マルコの福音書(28)

2022年12月13日

2017年4月2日
聖書箇所:マルコ5:21~34
宣教題:あなたの信仰があなたを直したのです 

今日はマルコ福音書5章21節からです。今迄の流れを確認してみると、ユダヤ人指導者たちはイエスの様々な奇跡のみわざや働きは悪霊の頭、ベルゼブルによって行っているとして断罪し、イエスをメシヤと信じないように民衆を扇動していきます。これによりイエスの働きは民衆から弟子訓練に変わっていきます。それ故4章以降はイエスの弟子訓練という文脈(コンテキスト)で読む必要があります。
そして奇跡の御業を通してイエスこそ真の神だという事を示しています。例えば、風をしかりつけ、湖に向かって静まれという言葉一つで嵐を静め、自然界を支配する方。また悪霊レギオンに縛られていた人の癒しをとおして霊的世界を支配する神、更に12年間病の中にあった人の癒し、ここから癒し主イエス、更に死者を生き返らせる事を通して命の支配者なるイエスを示しています。。

イエス様はこれらのみ業を通してイエスご自身が神である事、そしてイエスに信頼する事を弟子たちに教えているのです。これを弟子訓練と言います。これは私たちに対しても教えて下さっている弟子訓練でもあります。今日この聖書箇所を学ぶにあたり遠い過去の話でなく、自分たちがイエスに対して信頼するべく弟子訓練なのだという視点で学んでまいりましょう。

さて今日の聖書箇所は大きく2つに分かれます。会堂管理者ヤイロの話。21~24、2つ目は25~34長血を患った人の癒しであります。ヤイロの話の続きは35節以降も続いてきます。それは12歳の一人娘の死に関する事でありますが、これは来週になります。

1、会堂管理者ヤイロ 21~24
21:舟で向こう岸に渡られるとありますが、向こう岸とは異邦人の地から、ユダヤのガリラヤに戻られたという事になります。東側から西側に来たという事です。たぶんカペナウム近辺であろうと思われます。ここでもまた多くの人の群れが待ち構えていました。たちまちのうちにイエスの周りは人であふれます。
22:ここに会堂管理者の一人であるヤイロが飛び込んで来ました。会堂管理者とはユダヤ教の会堂の事、今の言葉でいうと地区のコミュティセンターの役割もはたしていました。ここで安息日ごとに礼拝が捧げられますが、管理運営を任されている人の一人がヤイロでした。ここから彼は人々から信頼されている人であることが分かります。ユダヤの指導者たちはイエスを否定していましたが、一般の人々の中には信仰的な人も多くいたのです。その証拠にイエスを見て彼は、その足元にひれ伏してと有ります。これはイエスをメシヤとして信頼する信仰表現であります。極めて健全な信仰の持ち主がいたのだという事が分かります。
23:言葉を読む。12歳の一人娘。
24:彼の信仰を見て取ったイエスはヤイロと一緒に弟子たちも含めて彼の家に向かっていきます。プロ野球の大谷翔平選手が多くのファンに囲まれサインをしているような場面です。ところがヤイロには事がうまく運びませんでした。群衆に紛れて一人の女性がイエスの所に来たのです。一刻も早く自分のところに来て欲しいイエス様は途中で止まってしまったのです。

2、長血の女の癒し 25~34
25:12年間長血を患っていた女性。長血とは月のもの、生理の時以外にいつも出血があるという状態の事を「長血を患う」と言います。当時ユダヤ地方の女性の平均寿命は40年と言われていますので思春期になって12年間も病の中で苦しみの生活をしていたのは女性にとって大きな苦しみでした。これが肉体的な苦痛です。
もう一つの苦痛は、社会的、宗教的苦痛です。この時代ユダヤの人々は旧訳聖書時代に生きています。イスラエル共同体の信仰的な集まりや礼拝に参加できなません。参加すると、み言葉に反する事になります。レビ記15:25月のさわり以外に血の漏出がある人はモーセ律法で教えているところの儀式的汚れとみなされていたのです。これが彼女にとって大きな悩み苦しみでした。このような苦しみはユダヤ的、ヘブル的視点で聖書を読まないとわかりません。これこそ彼女が生きていた当時のユダヤ社会の常識であったのです。
26:もう一つの苦しみ。医者からひどい目にあわされた。直してもらえず財産を全て使い果たしてしまい、病気は悪くなる一方でした。
27~28:イエスの話を聞いた女性は群衆に紛れ込みイエスの着物に触って癒しを求めた。正確には着物のふさ(4つ・ひも)の一つの事。モーセ時代以降。申命記22:12、民数記15:38このような着物のふさを作って主の命令を思いおこすのです。これが当時の着物に関する情報です。ここに彼女のイエスに対する信仰がありました。
29~33:信仰のモイから行動した瞬間に彼女の血の源は枯れて痛みが消えたのです。イエス様も自分の内から力が出ていった事に気が付きました。
34:間を省きます。イエスは女性に言います。あなたの信仰があなたを直した。安心して行きなさい。病気にかからず健やかでいなさい。なんと愛に満ちた優しい言葉でありましょうか。

適用
○形式、儀式からイエスへの信仰・信頼
私たちの信仰も儀式的・宗教的行為をすれば安心というものでななく、イエスに信頼する時に癒されます。ここに生きた信仰であります。イエスに信頼すれば必ずしもすべてが癒されるという事はありません。しかしキリストの命にあふれ生かされていく事の本質は今も昔も変わりません。

○物事が中断することの意味
ヤイロの気持ちになってみてください。娘が死にそうなのです。一刻も早く自分の家にイエス様を連れていきたいのです。でもここでストップしてしまいました。ヤイロからすれば邪魔が入ったのです。イライラした事でしょう。私達も今日これを仕上げなければならないという時に、急用が入る時があります。あるいはお客様が来られて、仕事が中断してしまう時があります。このような時にどういうあなたは態度をとるか。私のために神がこの人を送って下さったと思えばよいのです。実際そうですから。私はそのように思っています。ですからいつでもだれが来ても歓迎です。

結び
イエスこそ自然界を支配し、霊的世界を支配し、病をいやし、命を支配する神である。私たちの信仰の対象である。そしてこのお方は昔この世界に人として来てくださり、33年の生涯を歩まれ、最後は私たちの罪の為に、その罪の身代わりとして十字架に掛かって死に、葬られ、よみに下り、三日目に復活され、今も生きておられるお方であります。そして今の時代でも信じた人の心の内に聖霊として共にいて下さるメシヤ、助け主であります。この信仰に立って今週1週間を歩んでまいりましょう。