプテスマのヨハネがなくなった時の事を振り返っている場面になります。

14~15節 イエスに対する人々の評価(うわさ)
すごい人らしいぞという評価では一致していたが、それぞれが正確には評価していませんでした。
○バプテスマのヨハネが死人の中から生き返ったのだ
○エリヤだ
○昔の預言者の中の一人だ

16節~29節 ヘロデの評価(判断)
ヘロデは自分が首をはねた、あのバプテスマのヨハネが生き返ったのだと述べています。
17節~バプテスマのヨハネが死んだいきさつを振り返りながらマルコは書き残しています。

17~18:ヘロデ・アンティパスはすでに結婚していましたが自分の異母兄弟ヘロデ・ピリポの妻ヘロデヤを略奪して結婚しました。ヘロデヤは自分の姪でもあります。これは姦淫の罪また近親結婚になりますのでモーセ律法に反する不法行為でした。このヘロデヤもまたヘロデ・アンティパスの異母兄弟ピリポの妻でしたがその人と別れてサロメを連れて再婚したのです。
更に驚くのはこのサロメもまた後に叔父である別の異母兄弟国主ヘロデ・ピリポと結婚しているのです。ヘロデ大王の系図は実に入り乱れている関係かが分かります。(ヘロデ大王の系図がありますのでもっと詳しく知りたい人にはコピーします)
ヘロデ家の行為は神の前にも人の前にも悪でしたので預言者ヨハネは不法行為だと言い張ります。それ故、気の弱いヘロデは預言者ヨハネとヘロデヤの間に板挟みとなりヨハネを約2年間にわたり牢屋に入れてしまったのです。牢獄は今日の話の舞台であるマケルスの砦、宮殿、城の地下牢であります。因みにこのお城の地理的位置は塩の海(死海)の北東部にあります。マケルスの城跡は残っておりイスラエル聖地旅行では良く案内されることもあるようです。
19~20:ところが面白くないのは妻ヘロデヤです。彼女は自分に反対するヨハネを快く思わず、恨み、殺したいと思っていたのです。でも実行に移せませんでした。それは20節にあるようにヘロデがヨハネを神から遣わされた預言者と認めて恐れ保護していたからです。彼は時々バプテスマのヨハネから話を聞いていたのです。この辺に彼の気の弱さ、はっきりしない面が伺えます。

21~29ここから場面はがらりと変わります。それは、ここマケルスの城でヘロデの誕生祝いがありました。(当時誕生祝いはギリシャ人やローマ人の習慣だったようです)こういうところからもヘロデの生活がギリシャ、ローマ化していた事が分かります。大勢の人が招かれた祝宴の時に事件が起こります。この時男性客と女性客は別々に食事をしていたようです。この男性客の前で踊りを踊ったのがサロメ。聖書に名前はありませんが歴史家ヨセフスはサロメと記録しています。少女と書かれていますが小学校1年生くらいではありません。乙女、娘とも訳せる言葉ですので12~14歳くらいと言われています。いわゆる結婚可能な女性という意味です。この娘が魅力的な踊りを披露しましたのでヘロデは大変喜びました。
そしてご褒美として何でも欲しいものを上げよう、国の半分でも上げようと言うのです。国の半分という言い方は当時の格言ですので文字通りではありません。何がいいか判断に迷ったサロメは(24節)出て行って隣の部屋にいたヘロデヤに伺いを立てます。母親は即、バプテスマのヨハネの首と言います。それを聞いたサロメはすぐにヘロデの所に行き、ヨハネの首を盆にのせてくださいとお願いしました。ヘロデは心を痛めますが自分の発言も有り、人々の手前もあったので断り切れなくなって、城の地下牢にいるヨハネを処刑し、首をお盆に運ばせてきたのです。サロメはその首を母親に渡したのです。後にバプテスマのヨハネの弟子たちが遺体を引き取りに来て埋葬しました。何とも後味が悪い話ですが現実の話です。

ここから何を学ぶか。適用してみましょう。
1、その後の3人の歩んだ道から(真の神を侮るな)
ヘロデとヘロデヤはヘロデに離縁された妻の父親ナバテヤのアレタ4世が娘の遺恨を晴らす為に二人を攻め込んで来て彼らは命からがらローマに助けを求めるが、逆に西国に追放され最後は悲惨な死を遂げたと言われています。サロメも母親と同じような道を歩みます。後に別の叔父国主ピリポと結婚しますが、ある時に氷の上を歩いていた時そこから落ちて、もがいているうちに氷の鋭い部分で首が切られたような状態になって亡くなったと言われています。彼らの末路は何と哀れなものでした。神を侮る人の末路を思い知らされます。あなたはいかがでしょう。神を侮りますか。

2、ヨハネの死から学ぶ
バプテスマのヨハネはイエス様の前に登場する預言者・先駆者です。イエスと生き方が似ています。ヨハネは悲惨な死を遂げます。メシヤであるイエス様も十字架上で悲惨な死を遂げます。でもそれこそが主なる神の御心でありました。彼の人生は短いものでした。最後の2年間は牢獄の中で苦しみました。しかし彼はメシヤを紹介する者として自分の使命と生き方を全うしたのです。ここから私たちもいかに生きるべきかを学び取る事が出来ますね。

結び 私たちへの教訓 
私達もそれぞれ主から使命を託されて今を生かされています。人生100歳と考えて今から短期計画(今日、今週、5月、年内、如何に生きるか何をすべきか)中期計画(これから3年~5年先を如何に生きるか、何をすべきか)長期計画(20年~30年後主のもとに召される時までどう生きるか)自分の思い通りに成りませんが生きるのも死ぬのも主のみ心に委ねて生かされよう。